特集■「自立日本の総合安全保障を考える」環的中日本主義の勧め

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SDGsの実現のため分際をわきまえた国家を目指す

篠原 孝 衆議院議員

 安倍政権は明らかに大国を目指している。一番の願いは軍事大国である。だから、執拗に自衛隊の加憲による憲法9条の改正にこだわり続けている。国民はその必要性を感じていない。世論調査も58%が反対し、62%は安倍政権ですることはないと警戒心を持っている。国民の健全性を示している。
 国民の関心は、社会保障であり、日々の暮らしである。社会保障は少々ややこしくておいそれとは変えられないので、経済政策(アベノミクス)でごまかしながら、最長の政権になんなんとしている。2006年の第一次安倍政権が、1年の短命に終わったことからすると信じがたいことである。

憲法改正は内閣の仕事ではない

 2019年秋、内閣改造で久方ぶりにお友達を閣僚に登用した。情に厚い安倍首相は、ひょっとすると最後の改造と悟ってのことかもしれない。そこは殊勝だが、政策の向かう方向は危ういばかりである。内閣が主導することではなく国会がすべきことなのに、憲法改正をいの一番に挙げている。ピントがずれており看過できない。
 曰く、1947年の憲法制定時には、自衛隊は存在しなかった。だから自衛隊のことを憲法にきちんと書き留める必要がある。完全に後付けの屁理屈である。憲法制定時と大きく異なったことはいくらでもある。
 例えば、環境問題である。地球温暖化は着実に進行中であり、日本のみならず、世界中が真剣に取り組まなければならないことである。台風19号は、大きな爪痕を残し90人近くの命を奪った。昨年も西日本豪雨があった。地球は怒って、山川海が反乱を起こし、川が氾濫している。国が国民の生命・財産を守るのが重要な責務だとしたら、これこそ急ぐ必要がある。

食料安保が忘れられている

 また、同じ安全保障分野でいうなら、安倍首相が力を入れる軍事安全保障よりもずっと危機に瀕しているのが、食料安全保障である。1947年当時は自給率という概念すらなかったが、多分90%は超えていたであろう。それが今や37%に下がっている。誰の目にも大きな変化だとわかることである。だとすれば、国民投票により食料安全保障を憲法に定めたスイス同様、日本こそ食料安保の必要性を明記すべきである。
 ところが、安倍首相は、軍事の安全保障しか目に入っていないようであり、日本をビジネスの一番しやすい国にすると公言しTPP、日欧EPA、日米貿易交渉を立て続けにまとめ、食料安保をないがしろにしている。

バランスのとれた国の形が必要

 日本の国家の姿が見えておらず、バランスを欠いている。つまり、安倍首相は、大国主義に固執し、それを支える経済大国に執心するのだ。安保は何も軍事だけではないのに、一つ一つを比べると跛行性がひどい。前述のとおり、食料安保は無視されているが、エネルギー安全保障は、石油など海外からの化石燃料への依存を減らそうとするあまり、原発に異様にこだわるといった具合であり、均衡を著しく失っている。
 私は日本のみならず、アメリカのような覇権国も大国を目指す時代ではなくなったと思っている。世界の先進国は技術も生活水準もみな同質化し、レベルが一定の方向に進んでいるのである。今や覇権国が世界をほしいままに牛耳ることはできなくなりつつある

大国主義は日本には無理

 こうした時に日本の目指すべき方向をどうするかよく考えてみる必要がある。私は、大国主義の幻想を捨て分際をわきまえる国家を創り上げていく以外にないのではないかと思う。
 まず軍事大国は愚かな途であることは論をまたない。戦後日本は、軍事大国への途を捨て、というよりも日本が再び軍事大国化することを恐れた連合国に途を閉ざされ、経済復興に全力を注入せざるをえなかった。これが奇跡の復興として、その後の成長を引き起こす原動力となった。防衛なり自衛のための予算は、戦争中と比べたら比較にならないほどわずかですんだからである。

経済大国も危ういことに変わりなし

 その結果、あれよあれよという間にアメリカに次ぐ経済大国となり、アメリカが危機感を覚えるほどの存在になったのである。1980年代から90年初頭には、日本が今の中国と同様に巨大な貿易黒字国として目障りになった。同時期、ソ連邦が崩壊し、米ソ冷戦にほぼ勝負がついた形になり、アメリカ国民にとってソ連は脅威ではなくなり、それに代わり日本が一番の敵国と意識されるようになった。
 アメリカは、スーパー301条と称される通商法により、これまた今の米中貿易戦争と同様に300%の高関税をかけると圧力をかけてきた。ちなみに当時の貿易黒字は大体500~600億ドル、2019年現在も不思議にこの額は変わらない。

TPPは経済大国日本へのアメリカの反撃

 自由貿易の旗手をもって任ずるアメリカは、さすがに黒字の主たる原因の自動車の関税を300%にはしなかったが、クロス・リタリエーションとやらで、全く関係のないマキタの電動工具に高関税がかけられた。まさに見せしめである。他に半導体や自動車輸出の自主規制を行わざるをえなくなった。
 また、関税だけでは解決がつかないと悟ったアメリカは、日米構造協議で日本の仕組み自体の改変を迫ってきた。詳述は避けるが、排他的ビジネス慣行、系列、談合等の言葉が新聞紙上に踊った。その延長線上にTPPがある。

日本は突出を抑えるべき

 戦前、日本の軍事大国化が先進国を逆なでし、戦後は経済大国化がアメリカを怒らせることになった。日本は、世界に出すぎると諸外国と軋轢を起こしてきた。植民地化を目指した領土拡張だろうと、日本製品の洪水的輸出だろうと結果は同じだった。
 こうした歴史を振り返ると、私は、日本は、大国化の途を歩むべきではないのではないかと考えるようになった。1982年、雑誌「東洋経済」に「新小日本主義の勧め」という記事を書いた。当時私は、戦争満州への進出にもアメリカ移民にも反対し、小日本主義を唱えていた石橋湛山の著作を読みすっかり敬服していた。そして、現代にもこの考え方が適用されるべきだと考えるようになった。

輸出しすぎは抑える

 経済面として国の生き方での小日本主義は軍事と比べてわかりにくいが、簡単に説明すると――。
 まず、やたら造って造りまくり、余ったら、国内だけでなく海外にもどんどん輸出していく。相手国の産業がつぶれようがおかまいなしだったが。こんな無謀なことはやめたほうがよいということだ。言ってみれば秩序ある輸出である。貿易はあってもいい。しかし、対米黒字がかさみすぎ、仕方なしにそれを減らすために農産物等を輸入せざるをえなくなるのは愚の骨頂である。
 順序を逆にしたらいいのだ。日本は石油をはじめとする鉱物資源がないから輸入せざるをえない。そのお金が必要だから工業製品を輸出してそのお金を稼がせていただく。そしてその輸出も必需品を輸入する限度にとどめ、湯水のごとき際限なき輸出はなくすことだ。つまり、それぞれの国はなるべく自立して生きる努力をし、自賄いで生きるようにしたほうがどの国の間にも軋轢が少なくなる。

世界はもう貿易一辺倒から修正しつつある

 このような考え方は、新自由主義に固執し、ひたすらイケイケドンドンの途を目指す人たちにはとても受け入れられないことであろう。しかし、世界はトランプのアメリカ・ファーストやイギリスのブレグジットに見られるように、過度な外国依存や偏った貿易構造の修正がみられつつある。例えば、米中貿易戦争の高関税かけ合いは、関税ゼロを絶対視するWTOからすると顔をしかめることだ。もともと関税はそれぞれの国のハンディだったのであり、トランプはその役割を再び認識し始めたにすぎない。

環境面からも方向転換が求められている

 ここに影響を落としてきたのが、環境問題である。16歳のグレタ・トゥーンベリさんが、国連総会で訴えたとおり、地球は異常であり、地球環境は抜き差しならない状況になりつつある。
 今回の台風19号を例にとれば、怒っていたのがグレタさんだけではなく、山川海つまり自然が怒っているのである。まず、海の水温が1~2度上昇し、台風のエネルギーがかつてよりも大きくなっている。台風15号は風台風だったが、台風19号は両方備え、結果的には大雨被害となった。発生した時はそれほど大きくなかったが、その後中心気圧が925ヘクトパスカルと急激に勢力を増した。通常、日本近海に近付くと勢力が衰えるのに、日本近海も1~2度水温が高かったため、さらに水蒸気を吸い込み、東日本各地は観測史上最高の降雨量を記録した。

森林と水田をないがしろにした結果の河川大反乱

 森林は水源涵養機能、洪水防止機能といった公益的機能を有しているといわれている。しかし戦後、植樹が山のてっぺんまで行われ、うっそうと生い茂る杉、ひのき、落葉松(カラマツ)等の人工林で覆われることになった。ところが、1950年に丸太がいち早く関税ゼロになり、64年、オリンピックの年に板も関税ゼロとなり、山は見捨てられた。こうして中山間地域は食べていけなくなり、限界集落となり、その後消え去った集落も多い。人口減少により下草刈りや下枝刈りといった山の手入れは行われなくなり、放置されたままになり、保水力は衰え森林は公益的機能を果たせなくなった。
 そこに拍車をかけたのが、水田、特に棚田の減少である。ダムの役割を果たしていたのになくなってしまい、中山間地に降った雨は、一気に川に流れ込む。途中の水路も街の水路もきれいにコンクリートに覆われ、これまた一気に水を流すことにつながる。かくして、千曲川は昔より早く大氾濫することになる。

日本の木材と水田を活用するのが先

 すべて経済を優先してきた結果である。これにグレタさんも自然も怒っているのである。
 日本の山では、消費する木材が十分に育っているのに、それを放置し、安い外材を輸入している。輸出国、例えば熱帯雨林がある南の国々では、日本の大量輸入により森林が減少し環境問題を引き起こしている。日本が、日本の森林を手入れし伐採し活用すれば、山村は息を吹き返し、活力を持つようになり、南の熱帯雨林は維持され、酸素を供給し続けられるのだ。
 EUでは、条件不利地域の畑には、傾斜度に応じて直接支払いが手厚く行われる。だから、日本のような中山間地城の過疎にはならない。日本の棚田は、機械化もできず大規模化もできないから手をつけられなくなるのは当然である。棚田振興法ができたが、財政的裏付けの見込みはない、お寒い限りなのだ。これでは中山間地域は生き残れない。

SDGsの根本の一つが地産地消

 本当にSDGs(持続可能な開発目標)を目指すなら、発想の転換が必要である。国際的にも農業でSDGsを追求するとしたら、食卓と農場の距離をなるべく少なくして、輸送に伴うCO2の排出は極力抑える必要がある。つまり貿易を減らす地産地消が必要なのだ。今は再生可能エネルギーの分野でも地産地消が使われるようになった。
 もっと言えば、工業製品も実は最終消費地の近くで最終製品にするのが一番効率的なのだ。例えばトランプ大統領は、アメリカで使う物はアメリカ人がアメリカで造るべきと主張し、トヨタがメキシコに年産20万台の工場を建設することに激怒した。日本では何をおかしなことを言っているのかとしか思われていないが、極めて理屈に合ったことを言っているのを見逃してはならない。メキシコ人が使う車をメキシコで製造するなら構わないが、NAFTA(北米自由貿易協定)で米墨間の関税がゼロになるのを悪用し、賃金がアメリカの4分の1前後のメキシコでトヨタ車を製造し、それをアメリカに輸出するのはまかりならんとクレームをつけているだけだ。同じトヨタ車でもアメリカ人を雇い、アメリカで造れと言っているだけなのだ。

SDGsは環的中日本主義から

 メキシコからアメリカに車を輸送すると900ドル/台かかり、CO2も多く排出する。それをやめるという主張は、パリ協定の趣旨にも合致する。ところが、アメリカはパリ協定に入ろうとしないから、トランプも自国の都合をまくしたてているにすぎない。だが、一面の真理を主張していることを忘れてはならない。
 SDGsを追求するなら、日本は環境に配慮し分際をわきまえた中ぐらいの国、すなわち環的中日本主義の途を進む以外にない。

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