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自主・平和・民主のための広範な国民連合
『日本の進路』地方議員版20号(2003年9月発行)
特集/地方議員全国交流会
講演
鹿児島大学教授 平井 一臣
暴走を続ける日本政治
今の日本の政治の全体状況は、非常に危機的だと思います。今国会で有事法制、イラク特措法など、戦後の憲法体制を根幹から揺るがす様々な法律が通り、残るのは憲法改正だけという状況です。国立大学に関しても国立大学法人化法案が通り、大学が国家戦略に従属するような研究教育をすることになっていく制度的枠組みができました。こうした上からの再編成が急速に進んでいますが、それに対する抵抗力、反発力が非常に弱くなっています。国立大学法人化法案でも、国立大学の教員の中でそれに反発する力は非常に弱くなり、逆に法人化に早く乗らなければ取り残されるのではないか、あるいは、規制緩和になって自由に研究ができた方がいいという幻想もあり、大学自体が抵抗できていません。イラク開戦前には、ここ数年の中では平和運動が盛り上がったのに、イラク特措法に関しては大きな運動が起きませんでした。このように抵抗する力が弱くなっているのが特徴だと思います。
地方自治をめぐるこの十年
この十年間で地方自治をめぐる改革がさまざまな形で急速に行われてきました。そしてそこには常に三つの力学(ベクトル)が働いていると思います。それは行政改革、財政改革、分権改革です。簡単にいうと、行政改革とは行政の効率を上げる。財政改革とは財政危機を克服する。分権改革は自治体の自治力を付ける。この三つの改革は、大きく行財政改革を進めようとする国と、分権改革を求める自治体や住民という、相対立する二つの改革に区分することができると思います。
一九九五年に地方分権推進委員会ができますが、当時は分権改革にある程度の力点が置かれていたと思います。とりわけ九六年三月に出された中間報告では、権限と財源を国から地方に下ろす、そして国と自治体を対等な関係にするということが盛り込まれていました。ところがその後、財源問題が改革の中心から外れ、権限問題だけの部分的な改革へと流れが移っていきます。九七年九月の第二次勧告では、分権改革を進めるにしても地方自治体がそれをちゃんと担うことができるのか、という「自治体受け皿論」が出てきて、そこから市町村合併の議論が始まったといわれています。
分権改革のベクトルが退き、行財政改革のベクトルが非常に強くなる中で、「平成の大合併」が国の政策の中心課題に躍り出ました。それが九九年の合併特例法の再改正につながり、「アメとムチ」が盛り込まれます。法律は改正をしたら十年間の期間が設定されるのが普通ですが、ここでは改正前の期限を残し、期限切れはあくまでも二〇〇五年三月のまま、内容を大幅に変えました。
特例法再改正から、「アメとムチ」を使った合併推進が本格的に始まりました。小泉内閣の成立、「骨太の方針」の一つの柱として市町村合併が位置づけられたことで動きは加速されましたが、一昨年ぐらいまでは市町村の側に慎重な姿勢があったと思います。研究会や任意協議会は作っても法定協議会までは作れないとか、法定協議会を作る住民発議が成立しても議会が否決するなど、国が思うようにはいかない状況が続きました。昨年から動きがあわだたしくなりましたが、それでも国が考えていた三千の市町村を一千にするという目標にはとうてい及ばない。
総務省の関係者や推進派の学者の中でも、「一千は無理だ」という話がささやかれ始めた昨年十一月、「西尾私案」が出されました。これは二〇〇五年三月までになるべく多くの市町村を合併させることを大前提に、合併しなかった自治体、とりわけ人口一万人以下の小規模自治体は「取りつぶす」という中身です。これで小規模自治体は非常に大きなショックを受け、鹿児島でも法定協議会へ向かう自治体が増えました。全国町村会や全国町村議長会が西尾私案に対して強い反発を示したため、今年四月に出された地方制度調査会の中間報告では「人口一万人」という数値を削除し、若干表現を和らげた報告になっています。しかし、合併しなかったら小規模自治体はどうなるかわからない、という国の基本姿勢は変わっていないと思います。
「平成の大合併」鹿児島の事例
鹿児島には九十六市町村あります。離島と山間地が多く、地形的な問題からも合併しにくい条件にあり、昭和の大合併ではあまり合併しなかった地域です。現在、合併の急速な進展の中で離島の自治体が非常に混乱しています。
薩摩半島の東シナ海側に上甑(こしき)島と下甑島という二つの島があります。ここに四村ありますが、島全体でも人口一万人は切ると思います。そこに県が示した合併案は、甑島四村と、向かい側にある本土の川内市と串木野市、さらにその周辺の町を集めて一つの市にするという広域合併でした。甑島の四村(里村、上甑村、鹿島村、下甑村)のうち三村は、早い段階で海越え合併することを決めました。下甑村では、「高速船でも一時間もかかる海を越えて合併すれば島から人がいなくなる。下甑村単独でいくか、甑島の四村で一つの自治体を作る、そのどちらかが現実的だ」という議論が出されました。しかし、合併に慎重な議員たちは結局、村の中から排除されていきました。九割以上の住民の署名で住民発議が起こり法定協議会ができます。ところが議会は現実的ではないとこれを否決する。すると今度は、否決した議員をリコールする運動が始まり、慎重派議員が全員、議員失職する事態が起きました。
限りなく沖縄に近い与論島にも県から合併の圧力がかかっています。与論島は一島で一町なので、やはり海越え合併になります。隣といっても沖縄より遠いのですが、沖永良部島があります。与論島との間には一日に一便の船と飛行機しかない沖永良部と合併しろと県はいいます。沖永良部には二町あり、合併後の役場は沖永良部にできるでしょう。合併しても何のメリットもないと与論の人々は言いますし、県の職員もそれを否定しません。でも、合併の圧力があり、先日、与論町は法定協議会に参加することを決めました。
このように鹿児島では、国、県による圧力がどんどんかかっています。合併の枠組みは、県が示すモデルが先行し、それに合わせて合併するか否かという議論になっているため、政治的な混乱や苦悩が起きています。これらの事例は平成の大合併の問題を象徴していると思います。
「平成の大合併」の問題点
問題点の一つは「画一的な合併」です。人口二千人ぐらいのミニ自治体と、ここ川崎市のような大都市とその周辺、あるいは大都市近郊の衛星都市的な自治体同士の合併。これらが合併特例法という一つの法律で、同じ時間設定で合併が行われています。地域特性がまったく考慮されていないのが第一の問題です。とりわけ鹿児島では、中山間地や離島は「合併すると地域は崩壊する、人がいなくなる」と言いますが、決して誇張ではありません。奄美大島の一番南にある瀬戸内町は、昭和の大合併で海越え合併し、加計呂麻島、請島、与路島の三島が合併しました。一九五六年の合併から五十年たちましたが、加計呂麻島は人口が八割も減り、コミュニティーを維持できなくなっています。県は「高度経済成長の時期にどこでも過疎地域が生まれて、人口が減っている」と説明しますが、似たようなところでも合併しなかったところは減り方が少なく、合併したところは極端な減り方をしています。そういう点から見ても現在の画一的な合併がとりわけ過疎地域に大変な問題を引き起こすと思います。
第二に、国や県は「自主的合併」といいますが、各地の合併を見れば名ばかりの「自主的合併」です。また、この現状を容認しているマスコミも問題です。例えばテレビの討論番組で司会者が「避けて通れない問題として合併をどう考えるか」という言い方をする。新聞も二〇〇五年三月までというのが大前提であるかに書きますが、合併するしないは市町村が自主的に決めることです。
第三に、住民意思が悪用され混乱が起きています。下甑村でも住民発議が乱発されています。住民発議は有権者の五十分の一以上の署名を集めれば成立するわけで、小規模自治体では簡単に集められるし、これで法定協議会の設置を要求できる。私は基本的には、住民投票や住民発議を積極的に評価しますが、合併についてはあまりにも問題が多い。つまり、議論の入口だけ住民の圧力をかけさせるが、合併してどんな自治体をつくるかの中身に対する住民投票などについては特例法はなんらうたっていない。住民意思を法定協議会をつくらせることだけに利用しているわけで、住民意思を悪用しているとしかいえません。
第四に、「アメとムチ」といいますが、果たして「アメ」と言えるのか。「アメ」の一つは交付税の算定替えで、激変緩和措置で十五年間は交付税がなんとかなりますよ、ということ。もう一つは合併特例債が使えるということです。ある自治体職員の言葉を借りると「特例債とは自分の足を食べるタコのようなものだ」。特例債とはいっても後年度の負担があり、決してアメとは言えないし、施設をつくっても維持費は自治体の負担になる。従って、アメではなく、むしろ自治体の手足をさらに縛ることになると思います。特例債だけでなく、合併前に今まで貯めた基金を使ってしまおうという自治体が出てきています。このようなことは公共事業頼みの自治体を全国に生み出してしまうことになります。また、自治体間の相互不信が強まっています。とりわけ単独でいきたいという自治体に対する相互不信が強くなっており、これらが結果的に自治の基盤を掘り崩す事態が進んでいると思います。
五番目に、相次ぐ「駆け込み合併」の問題です。非常に短期間で協議してしまうので、住民が議論に加わらないまま、新市建設計画ができてしまう。また、事務的なすりあわせが中心になり議会もなかなか議論に絡むことができません。今、法定協議会ができているところは、ほとんどが駆け込み合併にならざるを得ないため、非常に問題が多いです。
どう考え、どう対応するか
合併後、自治体と呼べるような行政組織がほとんどなくなるのではないかと思います。地方自治が果たして「自治」といえるようになるのかどうか、今まさに正念場に立たされています。その中で、私たちが踏まえるべきことは何か。
一つは「地方自治体とは地方政府である」。自治体の首長などの「合併は国の財政危機などでやむを得ない。協力しよう」という発言をしばしば耳にします。国との関係があるとしても、自立した地方政府であることを踏まえる必要があります。
第二に、「自治体にはいろいろな自治体があってよい」。国は似たような規模の自治体を全国に作り出そうとしていますが、人口何百万の都市から、合併しても人口三万ぐらいにしかならない過疎の自治体があり、かなりの差があります。世界には、人口何億人の国から数十万人の国まで様々な規模の国家があります。日本という国の中でいくつものレベルの自治体があって何がおかしいのか。むしろいろいろな自治体があった方がよいという考え方を大事にした方がいいのではないか。
第三に、自治体の主役は住民です。合併についても住民が是非を決めていく。そのためには情報が正確に伝わることが必要です。
第四に、自治体間の不信感が強まっていますが、これは非常に不幸なことです。合併するしないに関わらず、広域連合や広域行政は残っていくわけで、自治体間の協力や連携を考える必要があります。
第五に、特例債や交付税の算定替えでどれだけ金が使えるかという短期的な話が多いのですが、合併の是非は、交付税の算定替えが終わる十五年後以降に地域がどうなるか、長期的な視点で考える必要があります。
これらの点について、今われわれは、踏まえる必要があると思います。(文責編集部)