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2001年6月23〜24日付
米国紙「インタナショナル・ヘラルド・トリビューン」より(和訳)

日米安保条約は廃棄されるべきである

野田英二郎


 内容を伴わない流行語を聞くことは、日本では珍しくない。「同盟」−−「アライアンス」を意味する−−がその一例といってよい。新聞報道は屡々、米国が今やその「日米同盟」の強化を希望していると伝えている。しかし同盟強化に賛成する意見の論拠は疑わしい。
 先ず、「同盟」は共通の敵の存在を前提とする。しかし、日本には、少なくとも1990年代から敵は存在しない。況や、米国との共通の敵は存在しない。
 次に、米国にとっては、軍事基地の維持が日米安保条約の中で最も重要な局面である。しかし、いわゆる基地問題なるものが、1945年以来、米国と現地住民−−特に沖縄の−−との間の恒常的な摩擦の原因となっている。周辺住民は、米兵の不行跡からくる頻発する事件に加えて、頻繁な低空飛行や夜間離着陸訓練などに激しい苦情を訴えてきた。大多数の日本人は、これらの基地の維持のためにその経費の75%を日本人納税者が負担しているときに、何故このような基地の状況に我慢し続けなければならないのか納得していない。5月16日に発表された内閣府の世論調査によれば、米軍基地が日本の安全保障に必要だと答えた沖縄住民は僅か9.8%にすぎなかった。
 日本国憲法には、「主権が国民に存する」、「全世界の諸国民は、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」と書かれている。しかしながら、このような基地問題の実情をみると、筆者は70年代早々にプラーグに在勤していたので、旧ソ連衛星国のひとつのチェコを思い出す。チェコでは、国民は比較的高い生活水準たのしんでいたが、首都の北方に恒久的に駐屯するソ連軍がいて、チェコの政府は自国の外交政策を決定できないでいた。
 米原潜グリーンビルに衝突されて、えひめ丸が沈没した事件は、悲劇であったのみならず、日本人の気持の中で米軍全般のイメージに深刻な打撃を与えた。
 引き続いて、海南島沖における米中軍用機衝突事件がおきた。米国が公式には中国を敵とみなさないと言っているのに、中国の沿海で偵察飛行を継続する必要があるのか? 日本政府は何故、日本国内の基地から発進するこのような偵察飛行を容認しなければならないのか? 今後、類似の事件がおきて米中間の軍事衝突に発展した場合には、日本としては中国との友好関係を害するリスクをおかすことになる。
 4月25日、ブッシュ大統領は、台湾の防衛を助けるために必要なことは何でもすると宣言した。しかし、台湾海峡で武力衝突がおこったときに米国に協力することを、日本の有権者が認める公算は極めて小さい。
 日本国民の大多数は、疑いなく米国との友好関係の維持を望んでいるし、また日本の安全保障のために安保条約が既に果たしてきた歴史的使命を評価している。更にわれわれ日本人は日本の民主化の改革を始めさせることにより、米国が戦後の日本の再建を助けてくれたことに深い恩義を感じている。
 しかしながら、安保条約に基づく防衛協力の今日のシステムは、いよいよ益々現実から遊離したものになりつつあり、このまま持ちこたえることはできない。極東の地政学的な情勢と基地問題の不幸な現実というふたつの観点から見て、このいわゆる同盟なるものは外交上の美辞麗句を超えるものではない。
 何人かの米国の防衛問題専門家は、1990年代以来、この同盟を強化するよう日本に迫っているが、これらの努力は、日本人の大多数を説得できていない。のみならず、むしろ、戦後の民主化の成果を白紙に戻そうとの意欲を燃やしているようにみえる日本の超国家主義勢力を知らず知らずのうちに勇気づけているのである。
 日米両国が、より健全で永続的な関係を共有するためには、この安保条約を終了させ、米国の全軍事基地を撤収させ、そして新たに友好協力条約を策定することが、両国政府の真の利益にかなうであろう。
 日本は、核拡散防止条約を引き続き遵守して核武装せずに自国の安全保障を運営してゆくべきであり、それは可能である。広島及び長崎への原爆投下は当然に日本国民に核兵器への強い敵意を抱かせることになった。日本は、500億ドルの年間防衛予算をもち、既に十分な通常装備−−特に海空−−の防衛力を備えているのである。
 経済的相互依存の国際社会が出現していることが、アジアにおける平和への最良の保障となっている。日本としては、政治的中立の立場をとることによってこそ、平和愛好国家たらんとする憲法上の誓約を守ることが可能になるであろう。