孫崎 享(まござき・うける)
1943年旧満州生れ。1966年東大法学部中退、外務省入省。
英国、ソ連、米国、イラク、カナダ勤務をへて、駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を歴任。2002年より防衛大学校教授。この間公共政策学科長、人文社会学群長を歴任。2009年3月退官。
著書に『日本外交 現場からの証言』(中公新書)『日米同盟の正体』(講談社現代新書)など。
日本は、外交・安全保障の問題を真剣に議論しなければならない時期に来ています。第一に、日米関係が、多くの国民が知らない間に、非常に大きな変貌をとげています。第二に、中国が10〜20年後には日本の数倍という経済規模の国として登場します。第三に、ミサイルや核を持つ北朝鮮への対応が問われています。「事実は語る」を基礎にして、日本はどんな課題に直面しているのか、どう対応していくのか、真剣に議論しなければなりません。
日米同盟は1960年の日米安保条約が基本で、それが継続されていると、多くの国民は認識しています。しかし、2005年10月、日本の外務大臣、防衛庁長官と米国の国務長官、国防長官が「日米同盟─未来のための変革と再編」という文書に署名し、安保条約が大きく変質しました。安保条約は1960年の改定時に国民的な大議論が起こりましたが、あの改定と比べても大きく変化したのに、真剣に議論されていません。大きく変化した点は2つです。
1つは対象の範囲です。1960年の安保条約は「極東地域」に限定していましたが、「未来のための変革と再編」で「世界全体」に拡大されました。
2つ目は理念の変化です。安保条約は前文で「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念‥‥を再確認」し、国連憲章を重視しています。国連憲章の重要な柱は、「主権の尊重」、「武力行使の抑制」です。ところが、「未来のための変革と再編」に国連憲章の理念は書かれていません。「日米共通の戦略」が強調され、「国際的な安全保障環境を改善するため」に武力を使うことになりました。差し迫った脅威に対抗するために認められた武力行使から、米国にとって望ましい安全保障環境をつくるための武力行使に変わり、これに日本が参画するということです。このような武力行使は、国連憲章や日本国憲法の理念と異なります。
こんな重要なことが日米で合意されていることを、ほとんどの国民が知りません。政治家も米軍再編の問題という程度の認識で、日米同盟のあり方が根本的に変えられたという認識はありません。大手新聞も米軍がどう再編されるのかを紹介しましたが、この合意内容が持つ意味について解説していません。国民のコンセンサスがないにもかかわらず、世界全体で日本の自衛隊を活用することを米国と約束したのです。この約束にしたがって、自衛隊のあらゆる行動、作戦・運用、教育・訓練などが行われています。
日本では「日米共通の価値観」が何の疑問もなしに語られてきましたが、日米間には大きな違いがあります。例えば、冷戦崩壊後の1993年当時、米国では「日本異質論」が盛んでした。背景にあったのは、日米間の激しい経済的利害の対立です。当時、CIA長官のゲーツ(現国防長官)は「CIA予算の40%は経済関係に向ける」と発言していました。経済関係とは日本のことで、当時の米国にとって最大の敵は日本で、安全保障のターゲットだったのです。
日米間と同様に、米欧間にもかなり大きな違いがあります。米国は自分たちが正しいと判断すれば軍事力の行使を正義と考え、これに何の疑問も持ちません。他方、ヨーロッパや日本は第二次大戦の歴史を踏まえて、国際関係では軍事力を使わずに安全保障を構築しようと考えます。日米は「共通の価値観」を持っているという見解は誇張です。
国家関係の基礎にあるのは利害関係です。米国自身が日本と共通の価値観を持っているとは考えていません。自国の利益で日本を使うための理屈として「共通の価値観」とか「共通の戦略」を出してきます。シビリアン・コントロールは、文民政治家が安全保障の問題をきちんと勉強していることが前提です。ところが日本の大学では安全保障の問題を研究していません。米国は戦後、再び日本を米国に対抗する軍事大国にしないため、大学で安全保障や軍事の研究をさせないようにしたのです。したがって、米国には戦略がありますが、日本にはありません。「共通の戦略」と言っても、常に米国が戦略を示し、日本がそれに同意するという関係が続いています。米国は日本をどう利用できるかを考えており、米国の戦略の真意は、日本への説明と異なります。
例えばシーレーン防衛がそうです。日本への説明は、「中東に石油を依存する日本の海上補給路がソ連の潜水艦に攻撃される恐れがある」「従って、日本はP―3C対潜水艦哨戒機を大量に保有せよ」というものでした。だが、米国の真の目的はオホーツク海でソ連潜水艦を封じ込めることでした。「欧州におけるソ連の攻勢に地球規模で対応する」という米国の戦略の一環でした。米国の戦略の真意を理解せず、表面上の説明をうのみして米国の戦略に利用されたのは、シーレーン防衛だけではありません。イラク問題やアフガニスタン問題も同様です。表面上の言葉に惑わされず、冷静に米国の意図を見抜くべきだと思います。
最近出版された『日本防衛の大戦略』(日本経済新聞出版社)という著書の中で、リチャード・サミュエルズは次のように指摘しています。
「日本は安全保障の範囲を拡大すべきである、という米国の要求がこれほど大幅で必要になったのはこれまでにないことであった。米国国防総省は日本の防衛を維持すると確約しているが、本土から離れた地域での緊急事態に日本が協力することを明確に期待している。在日米軍基地と日米同盟を世界的な安全保障の道具として利用するのは米国の明確な意思である」。
中国が強大になりつつあります。今年中に、中国のGDPが日本と並ぶと言われています。日本経済研究センターは、10年〜20年後の日米中のGDPを購買力平価で予測しています。それによると、中国のGDPは2020年に日本の4倍になり、米国やEU全体を上まわります。2030年には日本の5倍になります。中国の経済は地域格差や水資源問題など様々な問題を抱えていますから、予測どおりになるかどうかは分かりませんが、日本の数倍の経済規模を持つ国が日本の隣に登場することは確かです。
強大な中国の登場は、明治維新以来のアジアに対する日本の対応のし方に、根本的な見直しを迫るものとなります。福沢諭吉が書いたといわれる「脱亜論」には、「日本はこれから西洋文明圏に入る」「我が心においてアジア東方の悪友を遮断するものなり」と書かれています。日本とアジアは違うんだ、アジアは悪い奴なので一緒にならないという考え方です。日本は、第二次大戦までは欧米列強と軍事力で肩を並べ、戦後はG7あるいはG8で先進国と並び、アジアとは違うんだと考えてきました。南アフリカでアパルトヘイト(人種管理政策)がまかり通っていたとき、他のアジア人やアフリカ人と区別して、日本人だけが白人扱いされました。日本人もそういう扱いに疑問を持ちませんでした。日本は中国を弱い国と見下して対応してきました。中国に円借款を出してやったのに、日本に礼を尽くさないのはけしからん、という意見も出ました。その中国が強い国として登場してきた今日、これにどう対応するのか、日本は問われています。
ところが、日本人の考えはあまり変わっていません。知識階級の多くも、米国のニューヨークタイムスとかエコノミストの見解ばかり見て、中国が何を考え、どういう政策で日本に対応しようとしているか、ほとんど勉強していません。中国は毛沢東の時代、ケ小平の時代、江沢民の時代と変遷してきました。歴史認識問題が前面に出てきた時代もあり、中国の指導者が日本を批判して中国国内を安定させるという傾向がありましたが、最近はそうではなくなりました。胡錦濤主席や温家宝首相が「隣国と善を成し、隣国と伴侶を成す。隣国と睦まじく、隣国を安定させ、隣国を富ませる」と発言し、これが中国の近隣外交だと述べています。今の指導部は近隣諸国との友好を全面に出しています。財界の第一線級の人が「これからは中国だ」と話していました。しかし、日本では「敵対的な中国」という見解が支配的です。強大化する中国にどう対応していくのか、真剣に考えなければなりません。
核兵器やミサイルをもった北朝鮮への対応で、まず考えなければならないのは、北朝鮮が合理的な判断で行動しているのか否かという問題です。われわれとまったく違う発想をしているので、話し合う余地はないと考えるのか。それとも、北朝鮮は北朝鮮なりの合理的な判断で行動しており、北朝鮮との間で一定の相互理解があり得ると考えるのか。ここが重要なポイントです。
なぜ北朝鮮が核兵器を保有したのかを考えてみる必要があります。世界で最も長期に、最も切迫して核兵器の脅威にさらされてきたのは北朝鮮です。マッカーサーが核兵器使用を主張した朝鮮戦争の時は、まさにそうでした。朝鮮戦争後も韓国の米軍基地に核兵器が置かれていました。ブッシュ政権の2002年には、北朝鮮の体制変換プログラムが実際の作戦計画としてありました。こういう状況の中で、北朝鮮が抑止力として核を持ちたいと考えるのは、安全保障の観点から見ると非合理的な考えではありません。
われわれは通常、西側の観点で考えますが、北朝鮮からはどう見えるでしょうか。ガバン・マコーマックは、その著書『北朝鮮はどう考えるのか』(2004年)の中で次のように述べています。
「米国にとり北朝鮮の核は過去10年ほど主要な問題であったが、北朝鮮にとっては米国の核の脅威は過去50年絶えず続いてきた問題であった。核時代にあって北朝鮮の独特な点は、どんな国よりも長く核の脅威に常に向き合い、その影に生きてきたことである。朝鮮戦争では核による殲滅から紙一重で免れた。米軍はその後、核弾頭や地雷、ミサイルを韓国の米軍基地に持ち込んだ。1991年に核兵器が韓国から撤収されても、米軍は北朝鮮を標的とするミサイル演習を続けた。北朝鮮では核の脅威がなくならなかった。何十年も核の脅威と向き合ってきた北朝鮮が、機会があれば『抑止力』を開発しようと考えたのは驚くことではない」。
北朝鮮もそれなりの合理的な判断で行動しており、対話によって相互信頼を築くことができる相手と見ることができます。しかし、北朝鮮は存亡の危機を何度も迎えており、日本はその危機に加担する側にいるわけですから、北朝鮮から見れば日本を敵国と位置付けざるを得ません。したがって、日本に対する対応は厳しくなる。それに対応して日本の北朝鮮への対応も厳しくなる。結果的に相互対立のサイクルになっています。日本は一刻も早く北朝鮮との国交を持ち、北朝鮮が抱いてる敵対的な雰囲気をなくす必要があると思います。
中国は近隣諸国との友好関係を重視して、北朝鮮との関係をできるだけ敵対的なものにしないように努力しています。ロシアや韓国も同様です。米国はブッシュ政権の前期には、きわめて北朝鮮に敵対的でしたが、現在の状況は、北朝鮮の対応によっては関係を回復してもいいと判断していると思います。北朝鮮から見れば、日本だけが敵対的な国となる可能性があります。日本はその点を気をつけなければなりません。
日本国内では、強大になる中国、核兵器やミサイルをもった北朝鮮に対して、核武装論、敵地攻撃論、ミサイル防衛論など、軍事的に対応しようという見解が出てきています。これらの見解は、有効な安全保障政策にはなり得ません。
相手から核攻撃されたら核報復するというのが核武装論です。相手国は核攻撃すれば核報復を受けるので、核武装が核抑止になるのは事実ですが、核戦争の覚悟をせざるを得ません。しかし、日本は国土が狭く、首都圏に様々な機能が集中しているため、核攻撃で壊滅的な打撃を受けます。一方、広大な国土と圧倒的な軍事力を持つ中国やロシアに壊滅的な打撃を与えられません。日本にとって、核攻撃の被害に相当する以上の意味が核武装にあると言えるでしょうか。
敵地攻撃論について言えば、専守防衛の自衛隊にはその体系も能力もありません。また敵地攻撃は先制攻撃ですから、相手国は残りの総力をあげて反撃します。報復をさせないためには、相手国が北朝鮮ならば、すべてのテポドンを破壊しなければなりません。しかし、それは不可能です。したがって敵地攻撃論も有効な安全保障政策ではありません。
ミサイル防衛で敵のミサイルを撃ち落とすができるのは、ミサイルが最高速度に達していない発射数分後以内か、着弾直前だと言われています。しかし、両方とも技術的に極めて困難です。米軍の訓練で成功するのは、ミサイルの発射時刻、場所、方角が事前に分かっているからです。そういう事前情報もなく、秒速数キロのミサイルを発射数分後に撃ち落とすのは不可能です。したがって、ミサイル防衛の真意は発射する前に攻撃すること、つまり敵地先制攻撃と同じです。
日本の上空を通過して米国に向かう北朝鮮ミサイルの迎撃を可能にするため、集団的自衛権行使の憲法解釈を見直せ、憲法を改正せよという議論があります。しかし、地球は球形ですから、北朝鮮がニューヨークやワシントンをめざしてミサイルを発射したら、日本上空を通過しません。日本上空で守るということにはならないのです。地球儀で北朝鮮とニューヨークを糸で結んでみれば、すぐに分かります。憲法改正で集団的自衛権の行使を可能にし、ミサイル防衛で米国を守ろうとすれば、北朝鮮がミサイルを発射する前に攻撃する以外にありません。北朝鮮からすれば、日本のミサイル防衛は、北朝鮮に対する先制攻撃体制です。「防衛」とか「自衛」という言葉が使われていますが、実際にはきわめて攻撃的な目的を持っています。政治家などが真意を理解せず、集団的自衛権の行使が必要だと発言していることに大きな危惧を感じます。
軍事的な選択は日本の安全保障にとってプラスとなりません。しかもそれは莫大な費用を必要とし、国民生活を犠牲にして国家財政を軍事一辺倒にしなければ実現できないことです。軍事的選択がだめならば、日本はどうやって安全を保障していくのか。
抑止力は軍事に限りません。経済の一体化、相互依存が重要だと思います。例えば、日本と中国の経済の相互依存、一体化が進んでいます。この状況の中で仮に中国が日本を軍事攻撃すれば、日中貿易は途絶え、年間10兆円規模の対日輸出がなくなります。日中貿易に関連する中国の企業、そこで働く中国の労働者は大変な打撃を受けます。そうなれば中国政府は政治的に耐えられないでしょう。つまり、日中間の経済的な一体感、相互依存を深めることが抑止効果を発揮し、戦争の危険を小さくするのです。したがって、北朝鮮に対しても、できるだけ早く国交を正常化して密接な経済関係を築くことが、最も有効な日本の安全保障政策です。
これまでの安全保障の議論は、安保条約に賛成あるいは反対という政党やグループの既存の考え方で思考停止し、それぞれの組織内だけで議論する傾向が強くありました。今日、そうした枠を超え、事実を基礎にして、日本の外交・安全保障の問題を真剣に議論することが求められていると思います。
(文責・編集部)
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