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自主・平和・民主のための広範な国民連合
『日本の進路』地方議員版15号(2002年5月発行)
はじめに
約31万人の署名を集め、「神戸空港建設の是非を問う住民投票条例」をつくるよう直接請求が出されたが、神戸市議会は、これを否決してしまった。「市民こそが主権者である」という言葉が、何と空しく思えたことか。
住民の直接請求などを契機として制定された条例に基づく住民投票が、1996年8月に新潟県巻町で原発建設の賛否を問うて以来、米軍基地の整理・縮小などを問うため沖縄県が、また産業廃棄物処理施設の建設についての住民投票が、岐阜県御嵩町でと続き、その後も次々と運動が起こされている。しかし、住民投票条例案に対する議会の対応は、80%以上が否決で、可決されたものは10数パーセントという有様である。にもかかわらず、例えば市町村合併など、住民投票で住民の意思を問うべきだという声が強まっている。
政府は地方分権推進計画で、「住民投票制度については、現行の代表民主制を基本とした地方自治制度の下で議会や長の本来の機能と責任との関係をどう考えるかといった点に十分留意する必要があり、その制度化については、引き続き慎重に検討を進める」として事実上問題解決を先送りしている。そこで、ここではこの問題に焦点をあてることにしよう。
代表民主制と政党
まず政治制度の現状をみると、憲法はその前文に「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し…」また国政の権力は、「国民の代表者がこれを行使」することになっており、代表民主制を原則としている。そして直接民主制は、最高裁判所裁判官の国民審査と、憲法改正における国民投票など、わずかである。これに対し地方自治レベルでは、自治法に直接請求の章をもうけ、いろいろ規定しているし、また憲法95条には、一の地方公共団体のみに適用される特別法についての住民投票が規定されている。ここで国と地方の違いについては留意すべきだが、昭和40年頃から各地で起こってきた住民運動の対象事項とは異なっている点も、注目しなければなるまい。
ところで代表民主制は、政治が国民の政策作成への参加が必要であり、理想的な政治形態は直接民主制であるのだが、今日では制度的に維持しがたく、代表制議会主義のシステムをとらざるを得ない。だから代議制の下で人びとの政治決定への直接参加の要求は、本源的に直接民主主義の政治形態に近づけることである。間接民主主義であっても、可能なものは人びとの直接的な参加によって決定すべきであり、審議会などへの参画、陳情、請願、公聴活動、反対運動など、複線化をしておくことが必要である。国政レベルでも同様である。
また政党の機能をみると、日本では政党の党議拘束が強く、クロスボーティング( Cross voting )が認められていない。良識の府といわれた参議院ですら政党色が強くなっている。自治体にもその影響は及んでおり、代表機能は狭く、硬直する傾向がある。地方行政に対する市民ニーズは多様化の一途をたどっている。一人の人間が、利害相反する団体などに同時に所属していることも珍しくない。利害が錯綜する個人や諸団体の間で生ずる問題を、政治の場で一元的に調整することが、かなり困難であることが多い。このような事情を反映して市民参加の声は高まり、またさまざまな仕組みがつくられてきている。
町村総会の意味するもの
地方自治法89条で、普通地方公共団体に議会を置くと規定されているが、その94条で町村は、条例で第89条の規定にかかわらず、議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる、としている。現在町村総会は全く存在していない(かつて東京・宇津木村で行われていたが、昭和30年に八丈町に編入されて、なくなった)。しかも地方自治法は、制定以来これまでに、百数十回も改正されている法律である。にもかかわらず、この条文がそのままであるのは、小規模町村は議会を置くよりも町村総会へ移行する方が、安上がりである。ということではなくて、これこそが民主主義、地方自治の原点を示すものであるから、と受けとめるのが妥当なのである。
議会制民主主義は、一つの便法である。だが市民参加の一つとして、例えば市民委員会をとりあげてみると、その規約などでは「議会制民主主義を補完する」となっているのが普通である。しかし、「補完」というのは適切な表現とはいえない。政治権力を動かす人たちは、数人あるいは数十人を掌握するのは、必ずしも難しくはないが、数万、数十万人を動かすのは容易ではない。議員などのプライドに便乗して権力を集中し、利用して、民主主義のよそおいをこらせば済むという、ウマミは簡単には手放せない。あくまでも議会制民主主義が中心なんだと主張したい人びとがいるのである。「権力の源泉は国民に由来する」などとはオクビにも出しはしない。
住民投票と条例
これまで住民投票にかけられたものは、原発、産廃、基地、河川の堰などであり、また住民投票にかけるべきだとされた空港や干潟の問題など、公共事業にかかわるものが多い。ところで、これら特定の政策課題について、住民に対し直接賛否を問うものから、行政一般について、そのまちの将来を左右する重要な課題で、長や議会と住民の間に、意識の乖離がみられると考えられるものについて、住民の意思を投票によって知り、政治に的確に反映しようとする動きがでてきた。例えば神奈川県逗子市の住民投票付託に関する条例案である。これは1984年4月に市議会で否決されたので日の目を見ることはなかったが、市政の重要問題について住民投票を行うとした点で、注目すべきものであった。住民投票の発議を有権者の十分の一以上の連署による住民投票付託請求を出すことによって可能にしたことや、住民投票は有権者の三分の一以上の投票により成立し、有効投票の過半数で決まるなど細かな配慮がなされているが、とくに市域に八地区あるが、「その一地区以上の地区における有効投票の三分の二以上が全体の住民投票の結果と相反する場合、住民投票の結果は無効とする」とした点は重要な意味をもっている。市町村合併などで、市域が拡がった場合など、とくに考えておかなくてはなるまい。いずれにしろ、住民投票の必要性を議会が判断するのではなく、自動的に住民投票を行えるよう規定した、このような常設型の住民投票条例が増えていくだろう。
おわりに
沖縄県名護市で市長選挙が行われ、米軍普天間飛行場の移設受入表明をしている現職市長が当選した。投票行動は、一つのファクターではなく、沢山のファクターを考慮して行われるが、住民投票は特定の争点にしぼって住民の意思を知るものである。97年に行われた基地問題の可否を問う住民投票は、この問題についての住民の意思を率直に表したものである。だから市長が再選されたから基地問題についても、同意が得られたとするのは間違いである。それを百も承知の上で、なおかつ横車を押そうとする。これでは民主政治を遠くへ押しやり、政治不信を増大させることになるだけと言えよう。