国民連合とは月刊「日本の進路」地方議員版討論の広場 集会案内 出版物案内トップ


自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2001年5月号

ハワイ・沖縄・海南島
  ―西太平洋の活断層―

元インド大使  野田英二郎


はじめに

 先日、神戸の三宮で「阪神淡路大震災復興支援館」を訪れ、淡路島から神戸市内を横切る活断層の図解を見ました。直ちに連想したのは、少し飛躍しますが、西太平洋の情勢です。
 ハワイでえひめ丸が米国の原子力潜水艦に衝突されて多くの犠牲者を出す悲劇があり、その後、沖縄の嘉手納を基地とする米海軍偵察機が中国に対する偵察活動を行って、海南島沖で中国の戦闘機に接触し墜落させ、王偉という中国飛行士の生命が失われる事件が起こりました。このところ何やら不吉な不安定感が漂っています。この情勢をどう考えたらよいのでしょうか。
 戦後すでに半世紀。わが国は日米安保体制の中で安住してきましたが、いまその利害得失を真剣に再検討すべき段階にきています。自然の活断層は撤去できませんが、人工の活断層は、それが不要になれば捨て去るべきでしょう。「保つに時があり、捨てるに時がある」と旧約聖書が教えています。

アジアの中の日米安保

 そもそも日米安保条約は、敗戦降伏占領の状態から日本が独立を回復するため、一九五一年にサンフランシスコ平和条約を締結したとき、すでに朝鮮戦争が勃発していた当時の国際情勢の下で、米軍に立ち去ってもらうことができなかったので、やむを得ず、いわば緊急避難で米軍の引き続く駐留を吉田茂首相が認めたところに由来します。一九六〇年の安保改定は、米国の日本防衛を義務付けましたが、その対価として、日本は主導的に基地を提供することにより、米国の戦略に積極的に協力する立場に移行しました(このとき、吉田茂は改訂の意義と必要性に疑義を呈したといわれます)。何れにせよ、平時において、外国の軍隊の駐留を認めることは異常であり、国際社会で正常ではありません。米ソ対立を背景に、朝鮮戦争の後にも、ベトナム戦争があり、米国のアジア戦略を主たる要因として在日米軍基地が存続してきたのです。
 このようなアジアの冷戦の終わりは、一九七〇年代初頭に日米両国が中国との国交正常化にふみきったこと、さらには一九七八年に中国がケ小平氏の指導下に改革開放政策の実施に取り組んだことにはじまりました。中国が、経済建設により国民の生活水準を向上させることを至上の命題として、周辺に平和な環境を作る政策を打ち出したことにより、東アジアの緊張は決定的に緩和されました。一九八〇年代から九〇年代に入ると、アジアでは、紆余曲折を経ながらも、友好協力・相互信頼・共存共栄の国際社会が着実に構築されはじめたのです。日米安保の存続の必要性も実質的に消滅しはじめていたといってよいでしょう。
 一九八九年のベルリンの壁の崩壊とドイツ統一で、米ソ間では冷戦終結が公式に宣言され、さらにソ連の崩壊で、米ソの冷戦は決定的に解消しました。ところが、アジアでは冷戦が上記のように、ヨーロッパにおけるよりも早く終了をはじめていたにもかかわらず、米国は「不安定要因」をことさら強調して、一九九五年二月の「東アジア・太平洋の米国の安全保障戦略」を打ち出し、翌九六年四月には、いわゆる台湾海峡危機と前後して日米安保共同宣言が発表されました。さらに、米国の台湾関係法と連動するかの如く、わが国は一九九九年に周辺事態法を成立させたのです。この経過をふりかえると、米国にはアジアで本格的に緊張緩和が進むことを阻止しようとする考え方があり、自然死をとげてよい日米安保体制にいわば生命維持装置をつけたといってよいでしょう。

日中米三国の関係

 日中関係をみれば、一九七二年の日中共同声明と一九七八年の平和友好条約、さらには終戦五十年の一九九五年の村山首相談話により、中国との相互信頼・善隣友好の基礎が築かれました。両国の相互依存関係は、その後飛躍的に拡大しており、たとえば、二〇〇〇年の両国間貿易額は九百億ドルに達しました。わが国が韓国とも友好関係にあることもいうまでもなく、ロシアとも平和条約が未締結であるとはいえ、正常な外交関係にあります。
 日本の立場をいえば、少なくとも一九九〇年代以降、その周辺に仮想敵国は存在しません。従って、米国との共通の仮想敵国はもちろんありません。にもかかわらず、共通の仮想敵国の存在を前提とする「同盟」という言葉が、いつの間にか、ひとり歩きをしているのは理解困難です。しかも、基地の存在こそが米国側からすれば日米安保の最大かつほとんど唯一のメリットであるにもかかわらず、正にこれらの沖縄をはじめとする日本全土にある米軍基地の周辺で、住民の苦情は夜間離着陸訓練、低空飛行、実弾射撃訓練等々、枚挙にいとまがありません。国民の多数は、何故これほどまでに犠牲を払って、しかも七五%まで日本国民の税金で、米軍基地を提供せねばならないのか納得していません。沖縄ではもちろんのこと、日本全国の米軍基地は、日本国民の多数が既成事実としていやいやながら受け入れているにすぎません。これらの基地の存続を、いわんや、これらの強化・拡充を積極的に支持しているとは到底思われません。「同盟」は、基地の現実から遊離した美辞麗句であり、いわば砂上の楼閣です。
 一九九六年の台湾海峡での緊張状態に際して、米国の空母などが在日海軍基地から出入することにつき日本政府はまったく介入しませんでした。この対応ぶりをみて、日本は「半独立国」だと在日外国人ジャーナリストたちは評しました(一九九六年五月十一日付、週刊『東洋経済』)。最近の海南島沖の米中軍用機衝突事件も解決していません。米国は中国の抗議と中止要求にもかかわらず、沿海の偵察活動を継続する旨公式に述べています。このような米軍の活動は、沖縄をはじめとする在日基地群の機能、そして、これを可能にしている日本政府の協力を背景とするものです。米国のブレジンスキーは、日本が米国の事実上の保護国だと書いており、またチャルマーズ・ジョンソンは昨年の著書に「日本は旧ソ連圏の東ドイツと同様、経済的には繁栄しているが、政治的には米国に従属している」と述べています。日本は遺憾ながら依然として半独立の状態にあります。
 一体、米国が中国を敵視してはいないといいながら、非友好的な偵察活動を続ける大義名分はあるのか。日本はこのような米軍の行動を暗黙のうちに容認し、在日基地がこのために使用されるのを許さなければならないのか。もしまた海南島沖での衝突事件と類似のことが起こったとき、わが国は「周辺事態」としてこれに巻き込まれてよいのでしょうか。そうなれば、中国との友好関係は破壊されます。わが国の利益にはなりません。
 特に、米国のブッシュ新政権は、国際的協調よりも米国一国の国益を一方的に主張し追求する対外姿勢が目立っています。そして緊張緩和にことさらに逆行している印象をぬぐえません。南北朝鮮の首脳会談を実現させた金大中大統領の太陽政策がアジア各国で歓迎されていたのに、訪米した金大統領に対して、消極的否定的態度をとり、金大統領を落胆させました。また特に、海南島沖での米中軍用機衝突事件勃発以後の米政府の態度は公平にみて高圧的です。しかもブッシュは四月二十五日のテレビインタビューで、台湾が中国から武力攻撃を受けた場合は「米国としてできる限りの支援をする」と述べました。これは米国政府の従来の「曖昧さ」を払拭した表現であり、注目を要します。今後、米中間の対決の様相が強まったとき、日本国民の多数は、二人三脚の「同盟」のゆえに、米国に協力させられることに同意するでしょうか。しないと思います。
 日本国民多数が、米国との間に友好関係を維持したいと希望していることは疑う余地もありません。しかし、日米安保体制にはあまりにも無理があり、いかにも日本国憲法より上位にあるかの如くで、有権者の感情を逆なでしています。日米の友好関係を真に安定した永続的なものとするためには、一日も早く、すべての米軍基地が撤去されるよう、日米安保条約第十条に基づく「終了」を提起し、新しい平和友好条約におきかえる交渉を始めるべきでしょう。
 明治の先輩は、諸外国との間に幕末に結ばれた諸条約が、関税自主権がなく、治外法権を認めた不平等条約であったので、明治三十年代に至るまで「条約改正」を外交の第一課題として苦心に苦心を重ねました。しかし、よく考えてみると、外国軍隊に恒久的に駐留を許している日米安保条約ほど日本の歴史で不平等な条約はありません。戦後の半世紀に及ぶ既成事実に慣れてしまったために、日本の特に若い世代の人々は、このことに気付いていないのではないか。この点からも、安保条約の「終了」と新しい平和友好条約の締結こそは、これからの国民的課題であってよいと思われます。しかも、米軍に依存しなくても、日本自身がすでにイージス艦やF15戦闘機等々の海空の近代的装備を中心とした世界第一級の自衛能力を備えるに至っていることも周知の通りです。

おわりに

 戦後の日本国民は、過去の歴史への反省を出発点として、新憲法の下に、民主主義と平和愛好国家としての外交を営々と努力して築いてきました。ところが、このような半世紀の努力と成果の意義を認めず、明治憲法と教育勅語を根幹とする、あの戦前戦中の時代を賛美し、それに逆転させようとする趣旨の教科書が出現し、少なからぬ字句の修正があったとしても、文部省の検定を通過したことはまったく驚くべきことです。昭和二年の生まれで、日中戦争に始まる戦中の暗い生活が記憶から去らない者として、背筋が寒くなるのをおぼえます。さらに驚くべきことは、この問題について国内外の批判を黙殺しようとする風潮が感ぜられることです。国際社会からの孤立を意に介しない内向きの社会になれば、今の日本は一九三〇年代当時の日本と比較して、あまり進歩していなかったことになり、二十一世紀のグロバリゼーションの世の中で、時代錯誤というほかありません。
 このままでは、日本はまた孤立し暴走して敗戦・降伏に至った明治大正昭和の歴史を繰り返すのではないかと懸念されます。あの「歴史教科書」がいわば反面教師の役割を演じ、国際社会に受け入れられる健全な良識が国民の多数を占めることを願わずにはおられません。
 もうひとつ。先日、日本政府は、李登輝という台湾の政治指導者に、入国査証を与えました。台湾独立を志向しているとして、中国が強く敵視しているこの人物の入国を許したことは、病気治療のためという理由があるにせよ、台湾海峡の不安定を増幅させる効果をもたらしたことは間違いなく、まことに不適切な措置であったと言わざるをえません。しかも、査証賦与が米国と連動したことは、いよいよ中国の不信感を増幅させています。
 いずれにせよ、日本の平和と安全を守るための安保体制は、すでにアジアに不安定要因を増幅させる危険な活断層になっています。もう、草の根の国民感情からいえば、安保はいらない、基地もいらないのです。しかも「日米協力」という枠の中にかくれて、日本自身の軍事力が増強されている上に、さらにこれに歴史認識の欠落したナショナリズムまでが加わることになれば、日本が、アジア最大の不安定要因になるおそれがあると言っても誇張ではありません。
 日本の内外の諸問題を基本的に考え直す段階にきています。「改革」には外交も含めなければなりません。(二〇〇一年四月二十六日)