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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2001年4月号
グリーンビルの関係者を裁く査問会議が始まりました。軍紀のたるみや軍の閉鎖性、独善性などが明らかになると思います。しかし、私たちの望む裁き、公平な法を期待することは、おそらく無理でしょう。
一つの例として、一九九八年にイタリア北部でロープウエーが切断されてゴンドラが落下し、二十人が死亡した事故がありました。切断したのは米海兵隊の攻撃機で、低空飛行訓練のさなかでした。犯行は明白ですが、軍法会議で無罪になりました。パイロットの地図にロープウエーが示されていなかった、計器が一部故障していたとして過失を否認、無罪になったのです。
今回も法の正義は期待できませんが、軍の論理と独善さを持った米軍が全世界に展開・行動していることが明らかになる、そういう関心で注目しなければならないと思います。
どこでも起こりうる事件
えひめ丸事件から考えるということで問題点を三つに整理しました。一つは遠い所で起きた出来事ではないということ。第二は米軍は過去の教訓に学んだろうかという問題。第三にこの事件は日米安保体制と無縁なのかという問題です。
まず、いつでもどこでも起こりうる事件です。明日、東京湾の入り口で起きても不思議ではありません。なぜならば横須賀と佐世保、沖縄・勝連町のホワイトビーチは、米原潜の寄港を認めているからです。
一九六四年に米原潜の日本寄港が始まりました。昨年一年間だけでも横須賀港に二十七隻、佐世保港に十四隻、ホワイトビーチに十隻の原潜が入港しました。また事件後も二月十二日に横須賀、十九日にはホワイトビーチに入港しています。
横須賀に入港した原潜は相模灘の海軍訓練海域で演習します。緊急浮上もします。相模灘は漁業、レジャーで船の交通がかなり激しい。今回の事件を遠いハワイでの悲劇として考えるのでは狭いのです。
一九九四年には佐世保で、富士丸が米空母に積んであった小型の船に衝突され、沈没しました。非は完全に米軍側にありました。海上保安庁は業務上過失致傷、船舶往来危険罪で送検しましたが、検察庁は起訴しませんでした。
これらの米軍の行為は公務中のものであり、安保条約のもとでは公務中の行為に関し日本の司法は手を出せない不平等性、差別的な法構造と従属的な日本政府の対応が、そのような処理をしてきたわけです。このような事件はたくさんあります。
勝連町の蔵当町長は今回の事件について「軍事演習と言いながら、民間人に操作させていたことはおかしい。事故原因を確認するまで、入港しないでほしい」と述べています。しかし、日本政府がこうした声を米国につたえたとも、原因究明まで原潜入港を控えるように申し入れたとも聞きません。事件後、米海軍は今後も、緊急浮上訓練も民間人の乗船も行うと言っています。日本政府は、日本入港の際にはそれをしないと明言してほしいと、アメリカに申し入れるべきです。
教訓を学ばない米軍
米軍は過去の教訓を学んでいるでしょうか。
一九八一年、鹿児島県沖で米原潜ジョージ・ワシントンが浮上中、貨物船日昇丸に衝突して日昇丸は沈没し、船長と一等航海士が死にました。ジョージ・ワシントンは衝突を知りながら救助せず、そのまま立ち去りました。「当て逃げ」です。十八時間後に海上自衛艦が乗組員を救助。日本政府に正式に通報があったのは、事故から三十五時間後です。
そのときの報告書を読んでみたら、今度のケースとよく似ています。ジョージ・ワシントンの場合もソナー(水中音波探知機)で日昇丸のエンジン音をとらえています。その報告が、私室にいた艦長に届いていない。艦長、当直士官、ソナー責任者の三人が取り調べを受け、調査報告書では三人の責任を明確にし、乗組員を見捨てたことに関しては「言い訳できない怠慢である」と厳しく指摘しています。しかし、軍法会議には回されず行政処分で終わりました。
このときの調査報告の中で、当時のワインバーガー国防長官が「怠慢、過失を二度と繰り返させないために一連の施策が目下行われつつある」と書いています。それが誠実に行われていたら、今回の事件は起こらなかった。艦内における情報伝達など、驚くほど初歩的で幼稚なミス、それが現代科学の粋を集めたといわれ、超大国といわれる国の軍隊の中で共存している。最も恐ろしいことです。
根っこは日米安保条約
この事件は日米安保体制と無縁かどうか。事故はたしかに日米安保体制と因果関係をもちません。しかし事故の背景、また事故後の日米両政府の対応、さらに同じ時間帯に進行した一連の出来事などをみると、決して無関係とはいえません。
ヘイルストン在沖米四軍調整官の「腰抜け」発言が二月六日です。二月十日に「えひめ丸」事件が起き、その情報が入ってくる同時期に沖縄では連続放火事件がありました。米軍はまたしても地位協定にたって米兵の身柄の引き渡しを拒否。その数日後、酔った米兵が次々と車を壊し暴れる事件がありました。
私が一番衝撃を受け、日米関係の縮図だと感じたのは、二月九日、大分県の日出生台演習場で米海兵隊が実弾射撃演習に一般人を招待し、一五五ミリ榴弾砲の発射ひもを引かせました。これに対して大分県平和運動センターは、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反に当たると告発しました。しかし大分県警は、「所持とは銃砲を自分の支配下に置くこと」で所持でなかったから銃刀法適用は無理だ、と理屈をつけて受理を断りました。防衛施設庁が「米軍の施設管理権に関し、我々は法的な権限を持っていない」と言ったのでしょう。しかし警察がそれを言うと、治外法権、いわば植民地だと認めることになる。米海兵隊の隊長は、おとがめなしでした。
同様の事件が自衛隊にあります。一佐が民間人に機関銃を撃たせました。一佐と民間人二人が逮捕され、一佐は懲戒免職で懲役三年・執行猶予三年、防衛庁・自衛隊関係者二十四人が処分を受けました。
ハワイと日出生台で同時進行しながら象徴的に表れているのは、安保体制が持つ不平等性と差別性です。決して偶発的、一過的なものではなく、このような構造の中に特質が見えてくると思います。
このような事件が再び起こらないために、我々の問題意識にたった真相究明を政府に要求し、明らかにしなければならないと思います。その根が日米安保条約にあることはいうまでもありません。安保条約は今年九月、成立から半世紀を迎えます。憲法論議より安保論議が先だと提起するのも、再発防止への我々の決意、取り組みではないかと思います。
安保構造を日常的に押しつけているのは日米地位協定で、望むだけの軍隊を、望む場所に、望むだけの期間置いてよろしいと定めています。周辺事態法では民間空港、港湾の一時的使用が約束されています。
ドイツにも独米地位協定がありますが、ドイツ国内法優先が大原則です。ドイツでは環境保護基準があり立ち入り検査ができますが、日本ではそれができません。
沖縄県は、大田知事時代からたびたび地位協定改正を日本政府に要求してきました。地位協定の不合理性を是正することも、今回の事件から汲み取らなければならない教訓です。
(文責編集部・詳細は「日本の進路」東京版参照)