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新春メッセージ  ■高良 鉄美

次の四半世紀を目指すための大切な第一歩

沖縄社会大衆党委員長・参議院議員 高良 鉄美

 昨年はいくつもの節目の周年が重なった年であった。4月には日米安保条約施行、講和条約沖縄等分離70年、5月憲法施行75年、沖縄復帰50年、9月日中国交正常化50年、さらに、10月自衛隊沖縄配備50年と目まぐるしかったことがわかる。まさに日米中が戦争と平和のはざまで複雑に絡み、沖縄の現在をめぐる状況があぶりだされた周年構図になっている。


 これらの記念すべき周年期に政府がやったのは何であったのか? 日米安保は「思いやり予算」を「日米同盟強靭化予算」と呼称変更したことに代表されるように、主権者であり納税者でもある「国民」を含む日本全体を米軍との同盟の下に置く状態へと変質させていった。自ら安保政策の大転換とうったえ、防衛費倍増に向けてがむしゃらに国民経済を攪拌しても、米軍と米国の軍事予算を「強靭化」させるだけである。「国民の平和で豊かな生活を守るため」、「未来の世代に責任を果たすため」としながら、苦しむ国民、若い世代からも「倍増」軍事費をかき集める「政府の行為」は、カルト的義務感を創り出す姿を映し出している。まるで、どこかの国から「宣戦布告」を受けているかのような、あるいは「宣戦布告」の準備をしなければならないかのような、脅迫的被害妄想と軍拡狂信の「政府の行為」が何をもたらしたか、78年前、明確に答えは出ている。
 戦争の結果と米国の思惑から、対日平和条約と日米安保条約の同時調印同時発効となったが、前者は48か国が調印した日本との平和条約であるのに対し、後者は米国とのみ締結した米軍駐留条約であった。この時点で、平和条約は主権回復を意味しており、安保条約は主権制限が含蓄されていたことになる。沖縄に至っては、平和条約で分離され、日本の「潜在主権」という擬制の下で、米国が施政権を有することになった。対日平和条約が現在問題ありとは言わないが、「復帰」の語の根源はここにあり、沖縄は復帰によって「分離」の「屈辱の日」から救済されるはずだった。しかし、安保条約を重要視して広大な米軍基地を残した沖縄返還協定が、復帰前の「分離」状態を継続させ、50年経った現在も「屈辱」を引き延ばしている。
 対日平和条約3条で分離されたのは沖縄や奄美、小笠原といった地理的問題だけではない。憲法の適用範囲も分離された。憲法施行1947年から復帰72年まで、沖縄の憲法ブランクは四半世紀に及ぶ。
 沖縄社会大衆党(以下社大党)の誕生は日本国憲法施行の3年後、沖縄分離の2年前であり、米軍政の真っただ中であった(つまり、対日平和条約に基づく米国施政権でもなく、軍の直接支配下にあった時期)。「復帰政党」とも呼ばれるように、社大党は沖縄住民の声を拾い、米軍統治にも果敢に抗いながら、沖縄の復帰運動をリードしてきた。復帰後は県内政党の本土一体化により、規模が小さくなってきた社大党ではあるが、面積の小さい島嶼県沖縄にあって地域に根付いた活動で、市町村議、県議、国会議員を輩出して奮闘している。日本国憲法の理念を追求し、地方自治を確立して「真」の復帰を実現するため、次の四半世紀後の復帰75年を目指して大切な第1歩の足跡を残せる年にしたい。自衛隊のミサイル基地等、南西諸島シフトは「専守防衛」から外れ、海外には「先制攻撃」メッセージになっていることに留意し、次の四半世紀に100年目を迎える「理性の盾」日本国憲法を堅持すること、これも大切な今年の第1の歩である。