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2002年1月30日
ヤン・エーベル「平和と未来学国際財団(TFF)所長
ブッシュ大統領の一般教書演説は美辞麗句に満ちている意味では立派なものであった。大統領は自信に満ちておりまた幻想に耽るかの如くであった。彼はアメリカ国民の心を癒したようだ。国会議員たちは立ちあがり何度も熱狂的な拍手を送った。わざわざ私は、演説を聞き、念を入れて教書を読み、かつその内容を分析してみた。何故私は心底この演説を、好戦的であり、他国に無礼であり、世界にとって凶である、と受け取ったのだろうか。
決して“反米”ではない我々の中に、耳目に入る諸事のために自分がますますアメリカ離れしていると思っている者がいるという事実について、我々全てがアメリカ人と話し合いを試みる義務がある、と私は信じるものだ。少なくとも私は、アメリカ合州国への強い憧れと共に育てられた。私の両親の世代は、アメリカ人がヨーロッパをこんな風に助けてくれたんだよといつも言っていたし、マーシャルプランやアメリカ社会の活力、アメリカの美術、文学、音楽、そしてアメリカ経済の奇跡の数々をいつも話してくれたものだ。1950年代末期から1960年代のアメリカは当時万人のあこがれの国であった。アメリカは多くが仰ぎ見自分たちもそうなりたいと思うような、社会と人についての未来像を持っていた。アメリカは理想の国であった。
これとは対照的に、2002年のブッシュ大統領演説は私に恐怖心を起こさせている。大統領演説を聞いて私はとても不安になっている。大統領の指揮指導を理想のものと考えることが私にはとてもできない。そして私は、アメリカという国、あるいはこのことでは他のどんな強国でもよいのだが、が存在しそして対等な諸国の一員であることを拒んでいるような世界に、どのような利点も見出すことができないのである。
自己賛美
大統領演説は謙虚さ、自己批判、そして違いを尊重する態度に欠けている。ブッシュ大統領は、えげつないと私が思うくらい自国賛美しかしない。大統領は、アメリカは今より強かったことはない、“我々”はこの戦争に勝っている、アメリカ国旗が翻っている、米軍の力、“我々”の大義が正当だ、アメリカは勇気、憐憫の情、決意、沈着を持っており、またアメリカには責任がある、と声を大にして言う。アメリカは極め付きの善国だから“我々は邪悪をより大きな善をもって打ち倒すことができる”。大統領は名誉心がアメリカの国民性の奥深くに根ざしていると理解しており、また、特にこの悲劇の時に、神は我がそばに在す、ということを悟ったのだ。アメリカは全ての人の自由と尊厳のために戦っているのである。
要するに、アメリカはただ善であり、善のみを行なうのである。しかし私たちの中の、社会科学者であり世界のいろいろな国を見て来た者は、どんな社会も幾分か肯定的でない面を持っているものであることを知っている。演説の中にアメリカの社会に取り付き続けている問題、例えばありふれた国内の暴力、が多々あるとの認識は全く無い。9月11日のテロ攻撃によって殺されたアメリカ人の10倍以上のアメリカ人が、同じアメリカ人に殺されているのである。
第二に、世界で自分の国についてこのような言い方で語る一国の指導者は他に居るものではない。我々は自慢するにもおのずと限度があるものだという考えで育てられるのが普通なのに、大統領はそうではないようで、独り善がりで自分はいつも正しいと思っている。ジョージ・ブッシュとブッシュの周りの政策決定者や演説草稿作成者たちはますます自分たちだけの世界に閉じ篭り、自分自身と自分の国について歪んだ像を持つに至っているのではないか、とどうしても思わざるを得ない。それとも彼らは、自分たちにはとても大きな権力があるので、こんなことを呪文のようにただ唱えていれば、イスラム寺院の寺子屋の子どもたちがコーランを信じ込むことを教えられ何の質問もしないように、大衆は信じるものだと思ってるのだろうか。
ブッシュが言う世界に出てこない概念と役者
ブッシュの演説に一欠けらの謙虚さも見出せないだけではない。同様に、連合して事に当った多くの組織体を始め大切な他の役者については、感謝の意を表すことはおろか言及することすらしていない。ジョージ・ブッシュはNATO、EU、OECD、WTO、そして国連について語っていない。更に、人権とか国際法についても述べていない。アメリカ合州国は世界の貧困、エイズ、健康、公衆衛生の問題を世界中の恵まれない人々の為に緩和する手助けをしたい、との言葉も無い。“人間として基本的に必要なもの”とか“世界全体の発展”とか“地球規模の環境問題”というような表現は一度足りとも出てこない。
また、9月11日はCIAとFBIにとって不可解な大失態であったが、その繰返しを避けるためにブッシュ政権が何をしようとしているのかを聞くことも無かった。事実、米国の社会や政治制度の改革については、学校について言っているほかは何の言及も無い。多国籍企業(Multinational Corporation、MNC)への経済力の集中、或いはかつてアイゼンハワー大統領が勇気をもって問題だと指摘した軍産複合体についての言及も無い。最後に、民主主義という単語も存在しない。
何が脅威で解決法は何かを世界を代表して独り決めし、他国との相談は不必要とする態度
次にアメリカの利益と世界の利益との意図的な混同がある。言い方を変えると、アメリカの価値基準は普遍的なものであり、それが受け入れられない場合には無理やり受け入れさせなければならない、という信念である。これをブッシュ大統領演説の伝えどころ、使命、あるいは帝国主義者の見地と言ってもよいだろう。彼はまた、とりわけ“アメリカの情けを世界中に施す”新しい自由軍団の創設を表明した。この自由軍団は“イスラム世界における開発と、教育と、そして向上の機会とを促進する”だろう、と大統領は述べている。
大統領は、国家連合という国際共同体の理念でもなく、国連の理念でもなく、アメリカの正義という理念を世界中に導入するとも言っている。“我が国の軍隊は、アメリカ合州国の敵全てが今や明確に理解できるメッセージを送り届けてきた。7000マイルも離れ、大洋と大陸を超えた、山の頂であろうと洞窟の中であろうと、我が国の正義から逃れることはできない、というメッセージを。”これの意味するところは、アメリカ合州国の外交政策最高指導部が敵が居るとみなした所にはどこにでも、アメリカはアメリカの正義を押し通す(法的にも、政治的にも、心理的にも)、ということである。これはアメリカの正義が敵国の法律はおろか国際法をも凌駕することを意味する、としか解釈できない。
世界を脅かすものはアメリカを脅かすものである。アメリカ合州国にとっての邪悪は世界にとっても邪悪である。だから、ワシントンの指導部がアメリカと同じく脅かされていると判定した他国を守ることは、アメリカの義務でありまた特権である。何が脅威かを規定し、優先順位を定め、手段を決めるのはアメリカ合州国である。アメリカはアメリカ自身および世界をどんな犠牲を払っても守るつもりだ、ということを誰もが理解している。世界に関するブッシュ大統領の認識と解釈に同意しない人々に向かって、“もし君たちが行動しないのなら、アメリカ人が断固行動する”と大統領は警告する。こんな警告もある。“全ての国は知るべきである、アメリカは思いがけない攻撃からアメリカとアメリカの同盟国を守るために必要なことは何でもする決意だ、ということを。”ここに世界は次のように通告されているのだ、世界に意見を求めることは無い、と。
このことは、これまでに悪いことをしたことは決して無くまたこれからも決してしない、それゆえ、論理的に言って、他国にとって何が最善かがわかるような根本から善の国、そんな国があって初めて理解できることに違いない。だがら、何が最善かということについて他国に話すことさえ必要としないのだ。
世界は殆ど“善対悪”
ジョージ・ブッシュの演説の中で彼が我々に提示している世界は単純で、ほとんど原始人のものである。それは知的詐欺行為である。彼の世界には西部劇映画のように、悪人がおりそして善人が居る、そして誰が善人で誰が悪人かを決めているのはアメリカ合州国なのだ。ブッシュはアメリカが“テロリストを何千人も捕獲し逮捕し世界から除去した[殺した-筆者註]”ことを誇っている。彼は北朝鮮、イラクおよびイランで構成する“悪の枢軸”について語る、まるでレーガンが悪の帝国、ソビエト連邦について話すような語り口で。我々は悪に打勝たねばならない、“悪は実際に存在するし、悪には対抗しなければならない。”
このように、絶対悪があり、絶対善がある、黒と白なのだ。ブッシュの世界には“我々と彼ら”が居る。今やテロリストが共産主義に取って代った。冷戦時代の語り口が戻っている。現実世界の複雑なことがら全てがこの図式に還元される。このような世界観がもっぱらアメリカ国内向けに提示されるのであれば、私のようなヨーロッパ人は、アメリカ人はとても賢いし教育程度も高いから、極度に複雑な現世界のかくも未熟な理解を信じ込むなどということはない、と思いたい。もしこの演説が世界でも最強の政策決定者集団のありのままの支配的な世界観の表われであるのなら、ブッシュ政権には様々な分野の善意の専門家たちの助けが必要である。アメリカの外交政策を下から支える知的前提は酒場の喧嘩の域を越える必要がある。
アメリカの優秀誇示性、国家主義、善性および選民性
ジョージ・W・ブッシュは、アメリカ合州国は審判としてまた救い主として他国の人々の上に立っている特別な国なのだというイメージを提示している。アメリカは国際共同体の仲間でも、あるいは一員でもないのだ。独立国家という強い意識、実際に国家主義意識を持つ国々、例えばクロアチア、セルビア、ソマリア、それから日本で私は仕事をして来た。これらの国々の国家主義は、過去4ヶ月の間に育まれブッシュ演説で亢進されたアメリカの国家主義に較べれば色あせて見える。危機に当って共に立ちあがり自国を愛することは立派であり、多分それを表現する言葉は愛国主義であるべきだろう。自国を断凸1位と考え他国全てを自分より下におとしめあるいは無視することに愛国心という言葉を用いるのは、国家主義あるいは盲目的愛国主義である。
“自由と正義は全ての国の全ての人びとにとって正しく本質的で変わることのないものだから、アメリカは自由と正義を守ることによって世界を先導しようと思う。”この言は空疎な言説であるか危険な言説であるかのどちらかである。この言は、これら自由と正義というものはいろいろ異なる仕方で解釈され実行され得るということを無視している。それはまた他の国が同じ事をする権利を否定している。しかしそう言うとブッシュは、少し行き過ぎと感じたかのようにこう付け加えるのだ。“我々は我々の文化を押し付けるつもりは無い、しかしアメリカは常に断固立ちあがる”
アメリカが選ばれた国であるということの正当性は、二つの根拠から出ている。一つは歴史で、“歴史がアメリカとその協力国に行動を命じている”、と言い、もう一つは神で、“神は我がそばに在す”のである。こうしてブッシュはアメリカ国民を殆ど聖書感覚で選民、善を行なうために選ばれ、歴史によってそして神によって選ばれた選民と考えているのである。しかしこれはキリスト教の根本主義が他のあれこれの根本主義と戦っている図以外の何物でもないのではないか。
すでに述べたように、自由軍団にはアメリカの情けを広めさせ―特別奉仕である―、また自由軍団はイスラム世界における開発と、教育と、そして向上のきっかけとを促進する。ブッシュ大統領がイスラム世界から何らかの軍団を招きアメリカ中でこれと同じようなことをさせるなどということを我々は想像できようか。
アメリカ軍国主義は国際民主主義の終焉をもたらす可能性がある
最後に、暴力への執拗な移行があり、先端技術を取り入れたあの圧倒的な軍事力への誇りがある。ブッシュは、アメリカ合州国はこの戦争に一日当り3千万ドル使っている、今はまだこの戦争の始まりに過ぎない、そしてもっと沢山軍事費が必要だ、と世界に向けて誇らしげに告げるのである。このことは、アフガニスタン復興の援助に贈ろうと言っている金額は対テロ戦争のたった10日分にしかならない、ということを意味している。その程度のお情けである。アメリカ合州国の軍事予算は4千億米ドルに近づくが、これは世界の全軍事費の半分―50%―に相当する。
合州国は、アメリカが名指した敵とならず者国家の全てのほぼ10倍大きな軍事費を持ち、したがって恐らく20倍という大きな軍事的技術的能力を保持している。こんなに強いものが、脅かされているとの強迫観念にそんなにとりつかれているのは一体何故なのだろう。これは健全な反応なのだろうか、それとも次第に悪化する病理学的な偏執病的反応なのだろうか。9月11日があのような手段を取らせたのだろうか、それともあの日の事件は他の目的にただ利用されているに過ぎないのだろうか。
今の合州国は史上最強の国家である。この一役者にやりたくない何かをやらせたりやりたいことをやらないようにと説得できるような役者や役者仲間は存在しない。アメリカの世界支配が一つのあり得る姿である。これはありとあらゆる国際民主主義の定義にもとる。全く善意から出ているにしても、一役者が他の役者全部の意向に反する政策を押しつけることができるということは、民主主義よりも一国支配主義に近い。
私は、現在および将来(少なくとも他に何人かの役者が競い合う力を持つに至るまで)の世界においてアメリカがこの地位に立ってはいけないない、と主張するものではない。ガンジー、マンデラ、マザー・テレサに類する偉人に主導されていようとも、一役者、一イデオロギー、一政策に他の全てを支配するような強大な力を持たせるようなことは、あってはならない、と私は言いたいのだ。
なぜブッシュ率いるアメリカ合州国は危険なのか
他者の無視、自己賛美、自己の価値基準の全世界への押し付け、世界の複雑さの非現実的認識、優秀さの誇示、そして我独り善であって歴史と神によって選ばれたという自己幻想的想念。このようなことがらが、長期世界戦争に注ぎ込まれる殆ど理解できない程巨大な技術的および経済的資源と結びついたらどうなるか。全世界にとっても、アメリカ合州国自身にとっても、有害無益な事態に必然的に導くお決まりの筋道がそこにはある。
もしアメリカ合州国指導部が世界と協調することを望まず、世界を支配したいということであれば、それは、アメリカ自身の最善の利益にも世界の最善の利益にも反するように働くことになる。そのような文明崩壊の道の先行きのどこかで、世界戦争あるいは全くの混乱状態が現実のものとなるだろう。
いかに困難であろうとも、今こそアメリカ合州国の崇拝国および同盟国が自身の深い懸念を声に出すべき時である。我らが偉大なアメリカを、祝福すべき国とも理想的な国とも思えず、むしろ危険な国と益々みなさざるを得なくなっている者が我々の中にいる、ということには確かな根拠があるのだが、このことを、アメリカ国民にわかってもらうにはどうしたら良いのだろうか。
ヤン・エーベル
1951年生まれ、デンマーク人、社会学博士、平和と未来学研究者。
ルント大学平和研究所前所長;デンマーク平和財団前事務局長;デンマーク政府安全と軍縮委員会前委員
客員教授として日本へ;平和への人民イニシャティブのための国際大学科学委員会委員としてイタリアへ
デンマーク平和高等学校およびデンマーク紛争処理センター共同創設者
2001年よりTRANSCEND共同代表
公表学術論文約3600ページ
仏教系の創価大学(東京)より名誉博士号を授けられる
北欧諸新聞コラムニスト
1997年より平和と未来学国際財団(TFF)役員会議長、同理事長、同旧ユーゴスラビアおよびグルジア紛争緩和チーム筆頭
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翻訳・寺尾光身