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自主・平和・民主のための広範な国民連合
『日本の進路』地方議員版14号(2002年2月発行)
はじめに
市町村合併が大きくとりあげられ、人々の注目を集めている。かつて町村合併促進法(昭和28年)、新市町村建設促進法(昭和31年)などが施行され、太平洋戦争後に1万500ばかりあった市町村が、3300程度になったが、その後は微減を続け、いまは3200程度になっている。
ところで、ひと口に市町村といっても、人口3百数十万人を抱える横浜市から、200人程度の村まであり、それぞれ長い年月をかけて、集落が形成されてきている。地勢、歴史、文化等々の違いなど、さまざまな顔を見せている。だから自主的な合併を前面に出さざるを得ないのだが、それではとても合併はおぼつかないと考えて、国は都道府県に対して、全市町村を対象にする合併推進要綱の作成を指示した。また02年度の政府予算案では、地方交付税額の大幅削減を狙っていたが、全国町村会をはじめとした削減反対の、地方の強い意向を反映し、地方の財源不足を補うという交付税制度の基本は守られることになった。
しかし、交付税の配分をめぐっては、人口10万人未満の自治体に、交付税額の割増しを保障している「段階補正」の縮小が計画されている。小規模自治体を財政面で締めつけて、合併に誘導しようというのである。他方、合併推進事業費を増やすなど、財政誘導的なやり方がとられている。
筆者が少年期を過ごした徳島県麻植郡で、「市町村合併をともに考える全国リレーシンポジウム2001IN徳島〜とくしまウェーブ21・麻植郡の未来」が、昨年11月に開かれた。徳島県では現在9つの地域、35町村で任意の合併検討協議会が設置され、合併に向けての具体的な調査検討がなされているが、なかでも麻植郡(鴨島町、川島町、美郷村を合併重点支援地域に指定)は、住民意向調査や地元住民説明会を実施するなど、その取組みが本格化している地域である。県では、合併特例法期限内である平成16年度末までの合併実現をめざし県下全域で本格的な合併議論が行われるよう、積極的な情報提供に努めている、と報じられている(「都道府県展望」02年1月号、全国知事会)。
大合併の事例
市町村合併については、さきの大合併で身近に、いろいろ具体的な事例が示されている。例えば、広域合併の福島県いわき市は、5市4町5村が1966年(昭和41年)に合併して誕生したが、合併は新産業都市指定の条件であった。面積は1230平方キロメートル、市では最大の広さで、大阪府や香川県の3分の2もある。だが合併によって市が一体的で均衡ある発展をしているかというと、決してそうではない。ここではマイナス面にスポットをあてたいが、何といっても、市の中心部にさし当たって重点的に施策が行われ、周辺部はとり残されがちであることだ。過疎地では、より一層過疎化が進むが、合併前であれば、過疎地域の指定を受けて地域振興のための対策も立てられるのだが、市の一部になってしまえば、「過疎地域」に該当しなくなる。議会に議員を出したくても、旧村長すら議席を得る票数に遠く及ばない旧村の人口規模である。村役場は支所として残ったが、支所の権限はなく、ちょっとした事でも、本庁に行かなくてはラチがあかない。その支所も、やがては統廃合されることになろう。「政府・財界主導の合併論議は効率ばかりを追い求め、住民と自治体の精神的な結びつきを考えていない」という声が聞こえてくるのである。
村の地域は広くても、山ばかりで、そこここに、ほんの少し集落のあるところや、離島で市町村合併をしても、船で何時間も走らなければ、隣の島などにたどり着けないといったところで、市町村合併を論じるのは無益である。そこを財政的に切り捨てようというのは、もっと無茶な話である。
シャウプ勧告など
ここで市町村合併の出発点となったシャウプ勧告に立ち戻ってふり返ってみたい。シャウプ使節団日本税制報告書(昭和24年8月)では、「地方団体の事務は特に国民と密接なものがあり、地方行政の質と量が、きわめて重要な意味をもっている。のみならず、地方団体は、民主的生活様式に潜在的な貢献をするものであるから、強化されねばならない。また政治力は遠隔の地にあり、且つ個人とは無関係の中央政府に集中されるよりもむしろ分散され、国民の身近におかれる」としたうえで、地方団体の財政について、概要次のように5つの問題点を指摘している。
1 市町村、都道府県および中央政府間の事務の配分および責任の分担が不必要に複雑でありまた重複している。
2 財政の配分が若干の点で不適当であり中央政府による地方財源の統制が過大である。
3 地方自治体の財源は地方の緊要経費を賄うには不足である。
4 国庫補助金および交付金は独断的に決定されることが多い。また、それを受ければ、中央政府が地方に対して細い点において過度の統制を行使するようになる。
5 地方団体の起債権限はきわめて厳重に制限されている」
としたうえで、三段階(国、県、市町村)の職務の配分について、問題点を指摘し、基本的な考え方を示した上で、事務の配分を詳細に研究して、事務の再配分を行うよう勧告している。
これを受けて地方行政調査委員会議は、50年(昭和25年)12月に勧告(神戸勧告)を出した。とくに「地方公共団体が事務の処理を怠る場合、又はそのやりかたが適切でない場合等の弊害は、本来当該地方公共団体の住民が選挙若しくは各種の直接請求制度の手段を通じ、又は世論の喚起により批判し、是正すべきである。法秩序の維持は、最終的には司法制度によって保障するものとし、国は、性急な関与を戒め、住民の自主的な批判の喚起をまつ寛容さをもつべきであろう」として地方自治のあるべき姿を示し、国の権力的な関与を戒めている。端的にいえば、民主主義、地方自治を前提に、国、都道府県、市町村の三者の役割(機能)を明らかにし、それに従って事務を配分し、その仕事を遂行するにふさわしい権限と、税、財政措置をとるべきだ。というものである。
おわりに
それから50余年、国の財政的な統制、監督は依然として強く、一向に変わりばえはしない。権力の中核をなすものは、人事権と財政権である。だから国は何がなんでも、これを手放そうとはしない。いや、これを用いて地方を支配したいと、ひそかに思っているのであろう。
近代産業は、農、林、漁業を切り捨て、自動車や家電などを輸出し、外国の余剰農産物を輸入して、片貿易を防ぎ、都市に若者を押し出した。働き場を求めて都市に来た若者も今や定年退職期を迎え、都市に住む理由をなくして、劣悪な都市環境から脱出する者が出てきている。一方産業の海外進出で、国内は産業の空洞化が進み、失業率は異常に高まってきている。にも拘わらず、効率一点ばりで、自治の観点の全く欠落した財界人たちの、旧態依然たる合併論を進めるのは、寒心にたえない。
机の上で地図を広げて線を引くのではなく、その土地に住んでいる人が、足で歩いて町づくりを考える。「国から出向してきた役人は手柄をたてて、他県か、中央へ帰ればそれで良いが、ここで生まれ、育ち、死んでいく者は、うまくいかなくなったからといって、ハイ、サヨウナラという訳にはいかないんだ」という人々の声があることを、知ってほしいと思う。