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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2002年4月号
昨年の九・一一テロから半年たつが、あの衝撃が何だったのかはまだ解明されていない。一度も本土空襲すら受けていない合州国に、国外から武器を持ち込まずに旅客機をハイジャックして、政治・経済・軍事の中枢機関に体当たり自爆する方式で、それは戦争と平和、ゲリラと超大国、文化と政治などの壁を一挙に乗りこえた。しかも、一度こんなテロがおこった以上、炭疸菌、細菌兵器、その他ハイテク手段による合州国攻撃が今後もありうるだろう。ともかく、日系建築家ミノル・ヤマサキ設計の機能主義の代表的建築、世界貿易センターのツウィンタワーに、二機があいついで激突し一瞬後崩壊させる映像はほとんど芸術的で、ああいう現実に芸術がどう対応できるか、根本的反省を迫られているという文学者や芸術家は多い。
それに対してブッシュ大統領が「これはもう戦争だ、報復も戦争しかない」と宣伝し、一カ月後アフガニスタン攻撃をはじめたのは、テロの原因や背景を無視して古典的な国家概念・戦争概念だけでうけとめた局部的対応と思われた。しかもその一カ月間に、ブッシュは国連決議も国際法もとびこえて、NATO、SEATO(東南アジア条約機構)、安保条約などの軍事同盟・条約を基盤に、「テロと戦うか、テロを助けるかで、中間はない」という偏狭な二者択一をつきつけ、主要六十二カ国の同調・協力・支持を獲得した。わたしはベトナム戦争最中の一九六八年はじめて合州国を訪れて、多くの反戦運動家に会い言論・表現の自由が保たれているのに感心したが、今度はうって変わってファシズムに近い空気が支配している。ブッシュの支持率九〇%をおそれてか、アメリカのマスコミも戦争以外の選択肢を示さず、軍の公式発表を鵜呑みにしてアフガン民衆の被害を追求せず、戦争反対とTシャツに書いた少女は高校退学に追い込まれたほどだ。
こうして、三カ月の集中攻撃でブッシュ政権はタリバン政権を倒したが、ビンラディンとアルカイダを捕捉殲滅できず、アフガンとパキスタンに軍隊駐留のまま、フィリピンにイスラム・ゲリラ弾圧援助のため軍隊を送り、さらにみずから「悪の枢軸」と名づけたイラク、イラン、北朝鮮のどれかに戦線を拡大しようとする。さすがにイラク攻撃にはイギリスも同調せず、国内でも知識人・大学教授の反戦論が高まっているので、ブッシュもしばらく形勢観察中だ。ただこの間にグローバリゼーションという名の弱肉強食の市場経済の押しつけが、どこにでも出兵するアメリカの一極武力支配と、表裏一体であることが明らかになった。もうひとつ、ユダヤ人の入植と占領→パレスチナ人の反抗→イスラエル軍の何倍もの報復攻撃の悪循環が、アメリカの「報復戦争」のむしろ原型をなすことも明らかになった。するとテロ直後いち早くブッシュ詣でをして、報復戦争への全面支援を申し出、テロ対策特別法を制定して海外派兵を強行した小泉首相は、軍事上米国植民地なればこそ一極支配の悪代官として、帝国主義の末端に加えられたイスラエルの後を追うものだ。わたしは日米安保新ガイドライン関連法成立後『世界』増刊号に、これで日本は明治以来の独立国家の夢を投げすて、米植民地にして帝国主義の一翼という、イスラエル同然の代官国の道を選んだと書き、「よくぞ言ってくれた」「その通り」等の反響をよんだ。だから発効五十年目の安保条約を、今きびしく再検討する必要がある。
わが友武藤一羊によれば、戦後日本は(1)占領軍押しつけだが、戦争責任をみつめる民衆層定着した憲法の絶対平和主義、(2)冷戦下に占領軍が転換した反共自由世界原理、(3)主に保守党政治家による大日本帝国の継承原理と、たがいにあい容れない三つの原理の折衷的統合として成立した(『〈戦後日本国家〉という問題』れんが書房新社、一九九九)。だが、占領中から(1)違反して自衛隊という名の再軍備が進められ、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(岩波書店)が説くように日米支配層の合作で、つまり(2)と(3)の合体で、責任の所在があいまいな「天皇制民主主義」が形成される。しかも豊下樽彦『安保条約の成立』(岩波書店)によれば、昭和天皇が冷戦のドミノ理論にもとづく共産主義浸透の危機感から、特使として来日したダレスなどに会って日米軍事同盟をつよく要望したという(このこと自体政治活動にかかわらない憲法の「象徴」規定違反だから、昭和天皇に危機感に乗じてあわよくば政治・軍事権力復活の野望があったとみられる)。こうして安保条約と抱き合わせで日米講和条約の締結に至ると、日本の保守党政府は宿願の改憲に必要な勢力は当分獲得しがたいので、資本主義の経済成長という迂回路をとりながら、憲法の非武装不戦条項や人権条項をひたすら空洞化する解釈改憲につとめた。わたしの見方によれば、それは政治・外交・軍事の根幹をアメリカに預けて、国をあげて金もうけに専念すればいいという、植民地型モラトリアムの発端であった。そして武藤一羊によれば、前述の「折衷的統合」の上に成立した戦後日本国家はすでに崩壊したのに、それをこえる方向がどこからも示されていないという。
日本の新しい進路をさぐるため、核心的な課題が安保条約の見直しである。すでに一九七〇年代のはじめに、外相を経験した自民党国会議員木村俊夫は、安保条約は日米のどちらかが破棄を通告すれば、一年後に破棄されると明文化されているのだから、そろそろ破棄を考えた方がいいと『中央公論』で提言した。近年では元自民党議員後藤田正晴と作家小田実が、論拠は多少違うが安保条約をやめて日米友好条約から再出発すべきだと語っている。こういう論が何度もくり返されるのは、安保体制が一九六〇年の反対闘争、七〇年のベトナム反戦運動などを経ても変わらないだけでなく、とめどなくエスカレートするとともに、日本側にすべての負担を押しつける片務性も増大しているからだ。自衛隊の「専守防衛」のたてまえが、PKO傘下、周辺事態法、テロ対策特別法と段階的にふみ破られ、「有事立法」を待たずに海外のどこへでも出動できる状態になっている。その反面、日本の防衛はもっぱら自衛隊の任務で、日本駐留米軍は日本以外の地へ派遣されることになった。ソビエト崩壊とともに冷戦が終わって、アメリカの軍事戦略は一極支配の貫徹のためたえず新たな敵をつくり出し、そこに自衛隊も出動させようとする。すでに自衛隊も国内制空権を米軍の支配下におかれながら、新ガイドラインでは自治体・企業・交通機関・病院・学校などまで、首長の判断ひとつで戦時後方支援に総動員されることになる。米軍基地協定の面でも、ドイツでは九五年にNATO駐留基地を大幅に削減させ、イタリアも九五年に米軍の基地使用を自国家の管轄下におき、韓国では米軍基地返還運動の高まりに坑しかねて、米軍はすべての基地を返すかわりにソウル郊外に米軍専用の大空港をつくることを要求中と聞いた。それにくらべて、日本は基地に関する外交上の折衝がゼロにひとしく、「思いやり予算」で駐留米軍人家族の住宅・光熱費を含め年間二千六百億円を供出するほか、米軍人の犯罪に対する裁判権も放棄している。
安保条約破棄といっても小泉内閣は聞く耳をもたず、野党は実質的に崩壊にひとしいから、迂遠でも沖縄におけるように基地反対の住民闘争をもりあげ連合してゆく以外に実現の道はない。