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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2001年4月号

日本の進路と民主主義が問われる教科書問題

日本教職員組合副委員長 樋口 浩


教育基本法改悪への先取り攻撃

 「新しい歴史教科書をつくる会」(つくる会)を中心とする今回の教科書問題をどうとらえるか。学者文化人の声明がたくさん出ています。その中でもとりわけ「日本のあり方を誤る歴史教科書に反対する声明」(二月二十七日)、教育総研のアピール「平和、人権、民主主義の教育が危ない」(三月九日)、「加害の記述を後退させた歴史教科書を憂慮し、政府に要求する」(三月十六日、別掲)という声明の趣旨に共感します。
 もう一つは、教育基本法改悪の先取り攻撃としての位置づけです。つまり、「真理と平和を希求する人間の育成」(教育基本法前文)という内容面においても、「不当な支配に服することなく」(同法第一〇条)という形式面においても、教育基本法の中味が形骸化されてしまう危険です。
 今回の教科書問題には大きく言って二つの側面があります。一つは内容上の問題。もう一つは採択方式の問題です。
 内容上の問題というのは、学問研究の成果として確定されている近現代史の歴史的事実を乱暴に踏みにじったものを「教科書」といえるかどうかということです。
 八二年に教科書問題が外交問題に発展したとき、検定の基準として「近隣諸国条項」が新設されました。九三年の宮沢政権時の河野官房長官は、「従軍慰安婦」に対する日本軍・政府の関与を認めました。また、日本は一九九五年八月十五日、閣議決定に基づき、「わが国は国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与え」たことに対し、「痛切な反省の意を表し、心からお詫びの気持ちを表明する」という村山首相談話を発表しました。 
 さらに九八年の日韓共同宣言(小渕・金大中両首脳)で過去の行為をお詫びし「両国民、とくに若い世代が歴史への認識を深めることが重要」とし「そのために多くの関心と努力が払われる必要がある」と確認しました。過去の戦争に対する歴史認識、謝罪、さらに再発防止の趣旨を込めた若者に対する歴史教育を深めることは、日本政府の国際公約になっているのです。
 つくる会が申請した歴史教科書には百三十七カ所にのぼる修正がほどこされたとのことですが、根本的に変わったかどうかは不明です。
 また、つくる会の公民の教科書では、憲法「改正」を強調しています。
 史実でもなく、平和でもない教科書を文部省が検定合格させるとしたら、日本政府が彼らの立場を肯定したことになり、日本の進路を誤らせるものだという、文化人声明には国際的な説得力があります。
 そうした教科書行政が、憲法と教育基本法に合致しているかどうかは、深刻に吟味されるべきでしょう。
 つくる会の歴史教科書は、近現代史の事実だけでなく、古代史の記述に関しても多くの問題が指摘されています。例えばエジプトのピラミッド(前二十七世紀)、秦の始皇帝の墳墓(前三世紀)、仁徳天皇陵(後五世紀)の三つについて、有名な兵馬俑をふくむ「始皇帝陵」ではなく「墳墓」に限定する「インチキ」比較まで用いて仁徳天皇陵が最大だと記述しています。日本優越主義を鼓吹するのは、アジアの友好や共生を求めるものではありません。
 教科書問題のもう一つの側面は採択方式の問題です。教科書は本来、高校や私立の小中学校のように学校単位の採択であるべきです。戦後の一時期は公立も学校採択でした。その後、「憂うべき教科書」問題等が起こされる中で、検定が強化されました。一九六三年の教科書無償制度の成立と合わせて、採択は広域化され、九六年段階で、平均して三郡市程度、全国で四百七十八の採択区があったのです。
 また教科書を選択する上で教員の意向を反映させるのは当然です。一九六六年に出されたILO・ユネスコ共同の「教員の地位に関する勧告」では「教職員は、…教材の選択および採用、教科書の選択ならびに教育方法の適用について不可欠の役割」があると明記しています。
 一九九六年の行政改革委員会は規制緩和の観点から教科書採択制度について報告を出しました。要旨は「公立の小中学校においても、将来的には学校単位の採択の実現に向けて検討していく必要がある」「当面、現在の共同採択制度においても、教科書の採択の調査研究にあたる教員の数が増えるのが望ましく、各地域の実情に応じつつ現在三郡市程度が平均となっている採択地区の小規模化など採択方法の工夫改善を図るべきである」という内容です。これを受けて、九七年三月に閣議決定、九七年九月に文部省通知が出されました。しかし、それから三年半たった今も採択区は五百二とか三といわれ、増加はわずか二十五に過ぎません。文部省が閣議決定にそって本気でやってきたのかどうか、という問題があります。こうして政府として民主化への方向が出されながら、それを力強く進めることができなかった、まさにその間に、反動として出てきたのが「自由主義史観研究会」や「つくる会」であったと言えます。そうした「草の根的右翼」の組織的な活動をベースに、一昨年の新ガイドライン関連法、国旗・国歌法等のあっけない国会通過があったということではないか。こういう大きな反動層が形成されていたからこそ、昨年、森首相が「日本は天皇を中心とした神の国であることについて国民のみなさんにしっかりと承知していただく」と発言して、大きな批判にさらされても、「失言でした」と撤回できなかったのではないかと思っています。
 また、教育改革国民会議の、奉仕活動義務づけや教育基本法「改正」論なども同じ背景から来ているように思っています。

採択に教員や父母の声を

 つくる会は、教科書採択は、教育委員会の「専権事項」だとして、現場教職員の、教科書採択への関与を否定する意見書を地方議会などに請願してきました。 
 しかし子どもとじかにつき合っているのは現場の教員です。私たち現場教職員は、「国民に対して直接に負う」重い責任と教育専門家としての誇りをあらためて呼び覚まされています。「教え子を再び戦場に送るな」というわれわれの原点から、また、子どもたちの顔を思い浮かべながら、各社教科書の調査・研究に入ります。
 四月から情報公開法が施行されますので、各社の申請本と修正個所と修正結果についての情報をみなさんに提供する準備を進めています。そうして地域住民や保護者のみなさんにも、教科書センターに行って教科書を見てほしい。全国各地で、連合やフォーラム平和・人権・環境、またPTAなどにも働きかけて、地域ぐるみで、みんなで教科書をみる運動をしてほしいと思っています。
 五月にはそれぞれの教科書会社から見本本が出ます。採択区域ごとにどの教科書を使用するかが決まるのは六月末頃です。つまり、今から六月末までの三カ月間が正念場ということになります。
 この十数年いわゆる進歩的文化人が揶揄・冷笑される空気がありましたが、今回の教科書問題を期に、そんな空気は吹っ飛びました。市民的かつ学問的良心を譲らない学者研究者・文化人による新しいネットワークが生まれつつあります。
 教育基本法の実質改悪、そうして法文改悪、その次は憲法の改悪という日本型ネオナチの反動計画を許さないために、日本市民の良識が大きく発揮されるものと信じています。私たちもそのためにできる限りの努力をするつもりです。(文責編集部)