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沖縄を戦場にするな!
沖縄市在住(1936年生まれ) 仲宗根 藤子
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琉球新報(2月27日)紙面から
1944年10月10日の米軍による空襲(十・十空襲)を、大人も最初は敵機と気づかず、空を見上げておりました。地響きを立てて飛んでいる異様な巨体の飛行機が頭上を飛び去った。その直後に姉の後を追って山に逃げました。大木の陰に身を隠して、空襲がやむのを待ちました。母と弟は家の壕の中で無事でした。
十・十空襲で、父の妹(私の叔母)は爆弾の破片がおなかを貫通して即死しました。叔母の母とは「戦争が来たらどうしようか」と深刻に語り合っていました。夫は病弱だし長女は小児まひで手がかかるので戦争のことばかり気にかけていました。真っ先に叔母が息を引き取ってしまい、二人は自決したとひそかに聞いています。今、叔母の孫は「琉球新報」の四コマ漫画を描いています。