巨星墜つ 西原春夫先生ご逝去

巨星墜つ 西原春夫先生ご逝去

『日本の進路』編集長 山本 正治

 西原春夫先生(東アジア不戦推進機構代表、早稲田大学元総長)が大寒の1月26日、亡くなられた。ご存命であればこの3月に95歳をお迎えになるはずだった。ご高齢にもかかわらず近年は、「東アジアを戦争の無い地域にする」ための運動に渾身の力を振り絞られていた。情勢への危機感とかつての侵略戦争の深い反省を踏まえられて、中国の平和興隆に協力するという「天命」とも言うべき覚悟に基づいてのご努力であったと思う。


 広範な国民連合の運動にも深い理解をお寄せいただき、『日本の進路』誌上にもたびたびご登場いただいた。また、昨年10月には、広範な国民連合・長崎が呼びかけて実行委員会主催で開催された「日中国交正常化50周年記念集会」では講演をしてくださった。
 先生は昨年秋以来、米中対立の中での日本の進路とシンギュラリティという世界の「大変化」の中での日本の国家戦略を構想し、こうした大問題をテーマにした対談を『日本の進路』誌上で自民党衆議院議員の古川禎久さん(元法務大臣)と行うことを楽しみにしておられた。次のページに掲載する「西原構想」としてレジュメも作られていた(なお、すでにその骨格を本誌2022年1月号に発表されている)。古川さんが、秋の臨時国会開会中で衆議院予算委員会自民党理事の要職にあって多忙を極め、国会閉会後は地元宮崎県知事選挙の応援にかかりきりとなって、対談の機会は新年に持ち越されていた。
 先生は昨年11月26日のメールで、「古川禎久氏との対談に向け、日本の国家戦略に関する西原構想をあらかじめ送った上で行った方がよいのではないかと考え、これを作成してみました。雑誌上での対談計画が実現したら、その中間で対面またはmailによる意見調整をしておけばベターだと思います。(中略)駄目でもともと。夢だけでも面白いでしょう? 西原春夫」と記されていた。
 文字通り「夢」、見果てぬ夢になってしまった。だが、対談相手に指名されていた古川さんは、その遺志に応え続けることを約束してくださり、気持ちを3首の短歌に託された(28ページに掲載)。天国の西原先生に届けと祈るばかりである。
 ありきたりですが先生の遺志を継いで続きます。合掌


西原春夫先生が「『天の呼ぶ声』に導かれた中国との関係」の「原点」という盧溝橋で(1988年5月)

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