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【声明】

加害の記述を後退させた歴史教科書を憂慮し、政府に要求する

2001年3月16日


荒井信一(駿河台大学教授)/井出孫六(作家)
井上ひさし(作家)/入江昭(ハーバード大学教授)
鵜飼哲(一橋大学教授)/大石芳野(写真家)
大江健三郎(作家)/金子勝(慶応大学教授)
小森陽一(東京大学教授)/坂本義和(東京大学名誉教授)
佐藤学(東京大学教授)/東海林勤(日本基督教団牧師)
隅谷三喜男(元東京女子大学学長)/高橋哲哉(東京大学助教授)
樋口陽一(早稲田大学教授)/三木睦子(元首相夫人)
溝口雄三(大東文化大学教授)


 現在、2002年から使用される教科書が文部省の検定を受けています。中学校の歴史教科書の検定申請本(白表紙本)としては、従来の7社のほかに、あらたに扶桑社から「新しい歴史教科書をつくる会」編集のものが提出されています。
 これらの歴史教科書の多くは、次の世代に歴史の真実を伝えるのに不適当であり、また1980年代に外交問題にまでなった教科書以上に、近隣諸国民の対日不信を深めるおそれがあることを考え、私たちは憂慮にたえません。
 そこで私たちは、日本政府と教科書作成関係者の姿勢に見られる重要な問題点を指摘して世論に訴えるとともに、現在進行している検定について、政府と関係者が、次のように再検討を行うことを要求します。

 第一に、新聞報道などによれば、従来の7社の検定申請本の近現代史部分において、「(従軍)慰安婦」に関する記述が4社のものから姿を消し、「三光作戦」が5社から1社になり、また「731部隊」の記述をした教科書が皆無となり、「侵略」という言葉を「進出」その他に変えるものがあるなど、加害の記述を大幅に後退させる傾向が、ふたたび現れています。
 中でも「(従軍)慰安婦」については、近年、他の地域での戦争や内戦における女性の人権侵害とともに、これを”戦時性暴力”として犯罪とみなす新たな国際法の形成が進んでいます。また「731部隊」については、生物・化学兵器の危険への新たな国際的関心をも反映して、米国政府が、長く秘匿されてきた押収資料の公開を決定しています。
 このように、日本が犯したこれらの行為は、たとえ日本の教科書が隠しても、世界周知の事実として、21世紀に国際社会の法秩序づくりを論じる際に言及を避けられないものであり、もし日本の次世代が正確な知識を持っていなければ、国際社会の一員としての資格を欠くことになります。それにもかかわらず、これを教科書に記述しないとすれば、それは、これらの事実の重要性だけでなく、その存在そのものを否定あるいは軽視することであり、未来の日本国民を育成する道を誤るものに外なりません。
 以上の理由により、私たちは、これらの歴史的事実の記述の復活と適正化を強く求めます。

 第二に、私たちが重大視するのは、扶桑社版の検定申請本が、植民地支配と侵略を肯定する内容のものであることです。
 私たちが知り得たところでは、第一次の申請本は、たとえば「韓国併合」について、日本の行為は列強から支持され、合法的であったと述べ、朝鮮民族の意志に反して強制された植民地支配が甚大な損害と苦痛をあたえ、根強い民族的抵抗を招いた事実を無視していました。
 また中国への侵略戦争については、日本は中国を侵略したのではなく、戦争にまきこまれたに過ぎないかのような記述でした。さらに太平洋戦争は、「自存自衛」と、アジアを欧米による支配から解放して「大東亜共栄圏」を建設するためのものであるとし、あたかもそれが正義の戦争であったかのように書かれていました。
 このような歴史認識には、日本の植民地支配と戦争が、アジアの諸国民に損害と苦痛を与えた事実の正確な認識も、それに対する誠実な反省と謝罪の姿勢も見られません。
 その上、最近の報道によれば、この教科書の執筆者は、文部科学省がつけた137ヶ所にもおよぶ検定意見をすべて呑んだということであり、これは、検定合格のためには、自説を大きく曲げることも辞さないという姿勢です。教科書は、周到な学問的検討と教育的配慮とに基づいて書かれるべきものであり、このような便宜主義的な対応もまた、執筆者の学問的な見識と誠実さとを疑わせるものです。
 さらに、報道された修正版は、あいまいな表現で部分的に修正したに過ぎない点で問題を残しているだけでなく、日本の加害行為について記述していない点があるという意味でも、教科書として認められるものではないと、私たちは考えます。
 以上の諸点を考慮し、私たちは、文部科学省が、こうしたあいまいで不誠実な修正を合格としないことを要求します。

 第三に、私たちは、今回の教科書申請本にたいして、アジア諸国を中心とする国際的批判があるというだけの理由で、上述の要求をするわけではありません。
 周知のように、日本政府は、1980年代に「教科書問題」が外交問題になったとき、教科書検定に「近隣諸国条項」を設けました。また1995年8月15日、閣議決定にもとづき、総理談話を発表しました。そこでは、「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たことを認め、これに対して「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」しました。また、1998年の金大中大統領との日韓首脳共同宣言で、小渕総理は、さらに「両国民、特に若い世代が歴史への認識を深めることが重要」と認め、「そのために多くの関心と努力が払われる必要がある」と強調しました。こうした総理の意思表明は、対外的な公約に外なりません。
 しかし、私たちが今回の検定申請本について憂慮を表明するのは、単に、対外的配慮だけによるものではありません。
 私たちは、過去の事実を隠蔽し、一面的に自国を美化する歴史観にもとづいて次世代の国民を教育するならば、アジアで、また国際社会で、信頼を得て生きて行くための知識と感受性を欠いた日本人を生み出すことになるという点を深く危惧しています。国家や民族の壁をこえた交流が急速に増している21世紀に、若い世代が国際社会の一員として生きていく上で、自国自賛をこえた歴史の認識と教育は、私たち自身にとって必要なのです。
 その際、私たちは、どんなに自分に不利であり、つらいことであっても、真実を直視するという誠実な態度と強靱な精神とを次の世代に培うことが、教育の根幹をなすと確信し、そのためにも、教科書が、日本の侵略と植民地支配による加害を率直に認識するものであることを要求します。

 第四に、私たちは、日本が言論・表現の自由を認めている以上、多様な歴史観の出版物が刊行されることは、当然許容されるべきだと考えます。
 しかし、教科書作成については自由が認められておらず、政府による検定制度が存在する以上、今回のような申請本を教科書として合格させるならば、それは日本政府がそうした立場を認めることに外ならず、その責任を政府が国際的にも負わなければならないのは当然です。もし政府が、そうした国際的責任を回避するのであれば、それは政府による検定制度そのものと矛盾しているのであり、政府の教科書検定は廃止されるべきだと言わざるをえません。
 また、今回の教科書問題をめぐる内外の議論で大きな障害となったのは、申請本の内容や修正意見を含む、検定の過程が、一切秘密にされているという事実です。およそ民主主義国であれば、政府の決定にかんする情報が最大限に公開されるべきことは、今日では国民の常識になっています。その上、教科書の内容の決定は、日本全国の未来の世代に影響を及ぼす、国民の重大な関心事です。それが、国民に秘密のうちに決定されるというのは、到底許されることではありません。
 したがって、私たちは、文部科学省、教科書執筆者および出版社が、検定の経過を、そのつど遅滞なく公表して透明性を高めることを強く求めます。
 さらに、上述のようにきわめて問題の多い、政府による検定制度を今後も続けるべきかを含めて、教科書の作成・採択をどのようにするかを広く公開の議論に委ね、国民の理解と国際的信頼を得られる、よりよい教科書づくりの制度に改めていくことを要求します。