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自主・平和・民主のための広範な国民連合
『日本の進路』地方議員版14号(2002年2月発行)
1972年5月15日、私の住む沖縄は祖国日本に復帰しました。ちょうど、私が30歳の時でした。その頃私は高等学校の社会科の教師をしていて、子どもたちに「平和憲法」についてよく話をしました。
憲法9条の「戦力の不保持」「交戦権の否認」「戦争放棄」のこと、自衛のための戦争も含めてすべての戦争を認めないこと、しかし、それもやがて侵略戦争はだめだけど自衛のための戦争までは否定しなくなるなど、9条についての解釈の仕方が時代とともに変遷していくさまを語ってきました。
そして今や、自衛隊は武器をもって海外に出向いていくまでに変貌してしまいました。
「平和憲法」のもとへと純粋に、期待して、息はずませて復帰したはずでした。
さて、復帰30年たった今、わが愛する沖縄はどうなったのでしょう。
ご存じのように、国土面積の0.6%しかないこの沖縄に、在日米軍専用施設の75%が集中する異常な状況が続いています。勿論、米兵がらみの事件・事故があとを断ちません。2001年に起こった米軍関連の犯罪検挙件数は70件・72人でした。5日に1件の割り合いで検挙されている事になります。解決されていない事件・事故はもっとたくさん起こっています。
ところで、1998年11月の知事選で大田革新知事が破れたあとは、米軍基地の押しつけのため、アメとムチの政策が露骨になりました。
今、沖縄は普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古(名護市)への移設問題で揺れています。
政府は日米間のSACO(日米特別行動委員会)報告にもとづいて着実に移設を進めると言いますが、田中外務大臣ですらSACOの報告を読んでいないという事実が大田昌秀参議院議員の国会における質問によって明らかになりました。
米軍基地は押しつけていながら、このようないい加減なことでよいのでしょうか。
その上、建設場所は「海上」のしかもリ一フ内となっています。SACOの報告では建設規模は当初は1300メー夕ーとされた滑走路が2700メー夕ーに拡大されるなど、とてつもない大きな基地を沖縄に押しつけようとしています。
来る2月3日に名護市長選があります。この巨大なヘリ基地の移設問題が問われていますが、革新サイドの人選が大幅に遅れたため、立傾補予定の宮城やすひろさんは苦戦を強いられています。自民党は中央サイドからまた、大きな圧力をかけて来ることでしょう。
2001年9月11日に米国で起こった同時多発テロとそれに続くアフガニスタンヘの報復戦争は、米軍基地を抱える沖縄の観光産業にも多大な損失を与えました。
修学旅行生のキャンセルが続き、約50万の人々があっという間に沖縄に来なくなりました。基地と平和産業である観光業は両立しないことがわかりました。
その結果、ホテル従業員のリストラやホテルに野菜や肉・卵などの食料を入れていた業者、観光バス、ホテル近くの居酒屋等など多くの人々が打撃を受けています。
誰もが平和を希求しているのに、むなしいいさかいや戦争が後を断たないことに腹立たしい思いをしています。しかし、あきらめて投げ出すわけにはまいりません。
沖縄から、あらたな決意をもって、さらなる平和への鐘をならし続けたいと思います。