国民連合とは月刊「日本の進路」地方議員版討論の広場集会案内出版物案内トップ


自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2001年6月号

教科書問題の背景

戦争責任・植民地支配の清算こそ国益

日本の戦争責任資料センター代表、元茨城大学教授  荒井 信一


 三月の声明

 昨年十二月段階で「つくる会」の教科書を文部省が合格させることがはっきりしました。そうなると「つくる会」の教科書が国際的にも国内的にも非常に悪い影響を及ぼします。教科書自体に非常に誤った記述が多い。教科書作成の自由が認められず、政府による教科書検定制度が存在している以上、合格した教科書の内容に日本政府が責任を負わなければならないのは当然のことです。
 もともと、教科書検定は憲法が禁じている検閲に当たるのではないかという疑問が、早くから出されていました。密室で恣意的に行われている不透明な検定実態にたいする疑問が、それに拍車をかけました。
 けれども、家永教科書裁判の最高裁判決があり、それに至るまでの民間の運動や司法判断の積み重ねを反映して、教科書の記述が改善されてきました。九七年にはほとんどすべての教科書に「従軍慰安婦」の記述が載るようになりました。近隣諸国条項といった検定基準も整備されてきました。その方向をのばしていけば検定制度は安定していくだろう。だから、憲法違反問題は冷静に議論すればいいと、私は考えていました。
 ところが「つくる会」の教科書を通すということになると、検定制度の中で司法判断や民間の運動が支えてきた一種の安定性が崩壊していく。文部省が築いてきた教科書行政そのものがくつがえるではないか。文部省はそれでいいのか。そう文部省に言わなければいけない。
 そういう気持ちが強くあって、三月に十七名の連名で「加害の記述を後退させた歴史教科書を憂慮し、政府に要求する」声明を出しました。

 「つくる会」の背景

 大東亜戦争史観を推進している動きには物質的な基盤があります。例えば日本遺族会、軍人恩給連盟、神社本庁などは直接戦争観に利害関係を持つ団体で、自民党の選挙で大きな役割を果たしています。歴史認識におけるタカ派の物質的基盤になってきました。戦後半世紀がたち、これらの団体の会員が老齢化して、集票能力も衰退してきましたが、小選挙区制導入により、相対的に確実に票を集める団体ということで、再びウエイトが高まりました。
 九〇年代になって、新しい要素が出てきました。バブル崩壊、グローバル化の進展などによって国民の中にいろいろな不満がうっ積しています。この不満に感情的にアピールしていくという、政治的にいうと一種のポピュリズム(大衆迎合主義)が、九〇年代後半に非常に顕著になってきました。
 「つくる会」の運動もそういう要素が強いと思います。ただ、「つくる会」の歴史教科書が直接ねらっているのは中間エリート層だと思います。例えば特定郵便局長のような人たちで、教育委員になったりする層です。そういう層へ、戦前回帰的なナショナリズムを持ち出して情緒的に働きかけると、グローバル化の中で閉塞感がありますから、一定の反応がある。そして教科書から「従軍慰安婦」の記述を削れと地方議会に働きかけるときに、一種の草の根運動の形態をとって、自信をもたせたわけです。
 「つくる会」の運動は、単に「従軍慰安婦」の記述が載ったことに対する反動というよりは、もう少し日本の社会に根を下ろした運動だと思います。
 日本には政治的リーダーシップがずっとなく、漂流しているわけです。議会政治も含めて、大衆受けすれば何でもいいんだという危険な様相を呈しています。

 間違いだらけの検定

 四月になって修正本が出た段階で四、五人が集まり、短時間ですが近現代史について点検しました。五十一カ所も事実の誤りがあり、記者会見で発表しました。事実の誤りを見過ごすような検定が行われていました。また、検定の中に、不法行為の疑いもあります。文部省がつけた修正意見に「南京事件の実否や犠牲者数についての研究状況などに照らして」という部分があります。家永裁判の最高裁判決は南京事件の存在を認めているのに、実否、つまり存在したかしなかったか、という文部省の修正意見は、最高裁判決を無視した不法行為の疑いがあります。
 私たちが五十一カ所の誤りを指摘したことを朝日新聞が掲載しました。それに対して産経新聞がそのうち二つはまちがいだとコラムで取り上げました。一つは、トルコの憲法がアジア最初なのに、大日本帝国憲法が「アジア最初の憲法」と記述していました。これに対して産経新聞は「憲法はそうかも知れないが、議会は日本が最初だ」と書きました。しかし、トルコの第一回議会は一八七七年、帝国議会開会は一八九〇年で、議会もトルコが先です。
 もう一つは韓国併合問題。保護条約を結んで外交権を取り上げ、韓国統監府をおいて、伊藤博文が初代統監としてソウルに赴任したのは一九〇五年。「つくる会」教科書の一九〇六年は間違いだと指摘したら、産経新聞は「一九〇六年に着任したからいいんだ」と書きました。外務省の公文書も伊藤博文の任期は一九〇五年十二月二十一日からです。五十一のうち、二カ所しか反論できず、その反論も間違いでした。
 見本本を見ると、最初は「征台の役」だったのが台湾出兵になっています。私たちは「征伐とか征服は教科書用語として良くない」と書いたのですが、そこだけは最近の李登輝とか小林よしのりの問題を念頭において政治的に直したようです。
 いずれにしても非常にいい加減な検定が行われていました。特に南京事件、帝国憲法、韓国併合問題などに大きな間違いがあります。文部省は事実の誤りは直すと言っているので今後も指摘していきます。

 採択をめぐる動き

 どの教科書を採択するか、いま各教科書会社が見本本をもって営業活動をやっています。実質的には六月いっぱいでほぼ決まると思います。
 いま問題なのは、学問的に冷静に議論して誤りを正すという雰囲気が全くないことです。例えば、「つくる会」と関係の深い教科書改善連絡協議会(三浦朱門会長)が、他の七社の教科書との比較を単行本として六月に出版するようです。産経新聞に連載した「教科書の通信簿」と同じタイプのものです。文部省は「いろいろ問題はあるが止めさせる法律がない」と言って、非常に腰が引けています。扶桑社がそれを教科書採択の営業活動で使えば違法ですが、おそらく文部省も教育委員会も問題にしないだろうという判断です。また、見本本を普通の出版物として売り出そうとしています。おそらく無料で教育委員に送るつもりでしょう。非常に金をかけた運動です。採択の過程でいろいろな問題が出てくると思います。
 戦後日本の教育は、学校の教育内容は教師と住民・親が決める、文部省の権限を減らして教育委員会を公選制にする、ということからスタートしました。PTA(父母と教師の会)はその考えの表れでした。しかし、その後は公選制を廃止して教育を中央集権化し、今は地方の教育委員会に教科書採択について権力を集中する動きが強まっています。つまり学校の現場教師から取り上げていくわけです。「つくる会」の運動はこの教育委員会をターゲットにしています。PTAに対しても、草の根運動で自信を持っています。それに対して、市民運動や教員組合や野党の方は、有効な反撃策を出せていない現状ではないかと思います。
 そこで、私たちは六月九日に約十八団体の共催で少し大きな集会を準備しています。「つくる会」教科書の内容批判、生徒の発言、採択をめぐる状況についての報告などを考えています。地方でもこういう集会をやりたいし、すでに計画しているところを一つの動きにつなげることを考えていきたいと思っています。

 植民地支配の清算こそ国益

 日本の教科書について、韓国や中国では批判が強まっていますが、政府レベルは抑制的ですし、歴史教育の専門家レベルも冷静に対応し、客観的に議論しようという雰囲気が強くあります。ところが、日本側は官僚の紋切り型の対応ですから、韓国や中国の側はいらだたしさを感じているのではないかと思います。いま一番大事なことは、お互いに感情的に反応するのを抑えて、教科書の内容を冷静に客観的に議論できるような環境を、政府やマスコミがつくっていくことです。
 近隣諸国条項という国際公約の違反については、これを批判しなければなりませんが、これは基本的に戦争責任、植民地支配責任の問題です。その清算を怠ってきたことが非常に大きな原因となっています。直接的には日朝交渉、国交正常化とかかわりますが、植民地支配の責任を清算することが、日本の国益にとって非常に重要だということをもっと強調していく必要があります。
 国益にとって非常に重要だというのは、例えば経済をはじめ、あらゆる面で日本とアジア太平洋諸国との相互依存関係が深まっており、今後ますます発展していきます。アジアの地域的な結びつきを考えていかなければならないわけです。その時に、こういう問題が未解決だということが、経済の面でも外交の面でも、近隣のアジア諸国と平和的な関係、友好的な関係を結ぶのを阻害しています。そのシンボルがこの歴史教科書問題だと思います。

 帝国の二日酔い

 敗戦の時や講和条約の時、あるいは六五年の日韓条約の時とか、植民地支配を清算する機会がいくつかありましたが、日本は解決してきませんでした。日朝交渉は解決する最後の機会だと思いますが、それも停滞しています。
 そのため、日本人の中に大衆的な形でかつての植民地支配者としての意識が眠っています。私はそれを「帝国意識」、欧米では「帝国の二日酔い」と言っています。かつての植民地帝国時代の意識が残っていて、二日酔いで頭が痛いように、政治や社会にマイナスの影響を与えているということです。特にバブル崩壊以降の大衆的な欲求不満の中で、「帝国の二日酔い」現象がよみがえってきています。あるいは、石原慎太郎のような人間が意識的にそこに働きかけています。
 石原だけではありません。石原は改革者という側面と、ナショナルなポピュリスト(大衆迎合主義者)という側面をもっていますが、小泉首相にもそういう要素があります。国民の間に閉塞感がある時期に、そういう人物が政治の表に出てくる。歴史的に見れば、日中戦争が泥沼化した時期に、近衛文麿がナチスのように下からの運動をつくって閉塞状況を打開する強力な政治をやると言って登場しました。その大政翼賛会は、実際には下からの運動ではなく、官僚に牛耳られた国民統制組織になっていきます。そのような昭和十年代前半の雰囲気と非常に似ています。
 そういう状況に反対する側は、これまでの経過にこだわらず、なるべく広範な人たちを結集して闘っていくことが必要だと思います。選挙がからんでいることはわかりますが、既成の組織の上に統一戦線組織のようなものを考えても難しいのではないでしょうか。まず自己変革が必要だと思います。(文責・編集部)