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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2001年3月号

「つくる会」の教科書運動は独禁法違反

琉球大学教授  高嶋 伸欣


 二〇〇二年度から使用される中学校の教科書をめぐり、「新しい歴史教科書をつくる会」(つくる会)が独禁法違反の政治運動を全国で展開している。文部省に申請されている彼らの教科書について、上杉聰氏とともに公正取引委員会に排除申告を行った高嶋伸欣氏に話を聞いた。申告内容は「地方議員版」十号に掲載。

 産経新聞社、扶桑社、「新しい歴史教科書をつくる会」の三者が推進してきた中学校の歴史教科書と公民教科書が、文部省に検定申請されている。この教科書は戦前の皇国史観、アジア侵略への無反省、大国主義的利己主義、人権・平和感覚の欠如に彩られている。
 この教科書に対して内外の批判が高まっているが、文部省は自民党の圧力で逃げ腰になっており、検定で合格させる可能性が高い。もし合格すれば、四月以降は、採択をめぐる争いになる。つくる会はすでに、彼らの教科書を採択させるため、地方の政治家を利用して、教育委員会に圧力をかける作戦をやっている。

 なぜ、こうなったのか

 一九八〇年のダブル選挙で自民党が安定多数を回復した勢いに乗り、自民党タカ派が文部省に圧力をかけた。文部省は八二年の高校歴史教科書の検定で、「侵略」を「進出」に書き換えさせた。それが外交問題に発展し、国内でも批判が高まった。文部省はやむを得ず、「侵略」の記述を認め、「歴史的事象の扱いには国際理解と国際協調の見地から必要な配慮をする」という「近隣諸国条項」を検定基準に加えた。民主的教科書を求める市民が勝利した。
 タカ派は憤まんやるかたない。そこで日本国民会議が中心となり、高校教科書『新編日本史』(原書房)をつくって検定を通した。しかし、中国などから批判されるし、高校は学校ごとの採択だから採択校はきわめて少ない。教科書会社も採算がとれず、タカ派のねらいは失敗した。この失敗を教訓にして、今度は広域採択の中学校教科書をねらった。
 そのタカ派の目にとまったのが、東大教授の藤岡信勝氏だ。彼は社会科教育の雑誌に「近現代史の授業改革」という連載を書き、「自由主義史観研究会」を旗揚げした。それを見て産経新聞の編集長が「教科書が教えない歴史」という連載を産経に書かせた。タカ派の政治家たちは、みこしにいいと判断した。もう一人は「日本の歴史教育はおかしい」と発言していた西尾幹二氏である。この二人が中心になって、九七年につくる会が発足した。
 背後にはKSD事件の村上正邦や小山孝雄などがいた。小山は昨年、藤岡氏と一緒に講演会をやり、教科書採択のための議員連盟を呼びかけた。財界のタカ派もつくる会の呼びかけに加わり、地方議員や宗教組織を使って、会員は一万人をこえた。

 ごまかしの検定申請

 つくる会は「新しい歴史・公民教科書をつくり、児童・生徒の手に渡すことを目的とする」と会則に明記し、当初から教科書づくりだけでなく、採択させる活動も重視していた。それは「教科書採択に向けた支部活動の指針」という彼らの手引き書にも明確に出ている。
 産経新聞は一九九八年一月九日の社説で「つくる会が中学校用教科書の編さんを開始した。……発売は扶桑社が担当し、産経新聞も編集作業その他に全面的に協力する」「新聞社が教科書づくりにかかわるのは初めての挑戦」と書いた。つくる会も「つくる会が執筆、扶桑社が編集を担当し、産経新聞社が編集に協力する。販売に関しては三者が一致協力する」と会報で述べている。
 しかし、つくる会は検定申請の段階で編著者ではないと言い始め、申請書の編著者欄につくる会と記入しなかった。編著者が宣伝活動や採択者への働きかけをしてはならぬという公正取引委員会や教科書協会のルールに気づき、活動の自由を得るためのごまかしをしたのである。文部省はつくる会の情報を承知しているにもかかわらず、申請書を受理した。他の教科書会社から見れば、文部省とつくる会のなれあいである。

 筋が通らぬ白表紙本の議論

 つくる会は彼らの白表紙本(検定申請中の教科書)を紹介する機関紙増刊号をつくり、「これを採択関係者に配り、会員拡大のために使って下さい」と呼びかけ、さらに「部数が足りなくなったので大幅に増刷」と書いている。これは公取委が編著者に禁止している行為である。
 つくる会は「第三者だからいい」と言う。ならば、増刊号に使った白表紙本についてどう釈明するのか。彼らは「検定中の白表紙本は門外不出」と、他のマスコミなどを批判してきた。第三者のつくる会が、なぜ門外不出の白表紙本を持っているのか。「編著者だから白表紙本を持っている」と言う以外にない。
 つくる会は、『諸君』十一月号の「つくる会の白表紙本バッシングに奔る『朝・毎』の汚い手口」のように、彼らの白表紙本を手に入れたのはけしからんと批判し、各地の集会に怒鳴り込んだり、発表した人を脅迫したりした。産経新聞は、検定中の白表紙本を手に入れるのは不法行為と報道してきた。しかし、白表紙本は二十年前から公表され、報道されてきた。公表禁止ではないという文部省の説明で攻撃は止まったが、公表はルール違反と騒いできた産経新聞などの責任はどうなるのか。

 公正取引委員会のルールに違反

 私は関西大学の上杉聰さんと一緒に、公正取引委員会につくる会、産経新聞、扶桑社の不当性を認定するよう求めている。一月二十二日に第一次分を申告した。三者の反応を見ながら第二次をどうつめるか考えている(二月十九日に追加申告)。
 彼らの反論は迫力がなく、足並みもそろっていない。産経新聞は「自分たちは無関係」と逃げの一手だ。九八年一月の社説で「教科書づくりにかかわる」と宣言した責任をどうとるのか。読者が産経新聞に公開質問状を出すことをお勧めしたい。
 つくる会は「編著者ではない」と反論しているが、申請手続きをごまかしただけだ。むしろ、どこに焦点を絞るべきかを教えてくれた。
 公取委の他社教科書の批判禁止には現行教科書も含まれる。つくる会は会報で、彼らの教科書ができる前に他社教科書を批判し、だめな教科書を採択するなと教育委員会に働きかけ、教師の声が反映する採択制度を壊しておこうと提案している。そして、他社教科書を批判した産経新聞の「教科書の通信簿」をパンフレットにして、教育委員に送りつけた。彼らが編著者でないと仮定しても、公取委は「その他編著者、関係者」にも他社教科書の批判を禁止している。「その他の編著者、関係者」であるつくる会は逃れられない。
 何よりも、執筆者の西尾氏(つくる会代表)と藤岡氏(つくる会理事)が、他社教科書を中傷した『国民の油断』を全国の教育委員会に送りつけている。五百五十円の文庫本を一万五千冊もだ。その挨拶文で、現行教科書は「自虐的」と批判し、採択の時はこの本を参考にしてほしいと言っている。送付は二〇〇〇年五月で、検定中のことだ。採択関係者への物品提供(書籍も含む)は禁止されており、贈賄に該当する。

 地方議会でどう闘うか

 つくる会は手続きのごまかしで無関係という外見をつくり、やりたい放題の違法行為をやり、全国の地方議会に請願や陳情を出している。地方議会でこれを阻止してほしい。
 つくる会の支部名で請願を出しているケースでは、「つくる会の活動は公取委のルール違反ではないのか」と、紹介議員に問いただす。「この問題はマスコミで話題になっている。紹介議員に名前を出せば彼らの共犯者になる」と食い下がれば、取り下げる可能性も出てくる。
 『国民の油断』を「教育委員会は受け取ったのか、返却したのか。受け取れば収賄になる」と追及する。どこかの県が文部省に問い合わせたら「受け取っていい」と答えたという話もある。そういう答弁があれば、国会で文部省の責任を追及できる。
 私たちは四月以降、つくる会教科書が検定合格になれば、検定合格は不当という裁判を起こそうと考えている。教科書は税金で払うから、教育委員会が彼らの教科書を採択すれば、各地で監査請求してほしい。

 アジアの共生に逆行

 この教科書が検定を合格すると、アジア諸国との外交問題に発展する。「近隣諸国条項」もあり、外交問題にならぬよう、教科書検定審議員の野田さんがこの教科書の問題点を分かってもらおうと思ってとった行動は正当なものだ。それを産経新聞が不当に攻撃した。文部省は野田さんの行動をルール違反でないと認めながら、自民党タカ派の圧力で引き下がった。この教科書を部分的な書き直しで合格させると言われている。文部省の態度は問題だ。
 アジア諸国の都市と姉妹都市を結んでいる市町村が、つくる会の請願を採択したり、この教科書を採択すれば、相手都市から姉妹都市の関係をやめると言われる可能性もある。こんなことでは情けない。仙台市議会では、姉妹都市の中国・長春市との関係も議論になり、請願を却下した。アジア諸国との友好・連携・共生をめざして、私たちは自助努力すべきだ。全国・アジア友好姉妹都市一覧

 教科書は誰が選ぶのか

 つくる会は「教育委員会に教科書採択の権限がある」ことを前提にしているが、教育委員会に「どういう法律に基づいているのか」と質問してほしい。明確な法律の規定はない。文部省が教科書無償に合わせて、代金を集計しやすいよう、通達か何かで勝手に広域採択制にしただけだ。採択は教育委員会の権限とは明記していない。高校は教科書無償でないから、学校ごとに採択している。
 この機会に、教科書採択の権限が誰にあるのか、議論するとよい。石原知事は産経新聞で「教師が教科書を選ぶのは許せない」と発言しているが、話にならない。教育のプロである教師が教科書を選び、学校ごとに採択すべきではないのか。規制緩和委員会も九六年十二月に「採択地区の小規模化」「将来的には学校採択」にすべきだと答申し、これが九七年二月に閣議決定されている。
 小中学校九学年分の各教科について、六〜八社の教科書を合計すると何百種類になる。教育委員だけでそれを全部読んで、どれを採択するか判断するのは、時間的にもどだい無理な話である。

 しわ寄せは生徒にいく

 教科書は覚えるものから、考える手がかりになるものへと変化しつつある。教師がなぜそうなったのかと生徒に質問し、生徒たちが僕はこう考える、私はこう考えると言える教科書がいい。生徒たちが考え、意見を出し合っていく中で、納得いくものに落ち着いていく。そういう確認作業をするのが授業である。
 中学生にわかる教科書をつくるには、日頃から中学生に接していないと難しい。しかし、つくる会の教科書の執筆者に中学の教員はいない。だから、彼らの教科書は非常に固苦しい。文字が多く、図表が少ないだけでなく、覚え込ませる書き方をしている。一つの歴史観になりすぎて、因果関係をそのまま説明しているため、生徒がなぜそうなったのかと考える余地がない。一つの考え方を押しつけ、文字に書いてあることをつめこむだけになる。これほど使いにくい教科書はない。
 このような教科書をがまんして使えば、生徒は歴史嫌い、公民嫌いになる。それを政治の力で採択すればしわ寄せは生徒にいく。 (二月十日談、文責編集部)