改めて問われる植民地支配と国家・民衆の責任

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9・1「関東大震災朝鮮人虐殺96周年犠牲者追悼会」に寄せて

東京朝鮮人強制連行真相調査団
代表 西澤 清(広範な国民連合全国代表世話人)

 東京都墨田区の都立横網町公園には、96年前の関東大震災時に東京の街中で在日朝鮮人数千人が日本人の自警団によって虐殺されたことを悼む追悼碑がある。9月1日、追悼碑の前で二つの追悼会が行われた。午前中には日朝協会の主催する追悼会が行われた。午後1時から、朝鮮総聯東京都本部と東京朝鮮人強制連行真相調査団が主催、フォーラム平和・人権・環境が後援する「関東大震災朝鮮人虐殺96周年追悼のつどい」が行われ、「広範な国民連合」はこの集会に賛同団体として参加した。
 追悼碑は、震災50年を記念して1973年9月に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会」によって建立された。「実行委員会と賛同者」には千田是也(演出家)や藤森成吉(戯曲家)、都議会の各会派、国会議員、学者、弁護士、仏教界、美濃部亮吉(当時都知事)、政党、区長、区議など幅広い人たちが連なり、その協力で実現したものである。
 全国には、植民地時代の強制連行を悼む「追悼碑」が200近くある。しかし今、これらの追悼碑にさまざまな攻撃が行われ、碑の撤去と、それをきっかけに「植民地支配、強制連行」を否定する歴史修正主義者の動きが顕在化している。横網町公園の追悼碑への攻撃は、2017年3月都議会で、自民党古賀俊昭議員が追悼碑の犠牲者数が正確でないと主張し、知事の追悼メッセージをやめるべきだと発言した。小池百合子都知事は、それを受け入れてメッセージを中止した。

関東大震災朝鮮人虐殺とは

 関東大震災が起こったのは、1923年9月1日午前11時58分44秒である。ちょうど昼飯時で火を使っていたため東京の下町では大火災が多発した。
 同時に朝鮮人が殺傷・略奪・放火したという流言が発生した。1日の夕方から警察官や警察署が朝鮮人が暴動を起こしたという流言を飛ばし、かつ「朝鮮人を殺しても差し支えない」といった部分もあり、2日には治安当局の中枢部の内務省警保局長が朝鮮人が暴動を起こしたと認定し、これを無線電信で各地の地方長官に伝える処置を取った。
 2日には東京市とその周辺5郡に、3日には東京府と神奈川県に、4日には埼玉県と千葉県に対して戒厳令が布告され軍隊が出動した。これが民衆には「人殺し」許可と受け止められ、彼らの自警団結成による朝鮮人虐殺を促進したのである。民衆による朝鮮人虐殺は6日まで行われた。
 しかし、このころになると朝鮮人の暴動はなかったことが判明する。にもかかわらず朝鮮人虐殺が行われてしまったのである。そこでこの失態を処理するため、5日には臨時震災事務局が「朝鮮人虐殺問題」の対策を協議。ここで、朝鮮人虐殺の国家責任を回避するため、「朝鮮人の暴行又は暴行せむとしたる事実を極力捜査し、肯定に務ること」、「風説を徹底的に取調べ、これを事実として出来る限り肯定することに務ること」という方針が定められた。つまり、朝鮮人が暴動を起こしたという風説を何とかして事実に転化させようとしたのだ。
 その結果、10月20日に司法省はついに「朝鮮人犯罪と言う虚構」を次のように発表した。「今回の変災に際し、鮮人にして不法行為を為すものがあった旨、さかんに宣伝せられたが、今其筋の調査した所によれば、一般鮮人は概して純良であると認められるが、一部不逞鮮人の輩があって幾多の犯罪を敢行し、その事実喧伝せらるるに至った結果、変災に因る人心不安の折りから恐怖と興奮の極、往々にして無辜の鮮人、又は内地人を不逞鮮人と誤って自衛の意を以て危害を加えた事犯が生じたので、当局はこれに就いても厳密な調査を行い、すでに起訴したるもの十数件におよんでいる。」(ママ 『国民新聞』1923年10月21日)
 この発表は嘘である。朝鮮人虐殺が起こった原因は「不逞鮮人」がいたからだと言って、虐殺を起こした責任を被害者である朝鮮人に押し付けて、朝鮮人暴動という誤認情報を流した日本国家などの重大な責任を隠したものである。

平和フォーラム・労働組合も参加の追悼会

 追悼会には歴史上初めてであるが、朝鮮民主主義人民共和国「朝鮮人強制連行被害者・遺家族協会」から追悼文が送られてきた。
 追悼会には、総聯中央の南昇祐副議長、東京都本部の高徳羽委員長、真相調査団(西澤清代表)をはじめとする活動家、在日朝鮮人、日本人など約200人が参加した。

 まず、参加者全員が震災当時に虐殺された犠牲者を偲び黙禱をささげ、高徳羽委員長と私が追悼の辞を述べた。
 高委員長は、「無残に尊い命を奪われた6600人の同胞犠牲者を偲ぶとともに、その悲惨な過去から100年が経とうとする今日まで、日本政府が真相究明をせず、犠牲者や遺族に対する謝罪、補償はおろか虐殺という歴史的事実さえも、隠蔽、歪曲しようとしている」と指摘。また、「当時となんら変わらない不当な民族的差別がある」ことに触れるとともに、17年以降、小池東京都知事が3年連続で追悼文を送らなかったことについて強く批判した。そして「日本政府が、関東大震災時の虐殺に対する真相を究明し、朝鮮総聯、在日朝鮮人に対する不当な民族的差別と人権侵害をやめ、朝・日平壌宣言に基づいた過去の清算と朝・日関係正常化を一日も早く実現するよう」求めた。
 私(西澤)は、1960年代後半(当時は日韓条約、朝鮮大学校の認可問題で騒然としていた)東京で、警察が「朝高生と日本の高校生との暴力事件がある」とでっち上げ生徒に注意するよう学校に連絡した。これを日教組・都高教の運動で食い止め、それ以降学校間で友好を深める取り組みに転化した実例を挙げ、「意図的に歴史を改ざんし、差別を助長する動きが目に余る。政府による朝鮮学校を無償化適用除外、民間団体の街頭でのヘイトスピーチはじめ朝鮮学校などへの嫌がらせ、脅迫、子どもたちへの陰険な暴力などは、かつてなく広がっている。今、1960年代に起こったことが起こらないという保証はありません。差別と歴史修正主義との闘いを強めなければならない」と強調した。
 また、朝鮮東京中高級学校の李枝英さん(高3生)が「絶対にあきらめず、民族の血と受難の歴史を忘れない。先祖たちの恨みが少しでも晴れるよう、朝鮮人として堂々と学び、次の代に伝えていきたい」と力強く話した。
 来賓には、国会議員初めての初鹿明博衆議院議員が「犠牲者に対するお詫びを中心としたあいさつ」を、また東京日朝友好議員連盟の代表保坂正仁荒川区議があいさつを行い、全員で献花を行った。
 在日朝鮮人と今まで参加のなかった労働組合、さらに一般都民の参加による集会はこれからの運動への示唆を与えたと言える。4年後は関東大震災の朝鮮人虐殺から100年になる。今度こそ、史実に基づき歴史を振り返り、「朝鮮人虐殺の国家責任」と「民衆の責任」が改めて問われなければならない。

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