北東アジアを非核兵器地帯に

人類は崖っぷちに立っている

長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)准教授 中村 桂子

なかむら・けいこ 専門は国際関係論(核軍縮)。モントレー国際大学大学院国際政策研究修士課程修了。2001年~12年、NPO法人ピースデポの研究員として、核軍縮に関する国際会議の取材活動などに携わる。12年4月、核兵器廃絶研究センター発足に伴い現職に着任。

長崎大学核兵器廃絶研究センターは、「核なき世界の実現」を大学にとって枢要な課題とする長崎大学の共同教育研究施設であり、核兵器廃絶に向けた情報や提言、大学教育への貢献などの目的をもつ活動拠点として、長崎市や長崎県などとも連携を図りながら運営されている。

核軍縮か核抑止か/分断が先鋭化

 ロシアのウクライナ軍事侵攻が始まってから私が繰り返し言っていることは、日本も含めて世界のすべての人たちが分岐点に立っているということです。もともとあった分断の溝がさらに深く先鋭化しているんですね。もう少し平たく言うと、ウクライナの情勢からどういう教訓を学び取るかという点で、まったく相反する二つの傾向があるということです。
 一つは核禁条約の流れにつながるような傾向で、「核抑止」は破綻しており、核兵器で安全を守るというのは幻想だということですね。もう一つは、力には力を、核には核をということです。自民党の麻生副総裁が「弱い国がやられるんだ」みたいなことを言いましたね。日本だってウクライナみたいになるのではないか、だからこそ軍事力強化、核抑止強化が必要だという傾向です。
 その両方の論者が今回の状況を自分たちの主張を強化するのに使っています。だからこそ私たち一般人がどう理解して何を学び取っていくかという力が問われています。もちろん私自身の立場としては、今学ぶべき教訓は、核兵器がだめだということ、それ以外にはないわけです。ただ核軍縮に対する逆風がものすごく厳しくなっているというのは重々理解をしています。
 こうした中で、核兵器禁止条約の第1回締約国会議が6月21日から23日までウィーンで開催されました。私は現地には行けませんでしたが、オンラインで議論をつぶさに見る中で、非常に素晴らしい重要な一歩が、確たる一歩が踏み出されたということを喜ばしく思っています。
 ただ世界に目を転じれば、非常に冷ややかな視線というか、ウィーンでの盛り上がりとまったくの別世界のように、ウクライナしかり北朝鮮しかりという話が続いているわけです。二極化している現状が、これほどはっきり見えているときはないと思います。

正しい情報で議論しよう

 今こそきちんとした事実情報を踏まえて、冷静な議論を行うことが必要です。なぜかと言うと、ロシアのウクライナ侵攻が始まって、すぐにSNSで流れてきたのが、ウクライナは核兵器を手放さなければよかったという話です。これは非常に罪深い意見です。つまり事実関係として間違っているし、端折っている部分がある。ウクライナは冷戦後、1994年に自分たちの領土にあった核兵器をロシアに移したのは事実ですが、それらの兵器の管理権はウクライナにはもともとなかったし、技術的にも財政的にも政治的にもウクライナが持ち続けるという選択肢はなかったんですね。
 ところがまったく文脈をすっ飛ばして、その歴史的事実をきちんと踏まえることなく、都合のいいところだけ取り上げてウクライナは核兵器を持っていればこんな目に遭わなかったんだ、だから私たちも核を持つべきだみたいなところに、非常に単純な議論がワァーっと広がってしまう。これは非常に危険な状況であると思います。
 よく政治家たちは「議論をするのは大事だ」と言うんですが、私がそれに反論すると、議論をさせることを妨げるのかみたいな、とんちんかんなことを言う。そういった政治家たちの言う「議論をしよう」は実は議論ではなくて、自分たちの主張を通すためだけのものです。
 私も学生たちに物事を是々非々でいろんな角度から見て自分で考えることが大事だということを常日頃言っています。それは似ているようですけど全然違うんです。まず政府の方からきちんとした情報が出されるということが必要です。異なる意見をきちんとした正しい情報の下で話す、そういった場が持たれるということであれば議論は大賛成です。ただ今の状況のような非常に限定的な間違った情報、あるいは部分的な情報だけを使って議論しましょうと言うのは民主的なやり方ではないですね。そこを危惧しています。

核兵器の近代化が進む

 核兵器をめぐる世界の状況は非常に厳しい状況にあります。そして軍拡の傾向がどんどん強くなっています。私たちはRECNA(レクナ)で毎年核弾頭データを出しています。ポスターでは核弾頭の数を示していますが、核保有9カ国がそれぞれどういう核戦略を持っているかなどの細かい情報はWebサイトでデータベースをつくっています。
 核弾頭数だけ見ると冷戦終焉後一貫して総数は減っています。今年6月に1万2720という数字を出しましたが、1年前に比べると410発減っているんですね。減っているからよかったという話ではなくて、質的な軍拡、核兵器の近代化が各国で続いているということが最大の特徴です。
 冷戦時代にたくさんつくった核兵器の多くが老朽化しています。老朽化というのは、核兵器をなくしていくいいチャンスです。安全に解体しても核物質の問題は残りますが、少なくとも核兵器という形では減らしていく最大のチャンスです。
 ところが米ロを筆頭に各国がやっているのは、より新しい、より使える核兵器システムの開発です。核弾頭だけではなくて、それを載せるミサイル、発射する爆撃機や潜水艦などのシステム全体ですね。こういうものに巨額の予算をかけて、新しいものにしています。
 今回のロシアのウクライナ侵攻が非難されるべきであることは当然です。ただ私たちがもう一つ忘れてはいけないのは、アメリカ、NATOが正義でロシアが悪だという簡単な構造ではなくて、もともと米ロ中心に軍拡競争が続いていて、米ロがともに核戦力を実質的にものすごいスピードで増大させている中で、今のような状況があるということです。そこをきちんと踏まえる必要があります。
 北朝鮮もそうですけれども、各国の核兵器がより小型になり、より使える核兵器になっているのは非常に懸念すべきところです。小型とか低威力の核兵器という言葉がよく使われますけれども、今の世界の基準でいえば広島や長崎の原爆も小型の範疇です。小型だから大丈夫、小型だからピンポイントで攻撃できるというイメージが先行することが非常に危険です。実際、トランプ政権時代にアメリカが配備した潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の核弾頭は低威力という名のもとに開発されたんですが、爆発力は広島の原爆のおよそ半分です。だから広島で何が起きたかということを想像すれば、77年たっても被害が続いて苦しんでいることを考えれば、小型とか低威力という言葉のあやの恐ろしさを私たちは知るべきです。
 今核兵器が使われたら一発で終わるわけではないんです。現在の戦争シナリオを見ると数十発、数百発の核兵器を一度にたくさん使って、かつ必ずエスカレートする。威嚇のための一発の使用が、全面的な核戦争にエスカレートするという危険性があります。だから核兵器が使用されて人類が滅亡する可能性というのは、形は違うけれども、冷戦時代より今のほうがむしろ高まっているというようなことも言われています。事実、核兵器使用の可能性がこれほどリアリティーをもって語られる時代はないというふうに思います。
 核兵器が使われたらどうなるのか。実は日本の私たちも含めて、核兵器の本当の脅威が十分に知られていないことが大きな問題です。6月の核禁条約締約国会議では、核の非人道性をもっと伝えていくべきだということが、行動計画の中に入りました。今の状況がどれほど危険で、人類を崖っぷちに追い込んでいるかということをもっと伝えていかなければいけない。その意味でも日本政府がもっと役割を果たせるし、日本の市民、自治体の役割というのも大きいと思っています。

日本政府の役割がある

 広島出身の首相が出たということは、世界からもそれなりに重く受け止められているし、期待もあると思います。しかも岸田首相自身が核兵器廃絶はライフワークだとおっしゃっているので、そこは私たちとしても非常に心強いところではあります。ただ核禁条約の締約国会議に出席しなかったことも含めて、日本政府が繰り返し言っている「橋渡し」をどのような形でやろうとしているのか、正直見えないという不安感はありますね。掛け声だけではなくて、今このような状況の中では何をするのかが問われているわけです。
 核禁条約にオブザーバーとして出なかったことは、日本として大きく間違っていたと私は思っています。条約にすぐに入ることができなくても、「橋渡し」の名のもとにできることがたくさんある。被害者援助の問題とか、核実験で被害を受けた国々、環境が汚染された場所の修復の問題で世界の国々が動き出しています。広島と長崎、福島の経験を持っている日本が、この状況でそっぽ向いていることはありえない。たとえば被爆者援護の歴史から何を学んできたかを、間違ったことも含めて、世界の国と共有するだけでも大きな貢献になると思います。でもそうしたこともしないで核禁条約に背を向けるということは「橋渡し」ではないと思うわけです。
 今度の核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議で演説するため、岸田首相はニューヨークに行かれましたが、行ったからよいということではありません。むしろ核禁条約に行かなかったことでハードルは上がっていると思います。核禁条約に行かなくてNPTが大事だと強く言ったわけですから。NPTで日本が何を具体的に貢献するかということがシビアに問われています。
 たとえば北東アジア非核兵器地帯の話も、今すぐに何か動けるわけでなくても検討を始めるとか関心を示すとか、そういったこともできると思います。これまで以上に日本への期待や、日本の役割の重さがある時代です。そこは本当に中身をしっかりやってほしい。
 今のこの危険な崖っぷちの状況のリスクを少しでも避けるために、短期的にすべきことはいっぱいあると思いますが、中長期的にどういう世界に私たちは向かっているのかということを示すことが大事です。そこが日本政府もすごく苦手ですよね。究極的な目標としては「核なき世界」を実現するということが掲げられていますが、具体的にどうやって進んでいくのか、多くの人に見えない。「核兵器がなくなるといいよね」とか言いながら、世界の安全保障の状況が不安定である限り核兵器が必要だとどこかで思っている。ここを打ち崩せていないわけです。今は思考停止に陥っていて、核共有なんか論外中の論外ですけど、多くの人の頭の中で、核の傘で守ってもらう以外にイメージが湧かないという事実がありますね。

核に頼らない安全保障/非核兵器地帯

 今、世界の多くの国々が核兵器には頼らない安全保障をとっていて、それは単なる理念的な平和主義ではなくて、核兵器がないほうが私たちの安全を高めるんだという確信がある。そして自分たちを守るためのきちんとした法的な政治的な仕組みである非核兵器地帯をつくっているんですが、これはあまり知られてないんですね。

(RECNA資料から)

 だから学生たちに非核兵器地帯の話をすると、「すごい!」ってびっくりするんです。日本にいるとどんどん視野が狭まって、選択肢としては「核の傘」か「核武装」かみたいな二択になるんですね。
 でも世界に目を転じれば圧倒的多数の国々は核兵器がない道を選んでいるのです。非核兵器地帯というのは万能薬ではないんですが、人間の知恵の結晶です。人類は少しずつ歴史の中でどうすればより安全により確実に自分たちを守っていけるのか一生懸命考えた結果、非核兵器地帯というやり方を生み出していって、現在も進行形で、もっと強化し広げていくにはどうしたらいいかという議論が進んでいます。
 だから北東アジアにおいて、どうやって核兵器に頼らなくても安全を守っていけるかというビジョンを多くの人が持つことができれば、日本の社会も少し変わっていけるんじゃないか。そこを示していくときに、北東アジアの非核兵器地帯という構想を、もちろん私たちも1年や2年でできると思っていないんですが、でもこのことを中長期的な目的に据えながら、そこに向かって進んでいくことは十分にできる。
 たとえば今、国会議員の中で北東アジア非核兵器地帯をつくるための議連が立ち上がろうとしています。そういった超党派の議連を、日韓で立ち上げようみたいな動きも起こっていて、それを市民あるいは専門家、長崎市長もそれを応援しているんですけれども、そうした動きをつくろうとしています。
 今のような危機的な状況の中で、北東アジア非核地帯の話は非現実的になっているんじゃないかと言う人もいますが、私は反対にむしろその必要性や重要性が高まってるんだというふうに認識すべきだと思っています。議員とか自治体首長のようなオピニオンリーダーとなるような人たちの中に、こうしたことの意義を理解する方が増えていくことが何よりも重要かなと思っています。
 一般の人たちの意識の中で、核兵器の問題は正直遠い話のように思ってしまうと思うんです。だからこそ、今私たちが崖っぷちに立たされているという当事者意識が必要です。被爆国だからというより、環境問題や貧困問題と同じように世界全部の人たちが当事者であって、現状を変えるために一歩を踏み出すことができる、私たちにはその力がある、そこを意識することが大事だと思います。

(本稿は7月7日のインタビューに筆者が加筆したもの)