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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2001年4月号

(資料)元副総理・後藤田正晴氏の語録

『日米安保条約は見直し、
友好平和条約に切り替えるべきだ』


新しい平和国家像をめぐって
経済同友会発行『経済同友』 一九九五年三月号


 ……国連が本当の意味で紛争の予防や調停に力を発揮できるような機関になることが望ましい。
 ただ、私は国連の現状に満足していません。現在の国連は第二次世界大戦後の戦勝五カ国の軍事力を背景にして国際間の紛争を予防していこうという、いわば古い発想をもとにした機関です。それから半世紀、米ソ対立でほとんど機能らしい機能を発揮できずにきたわけですが、最近になってこれが動きだした。それでは、戦勝五カ国が加盟一八五カ国の意思を充分汲み取って活動しているかというと、必ずしもそうではない。常任理事国五カ国は特権的な地位を占めており、中でもアメリカの発言力は大きい。
 たとえば、ある問題についてアメリカが態度を表明すると、イギリスとフランスはこれに追随し、ロシアはイヤイヤついていく。中国はと言えば、自分に直接関係がない限り斜に構えているという具合で、実態はアメリカ主導になりすぎているのではないか。しかも、この五カ国は世界の武器貿易の九〇%以上を自ら行なっている。また、発足当初は国家間の紛争の予防と解決を目標にしていたはずなのに、冷戦終結後の国連の動きを見ていると、アメリカ主導の下で本来内政問題に属する事柄にまで国連の名の下に口を出している。典型的なのはハイチの例でしょうね。
 ですから、現実の国連にはあまり納得できないのですが、しかし、われわれは国連を大事にし、これに協力しながら、本当の意味で公正な平和維持のための機関になってもらわなければならない。そのためには国連の改革をどんどんやり、改革を進めながら日本が常任理事国に入りたいなら入ってもよいし、また入っていくだけの国際的な影響力が日本にはあると理解しています。しかしながら、現状の国連をそのままにしておいて、ともかく常任理事国に入らなきゃいかん、「はじめに常任理事国入りありき」というのはいかがなものか。アンシャンレジームの国連から冷戦終結後の時代に対応できる公正な国連にしながら、日本は必要なら常任理事国に入っていけばいいと考えています。ただ、常任理事国に入れば相当の覚悟がいるよということが判っていなければならない。簡単に取り運ぶことではありません。
  (略)
 私は日米安保体制というのは日本にとって非常にいい結果をもたらした、日米安保があってよかったなと思っています。と同時に、日米安保体制があることによって日本がアジア諸国の脅威にならなかったという意味において、アジア諸国にとっても日米安保体制はよかったのではないかと思いますね。
 ただし、いつまでも従来のような形でいいのかというと、まだその時期ではないけれども、いずれ見直さなければならない時期が近くくるのではないか。戦後の日米安保体制の中で、日本人自身が植民地主義的といいますか、独立国家の国民として問題がなかったわけではない。たとえば、首都東京の目と鼻の先の横須賀にアメリカの大海軍基地がある。これで本当に独立国といえるのかなという気がしないでもない。あるいは地位協定を見ましても、ヨーロッパ各国に米軍が駐留する場合の地位協定と日米地位協定とでは全く違う。日米地位協定では、港でも空港でも米軍は自由に使えることになっているんですね。現にこの間、訓練中の米軍飛行機が高知県のダムに墜落し、地元では大変な問題になっています。しかし、果たしてそれをやめてくれといえるかということになると、なかなかいえないんですね。そういうことについて国民全体がマヒしてしまっている。アジア各国と日本との関係を考えますと、アメリカのアジアにおけるプレゼンスは非常に重要な意味を持ちますから、今は見直しを持ち出す時期ではないのですが、いずれそういう時期が近いうちにくるということを考えておかなければいけないのではないでしょうか。


平和、自立、共生を柱に
『日本経済新聞』夕刊 二〇〇〇年十二月五日

―二一世紀の日本のあるべき姿をどう考えますか。
 まず第一に『平和な日本』だ。こう言うと理想主義ではないかとの批判があるが、極端なナショナリズムに走れば戦になる。これから先、仮に先進国間の戦があれば、勝者はないよ。残るのは廃墟だけだ。いかなる場合も武力による解決はとってはならない。第二は『自立する日本』だ。日米安全保障条約はそろそろ見直しの時期になっているのではないか。冷戦が終わり、(旧ソ連という)仮想敵国がなくなったのだから、日米は軍事同盟から友好のための同盟にすべきだ。三番目は『共生の国・日本』で、あまり格差のある世界システムをつくってはいかん。従って力のある国は、弱い立場の国への支援を惜しんではいけない。
 来年、日米安保条約締結から五十周年を迎えるが、日本国内では最近、米国支配への反発や中国の台頭への警戒心から、もう少し強い国になりたいというナショナリズムの傾向が出てきた。『強者の論理』の国づくりになりつつあるんじゃないか。これは危ないよ。こういう傾向を阻止するために、国内的にも弱者に配慮する『共生』を絶えず考えなければならん。

―憲法改正の是非は。
 国の形の基本をなしているのは憲法だから、先に述べた平和、自立、共生という三つの柱に沿って一度見直す必要がある。憲法改正は必要なら九条も含め、二一世紀の初頭にやったらよろしい。しかし、それだけに選択を間違えたらあかんよ。いまの改憲論者の言っていることは全然あかんや。


安保見直し米から自立
『朝日新聞』朝刊 二〇〇一年三月二十日

―二〇一〇年の日本の針路は。
 平和と自立と共生だ。自立とは米国からの自立で、軍事同盟の時代ではなくなるから日米安保条約は見直し、友好平和条約に切り替えるべきだ。国際的にも国内的にも強者の論理が強くなる傾向があるが、これ以上、格差を広げる論理には反対だ。国内は平準化しており、国際的にも遅れた国に手を伸ばして共に生きる国でありたい。


  (いずれも抜粋ですので、原文をお読み下さい―編集部)