ソマリアの海賊対策は、日本からの自衛隊も参加して進められることになった。国会での討論も新聞の論調も、自衛隊参加の可否についてはあったけれども、ソマリアの海賊がなぜ今ごろ出没するようになったのかということについては、誰も問題にしていない。もっとも、国際社会(実は「先進工業諸国中心の」という断り書きが必要である)が、米国や西欧諸国をはじめとして、中国まで含めて、こぞって海賊退治に参加する形を取っている以上、それ以上のことについて考える必要がないと思われているのかもしれない。
もちろん、筆者も、ソマリアの海賊を退治してはならない、ということを主張するほど、不心得者ではないない。しかし、ソマリアの人々の困窮が、その一部の不心得者を海賊に走らせたのであったら、その原因について解明しないで、ただ海賊を取り締まればよいということはできない。筆者も、ソマリア問題の専門家ではないので、ここに記すことの大部分は、専門家の言葉や記事の紹介になってしまうことを正直に認めよう。
ソマリアについては、次の三つのことが、客観的に確かめられる事実として、厳然としてわれわれの判断の基準になることを待っている。
以上の三つの事実は、国連が採用し、日本国政府もその外交政策の指針にしている「人間の安全保障」の原則に即して考えると、つぎのような問題がでてきて、ただソマリアの海賊を退治すればよい、ということにはならないはずである。
要するに、「人間の安全保障」の立場から見れば、ソマリア人に対する安全保障義務をはたさないでおいて、ただソマリア人の海賊の監視と退治だけに精を出すのは、少なくとも著しくバランスを欠いた「国際貢献」であると言わざるをえない。もっとも、中国も日本も、この際、正義の旗をかざしてその海軍の威力を誇示する場として利用しているし、ソマリア海賊退治は「人間の安全保障」とは無関係な、世界に大国の間の「国家安全保障」の競争であるということであるといってあきらめるほかないのかもしれない。