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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2001年9月号

「つくる会」教科書の採択率は0.1%

市民の良識、民主主義の勝利

子どもと教科書全国ネット21常任委員  石山 久男


市民の勝利

 来年度用の教科書採択が終わりました。日本の植民地支配や侵略戦争の正当化、皇国史観など歴史をわい曲する「つくる会」の歴史教科書(扶桑社版)は、異常な政治的圧力、違法な宣伝活動など、憲法・教育基本法や独禁法を無視した「つくる会」の活動にもかかわらず、公立中学校の採択地区では一地区も採択されませんでした。残念ながら、異常な政治的思惑で東京都と愛媛県の教育委員会が養護学校・ろう学校用として採択し、いくつかの私立中学でも採択されました。しかし、正確なデータは出ていませんが、採択率一〇%を目標にしてきた「つくる会」は〇・一%程度だったのは確実です。
 これは全国各地の保護者、市民、教師、学者をはじめ「つくる会」教科書に反対する大きな世論の力です。市民の良識、民主主義の勝利だと思います。
 今回の教科書運動は、歴史をどう見るかという問題をめぐって大きな運動になりました。約七カ月で全国で千カ所をこえる学習会、講演会などの取り組みが展開されました。戦後、歴史認識の問題に正面から取り組んだ、これほどの大きな運動は初めてだったと思います。戦前からの保守層が戦後も政権を握り続けてきたために、あいまいにされてきた過去の植民地支配や侵略戦争などの歴史認識が、広範な市民的な規模で改めて問い直す結果になりました。この点が大きな成果だったと思います。今後のいろいろな運動や日本のあり方に、いい影響を及ぼす結果になると期待しています。
 これまで、三回の教科書攻撃がありました。第一次と第二次教科書攻撃は結局、文部省の検定をめぐって闘われたため、対文部省中心、つまり東京中心の運動にならざるを得なかったわけです。一九八〇年代の第二次教科書攻撃については、アジア諸国の反発もあり、「近隣諸国条項」が設けられたため、それ以降は侵略加害の記述には検定意見がつけにくくなりました。今回は問題が検定の場から採択の場に移ったので、より一層市民的なレベルの運動を広げる要素になったと思います。今回、「つくる会」という民間団体を押し立てて攻撃してきたけれども、それによって、むしろより一層広い規模で市民の中に関心を広げる結果になりました。
 もう一つはアジアとの関係でも今回は大きく前進したと思います。八〇年代の教科書問題では韓国や中国から抗議がありましたが、政府レベルの話でした。今回はそれがアジアの諸国の中でも民衆レベルの運動として広がった。韓国の中でも今までのような単なる反日、ナショナリズムの鼓舞というような運動ではなく、二十一世紀の平和なアジアを作ろうという我々とも共通する目的が非常にはっきり表れてきました。政府が合格させた「つくる会」教科書の採択率が非常に低かったことは、韓国の国民も大きなショックだったようです。日本人の多くが歴史のわい曲に反対し、アジアとの友好連帯を求めていることを示しました。お互いの民主的な運動を知りえるようになったことは、これまでにない特徴です。今後のアジアとの友好連帯をめざす上で大きな足がかりになると思います。
 普通の教科書会社なら、採択率が〇・一%以下というのは大打撃で、商売にならないのでつぶれます。しかし、「つくる会」は「四年後にはリベンジする」「三年後に小学校の社会教科書もつくる」などと発言しています。全国の議員を動かして、教員など現場の声を排除する採択制度の改悪をさせたり、「つくる会」教科書を支持する人を各地の教育委員会に送り込むなどしました。それらの背景には一部財界も含めて相当な資金力がバックにあります。彼らの体制をあなどれません。
 各地の教育委員会には委員が五人います。五人の委員のうち、三対二でかろうじて扶桑社の教科書不採択という状況がかなりありました。しかも、現場の意見とは違う教科書が採択されたということもかなり明らかになりました。例えば、東京の八王子市では、現場の教員の意見では日本書籍(唯一、従軍慰安婦を記述した)が圧倒的多数でしたが採択されなかった。これまた非常に大きな問題を残しているわけです。
 現場の声を無視して採択した最たる例が東京都と愛媛県の教育委員会です。つまり市町村の現場とも切り離された、現場から一番遠いところで、教育委員の首をすげ替えていく中で「つくる会」教科書が採択がされた。愛媛県知事は文部省の元官僚ですし、東京では石原知事になってから任命された教育委員が「つくる会」教科書を支持した。この意味でも政治的な力で教科書がつくられ、政治的な力で検定合格になり、採択の場でも政治的な運動が行われた。教育を政治の道具にしたという点で、これは非常に罪深いことです。

今後の課題

 一つ目は、きちんとした採択制度にすることです。九七年「将来的には学校単位の採択の実現に向け、…当面は…教員の意向が反映するよう採択地区の小規模化などの工夫改善」を閣議決定した。それを完全に文部科学省は無視してやりました。
 元に戻すということではなく、現場の意見を一番反映しやすい学校ごとの採択にすることをめざすことです。そうなれば、親や子どもからの批判に立たされるわけで、みんなに支持される教科書が採択されるようになると思います。
 二つ目は、戦争の実態など歴史の事実を正確に教科書に記述する問題です。慰安婦の問題が象徴的ですが、現行七社のうち日本書籍以外が削ってしまった。また侵略という言葉もほとんど使われなくなるなど、記述内容が後退しています。「つくる会」側は、その点を成果として評価しています。この責任を追及して、国民の世論で、戦争の実態など教科書の記述をきちんと正確に書くような状態に直していかなければならないと思います。
 最近のNHKスペシャル「歴史教科書はこうして教科書は採択された」で、「どうしても踏み込めない教育長・委員、校長には『つくる会』や『改善協』ルートで議員を使ってほしい」と扶桑社の営業会議がリアルに報道されていました。政治的な力で教育に関与しようとしていることは明確です。今後も「つくる会」の異常なやり方を一層批判していかなければならないと思います。
 三つ目は、文部省の検定制度についてです。今回の検定もいいかげんでした。扶桑社の教科書は、歴史で百三十七、公民で九十九の修正がされて検定合格となりました。しかし、とくに歴史については、合格後も歴史学者の団体からたくさんの誤りが指摘されています。つまり多くの誤りを承知で文部省は合格させた。期限内に直せる範囲に修正の数をとどめた。今までなら、必ず検定意見がつくような記述でも付いていない。家永教科書裁判では、文部省が気ままな検定意見を付けたので争った。今回は非常に気ままなやり方で検定意見を付けず合格させた。検定のあり方も追及すべき課題だと思います。
 根本的にいえば、「つくる会」のような歴史の見方が堂々と世に出てくるのは、戦後、歴史認識があいまいにされてきた結果です。植民地支配や侵略戦争をどう自覚するかという歴史認識の問題です。また今後、日本がどう生きるのか、アジアと共生できるのかという問題です。靖国問題も同じ根をもつ問題です。その根本をちゃんとただしていかないと、この問題は繰り返し出てきます。根本を断つためにも、国民の間で歴史をきちんと学び、正しい歴史認識を広める必要があります。
    (文責編集部)