岡山県生まれ。青年師範を卒業して教師に就任。1942年応召。戦後、中学、高校の教師を経て、62年に日教組書記長になり、71〜83年日教組委員長、76〜83年総評議長、78〜82年世界教職員団体総連合の会長をつとめる。この間66年にはベトナム北爆中止・人勧完全実施の要求で、74年の国民春闘では狂乱物価阻止・国民生活擁護の要求で日教組全国統一ストを指導して、二度にわたる官憲の弾圧を受けた。86年には日中技能者交流センターを設立して、日本語教師の派遣や研修生の受け入れ、日中経済セミナーの開催など、日中間の人材交流につとめるかたわら、大槻勲子、故隅谷三喜男、故伏見康治、故磯村英一、故伊達秋雄の各氏と共に核兵器廃絶運動連帯を組織した。また朝鮮の自主的平和統一支持日本委員会の議長として、日朝友好運動にも力を注ぎ、91年には朝鮮民主主義人民共和国から国際親善賞1級を、93年には中華人民共和国から友誼賞を授与されている。
槙枝元文回想録 〜教育・労働運動に生きて〜 を著す(2008年6月)