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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2001年4月号
選挙制度の変遷
衆議院の選挙制度は、一八八九年に小選挙区制度で始まり、一八九〇年、大選挙区制に移行し、一九一九年、小選挙区制に戻った。しかし、一九二五年、中選挙区制となってからの七十年間、国の発展は、理論的には大選挙区と言われるこの制度の下で達成された。この間の一九四五年十二月、一連の民主化の流れの中で、「より広範な新しい基礎に立ち、投票者の議員候補者選択の自由を増大して、国家的な人物や新人の選出を可能にするため」(一九四五年十二月十二日、朝日新聞)、大選挙区制限連記制に改正された。しかしそれは、連記制が嫌われて一回で終わり、一九四七年三月、時の与党の自由、進歩両党の政略もあって、中選挙区単記制に復帰した。
良い政治は民意反映の選挙制度に依存するが、一九九四年一月二十九日の細川・河野のトップ会談で強行された小選挙区比例代表並立制(以下、小選挙区制と略す)は、その推進者が訴えた数々の利点を裏切り、政治・経済・社会は閉塞(へいそく)し、「失われた九〇年代」となった。二十一世紀に入ったが、民意と政治との食い違いは救いがたいほどにかけ離れたものになった。
小選挙区制の問題点
小選挙区制は、死票を多く出すのに加え、棄権率が高いことでも民意の反映に欠ける。中選挙区最後の二十五年間の平均投票率が七〇・六七%であったのに対し、小選挙区期最初の総選挙(一九九六年)ではこれが五九・六五%に落ちた。その後、投票時間の延長、不在者投票要件の緩和等もあって、二〇〇〇年の総選挙では六二・四九%と持ち直したものの、その平均は六一・〇七%で、中選挙区期に比べ約一〇ポイントも低下した。約千万人の有権者が棄権に回ったことになる。宮崎県での落差も顕著で、中選挙区期の七九・六三%が小選挙区期には六四・八六%へと、約一五ポイントも下落した。
主な原因は、獲得票一位の者にしか当選を許さない小選挙区制にある。日本では、社会心理の深層に「『お上』への従属」があり、それを巧みに操作し、土建、金権、地縁、血縁を掌握した者の一位当選の可能性が高い。それが予見されれば、有権者の投票意欲も失われる。もう一つは、有権者の半数に及ぶ無党派層である。多党化したほとんどの国と同様、国民の政治意識も多様化し、小選挙区制推進者がめざした二大政党への収れんはできず、二大政党をめざす小選挙区制は実情に合わない。
小選挙区制とした当時、中選挙区制の下では人口比だけでの定数是正がむずかしく、これが中選挙区制を行き詰まらせた。しかし、小選挙区制の下でも、定数是正は、いびつな区割りや選挙区の不安定に跳ね返り、人口比だけでの定数是正の困難性は一段と増幅し、小選挙区制はあらゆる点で行き詰まった。
過疎度比加味の大選挙区制
ではどうすればよいか。すべてが広域化している今日、都道府県単位での大選挙区制を、最高裁が指摘している人口密度や都市集中化から生ずる過疎過密にも配慮して、その実現を考えたらどうか。その際の区割りについては、一九四五年時、定数の多い七つの都道府県を例外的に二つの選挙区に分けたことを参考にすべきだろう。
定数配分については、人口比と面積比の混成比率とする案もあるが、試算の結果では、国土の二二%を占める北海道が広すぎて、例外扱いなしには適正な配分ができない。
過疎過密とは人口密度の特別な形で、人口密度は人口を面積で割った値である。そこで、人口密度そのものを用いるのが望ましいが、ここでは人口密度の逆数を算出して過疎を数値化し、その総和の百分比を過疎度比とした上で、人口比九〇%、過疎度比一〇%の混成比率での配分案を提案する。
この試算では、人口比だけでの試算結果に対し、岩手、秋田、山形、鳥取、島根、高知の各県が二増、青森、福島、福井、山梨、岐阜、和歌山、山口、徳島、愛媛、佐賀、熊本、大分、宮崎、鹿児島の各県が一増となる。一方、東京が六減、大阪が四減、神奈川、愛知が三減、埼玉、千葉、兵庫、福岡が二減、茨城、静岡が一減で、二十六増二十六減となる。
もちろん、それらの減少は、一九九〇年の実績からの減ではない。実績からの減となるのは、東京の二減と茨城、福岡の各一減だけである。しかしそれでも、それらの定数水準はかなり高く、とくに東京の場合は、四十二名で、二位の大阪の三十一名を大きく引き離している。静岡は変わらず、その他はむしろかなりの増で、埼玉八増、千葉三増、神奈川十増、愛知三増、大阪四増、兵庫一増である。
また過疎各県での定数増といっても、実績に及ばないところも多く、またそれを上回るところもない。全体像としては、都市部での定数激増と過疎地での定数激減が適度に緩和され、最高裁のいう「人口の都市集中化およびこれに伴う人口流出地域の過疎化の現象への配慮」をした姿となる。
この方式では、混成比率が人口比率に代わる新基準になる。それに基づく選挙区間の最大格差は、一・二倍(山形/滋賀)で、一対一の均衡に限りなく近い。また、過疎度比は人口増減が過疎度比減増として作用するから、過疎地の定数維持には安定的に、都市集中化には抑制的に貢献し、最高裁の多数意見の意にも沿う。
なお最高裁の少数意見は、「人口比での格差が二倍以上は投票価値の平等を妨げる」とする。これにも配慮して人口比だけでの最大格差を見ると一・八九倍(東京/島根)で、その要件も充足する。大選挙区制にすれば、府県内の過疎密度が中和されるからである。
また大選挙区制の長期的安定性を検証するため、一九九〇年から二〇〇〇年にかけての定数配分の変遷について試算すると、埼玉、千葉、神奈川の各一増を、北海道、東京、大阪の各一減が補う姿となる。人口の少ない過疎県には影響がない。大選挙区制の安定性は極めて高いといえよう。
なお世上往々にして、人口比だけでの定数是正で過疎県の議員を減らせば民意反映が正確となるとの論がある。事実はむしろ逆である。人口密度が平均より薄い三十の地域につき、衆院の議員構成を二〇〇〇年と一九九〇年とで比較すると、与党対非与党の比率は、二〇〇〇年の七三対二七に対し、一九九〇年は六〇対四〇であった。すでに中選挙区制の下で非与党化が進んでおり、これを恐れる勢力により小選挙区制が強行されて民意がゆがめられた。
選挙制度は国民固有の権利
憲法十五条は、公務員の選定、罷免を「国民固有の権利」とする。「権利」の前に「固有」があるのはここだけで、これは「譲り渡せない(inalienable)権利」である。一九六一年制定の選挙制度審議会法もこの趣旨からきている。しかし、小選挙区制強行時もそうだったが、少数の政治家が民意をゆがめ、この厳粛(げんしゅく)な「国民固有の権利」を奪い取り、議会制民主主義の根幹をなす選挙制度を思いのままに壟断(ろうだん)してきた。
小選挙区制強行時、これが「戦後民主主義の分水嶺となる」と評された。以降、止めどもない政治不信、経済不況、社会悪化が続いている。小選挙区制がこのまま存続すれば、健全な民意は政治に反映されず、底なしの谷間に転落する。この窮地からの脱出は、国民がこの「国民固有の権利」を現実に行使して選挙制度を変革することにより達成できる。これがこの提案の趣旨である。変革のためにどのような行動を起こし機構を作るか、その道筋について私たちの選挙制度委員会は有効な結論を見出していない。提案の趣旨について皆様の積極的なご協賛を願うと共に、ご意見をお寄せいただきたいものである。
(注)人口は国勢調査数値(ただし二〇〇〇年は速報値)、総定数は五〇〇名を試算の根拠とした。