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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2001年9月号

六〇年安保闘争をふりかえって

職場闘争と結びついた安保闘争

世田谷地区労顧問  花輪 不二男


職場闘争と安保闘争

 六〇年安保当時、二十七歳でした。職場は東京都の都税事務所。世田谷地区労の共闘担当として争議対策をやっていました。
 安保条約の改定期を迎えるということで、改めて安保条約の条文とか、背景などを勉強しました。しかし、職場で安保改定阻止闘争を盛り上げなければといっても、最初は現場の雰囲気は重かった。戦後直後の飢餓状態は脱していましたが、国民生活にゆとりはなく、生活するのに精一杯の時代でした。
 だから安保闘争だけでは、あれほど大きな闘争にはならなかったと思います。生活がひっ迫していましたので、生活問題を常にかかげて闘っていました。三池闘争に代表されるように、産業構造の大きな変革の時期にあった。エネルギー源を石炭から石油に転換するというエネルギー転換は、アメリカの石油資本の要求でもあった。日本の資本側も安価なエネルギー源として石油を選び、石炭産業の縮小、炭労はつぶされる流れが作られました。首切りや合理化に反対して三池の労働者は大闘争を闘った。僕たちも支援のカンパを送ったり、オルグ団として炭住に何日も泊まって炭労の闘いに学ぶということで取り組みました。
 そういう時代でしたから、全国各地で労働者が様々な職場要求をかかげて闘っていました。今でも同じですが、職場の要求一つだって、闘い取るしかなかった。そういう課題とあわせて、安保闘争をかかげて闘った。歴史的な安保闘争への盛り上がりを支えたのは、労働組合の職場闘争だったと思います。転換期でしたから、労働者が犠牲にされる。その最大の根源は安保にありという主張が実感する情勢でした。
 職場集会などで安保改定の危険性を訴え、動員で国会デモなどに出かけました。社会情勢や安保問題を勉強して訴える。これも安保だ、あれも安保だと。自分自身も鍛えられたと思います。当時は若手が多かったこともあり、一緒に集会に行こうと言えば行こうという話になる。昼間は組合の動員、夜は共闘会議の動員。昼も夜も国会へ向かって行ったこともあった。そういう闘争が次々組まれ、当時の情勢も流動的であったのでだんだん高揚していった。
 総評の統一行動として、国労や私鉄など交通機関のストライキは大きな影響がありました。国労と私鉄は六月に三回ストライキをしました。国労のストには僕らも応援に行きました。官公労も及び腰でストライキに参加していきましたが、そのスローガンは職場の要求と日米安保改定反対を常に並べていました。そして三十分ストから一時間、一時間から四時間というふうに徐々に情勢の高まりの中で引き上げていった。
 アメリカは戦後直後は日本に軍事力を持たせない方針でした。九条を含む平和憲法を認めていた。ところが、朝鮮戦争になって東西冷戦が始まると、朝鮮半島をにらみ日本をアメリカに協力する政治体制に変えていく戦略に転換しました。それが再軍備であり、日米安保条約でした。アメリカの思惑で日本はどんどん変えられていきました。
 そういうアメリカの戦略に乗ろうという勢力が自民党でした。とりわけ、戦犯だった岸信介が首相になったんですから無茶苦茶です。平和憲法と再軍備や日米安保は根本的な矛盾です。だから、安保改定の政府答弁は矛盾だらけです。例えば、安保条約での米軍の行動範囲(極東の範囲)について、政府答弁は二転三転した。軍隊ではなく自衛隊といったり、戦車ではなく特車と言い張ったりした。実際にはアメリカのお先棒を担ぐのが日米安保なのに、真実を言わず言いくるめた。日本の政治は封建時代と変わらず「依らしむべし、知らしむべからず」です。社会党議員などが政府を追及する国会の安保論争の高まりと、国会外の大衆的な集会やデモが連動して、大きく盛り上がってきました。
 安保闘争を闘ったのは労働者だけではありません。学生、学者文化人、商店主、一般市民など広範な国民が参加しました。敗戦後、占領国として米軍が君臨し、日本人を人間扱いしない振る舞いを体験していました。朝鮮戦争をへて東西冷戦の中で、アメリカの戦略のお先棒を担ぐ日本に変えられていく。政治反動も急速に進む。アメリカの押しつける日米安保によって平和憲法が壊されるという思いも強かった。経済も含めて日本があらゆる面でアメリカナイズされていく。経済苦の背景にアメリカによる経済支配があり、反発を感じていたと思います。いろいろな面でアメリカに対する反発があり、とりわけ若者の多くが安保闘争に参加していきました。

労働運動の再構築を

 六〇年安保からすでに四十年が過ぎました。日本は形式的に言えば独立国ですが、本当に独立国なのか。日清戦争、日露戦争にしても、アメリカ・イギリスの軍事援助がなければ戦えなかった。第二次大戦後は、アメリカの占領、そして朝鮮戦争でアメリカに協力したことで経済復興していく。常に日本は従属して育ってきた。アメリカの先兵として、侵略行為もあわせてやってきた。いまだに沖縄をはじめ全国に米軍基地があります。アメリカの後ろ盾の中で日本は経済発展してきた。だから歴代政府は、アメリカに逆らえず、忠誠を誓う。
 九六年の安保再定義、新ガイドライン関連法など、日米安保はますます危険なものになっています。対外的にはアメリカに従属しながらアジアには高飛車な姿勢を強める。変質する日米安保のもとで、戦争ができる国になろうとしています。
 日米安保は軍事的な問題だけでなく、経済面での支配もあります。日本がアメリカの国債や株を買うのもドル支配(アメリカ支配)の表れです。日本経済のためにアメリカの国債を処理するといったら一発でやられたわけでしょう。いまもヘッジファンドで株価が操作されて、日本経済は一喜一憂している。そのために金利も操作されています。
 日本が経済発展し、労働条件もそこそこ、食うや食わずという状態はなくなった。一皮むけば、ホームレスになる時代ですが、一般的には職を得て働いてさえいれば明日のコメに困る生活ではない。だから労働組合もあまり闘わなくなりました。
 しかし、長期不況が続く中で、「痛みを伴う構造改革」断行をかかげる小泉が登場した。IT時代といっても資本主義の本質は変わりません。長期不況の中で激しい生き残りの争いが行われ、巨大な資本はさらに巨大に、弱い者は淘汰される。小泉改革が進めば、この争いはさらに激烈になり、多くの国民に大変な犠牲、痛みを強いるわけです。だから状況は大きく転換すると思います。
 構造改革で痛みが出始めて、労働運動が動くかどうか。価値観が多様化して、労働組合と政党の位置付けも非常に多様化してきています。これからの労働運動や政治闘争の関係で大切な問題は統一戦線だと思う。この旗にとまれと言うだけではまとまらない。しかしこの旗と共通の色合いをもった旗をいくつか振る人がいれば、労働運動や政治戦線は再構築できると思う。政治反動が強まり、構造改革による労働者の痛みが強まる中で、政党系列でまとめるというやり方でなく、共通点をより大切にまとめていく統一戦線をめざすことが重要だと思います。(文責編集部)