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『日本の進路』地方議員版19号(2003年5月発行)
違法献金事件によって、現職市長が逮捕、辞職においこまれる中で行われた沖縄県宜野湾市長選挙で革新諸政党の推す、前県議会議員・伊波洋一氏が自民党、公明党などの推す候補者を破り当選した。
伊波氏が基地の県内移設反対を全面にかかげ、県知事の進める名護市辺野古沖への移設を真正面から批判しての選挙だっただけに、その結果は少なからずとも今後の沖縄の県内政治に影響を与えることになる。
稲嶺沖縄県知事が県内移設を容認し、辺野古沖への移設を決定して以来、沖縄県内で行われた首長選挙はことごとく革新側の連敗であったことから、この宜野湾市長選挙の勝利は反転攻勢の大きなポイントになるものと思われる。
この選挙の争点の一つは「金と政治」という宜野湾市民にとって大変不名誉なことに端を発し、誰がクリーンな政治を確立することが出来るかということであった。
そういう点からすると保守系の候補者はそもそも事件を起こした自民党第二総支部所属の党員だった点も選挙結果に影響したと思われる。
しかし、何といっても最大の争点は、基地の県内移設をめぐる、基地政策だったことは間違いがない。
両候補の基本的な考え方はこうだ。
伊波氏は、5年以内に普天間基地の返還を実現させると言い切り、そしてその基地は海外に移設させるというもの。アメリカ本国の基地閉鎖が国内法で5年から6年で完了ということからの5年間を主張。
一方、保守系候補者は稲嶺知事の推進する県内移設を共に進めていくというもので、その中身はこれから15年以上の建設期間をかけて海上埋立基地を建設させ、そしてその使用期限を15年に限るとするもの。政府、沖縄県、名護市の3者による「代替施設協議会」が10回以上にわたって開かれており、一方で北部地域には「振興策」もすでに実施されており、この既決路線にそって進めていくのが最も基地を返還する早道であり、また、現実的な方法であるとするものである。
勝利の最大の要因は何であったのか
ご承知のように96年に「日本行動委員会」(SACO)の最終報告が出され、それによると普天間基地は5年から7年で返還とうたわれた。すでに今年でその7年が過ぎてしまった。普天間基地は市街地の中心部にあり、最も危険な基地である、ということから普天間返還が合意されたのではなかったのか。
約束の7年が経てもめどが全く立たない上に、この上なお15年以上の歳月がかかるといわれているのだ。このような事態を自ら招いた稲嶺県政の政治手法が本当に現実的かという思いが市民や県民の中に出てきているのだ。また同時に稲嶺県政のもうひとつのアキレス腱は、この基地に15年間という使用期限をつけたことだ。これは、いわば選挙公約として当時の大田県政との基地問題での差をなくす選挙戦術であったものが、今や完全に自分の手足をしばり自ら袋小路に入っている。15年使用期限問題が日米両政府から保証されない限り普天間移設は凍結といっているが、日本政府は本気でそれをうける気はないし、アメリカは問題外としているのだ。すなわち、普天間基地移設は深い出口の見えない闇の中に入り込んでいる。
今度の宜野湾市長選挙の勝利は、沖縄の基地問題のあり方についてもう一度、原点に戻って考えようという市民意志の明確な表れである。