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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2001年3月号

講演要旨

朝鮮半島情勢と日本の進路

元駐中国大使  中江要介


困難は克服しなければならない

 今日は朝鮮半島情勢というよりは日本の進路というような、少し大局的な話をさせていただきます。
 はじめに、なぜ私が外交官という職業を選んだかというと、学徒出陣で戦争に参加させられた経験からです。天皇陛下のため、大日本帝国のためと一生懸命だったのですが戦争に負けた。敗戦で天皇陛下は人間になり、日本は神の国ではなくなった。価値観がすっかり変わりました。なぜ若者が間違った道に引っ張り込まれて悲惨な思いをしたのか、いろいろと考えました。国際社会では国と国のつきあいを上手にすることによって戦争を起こさないように努力することが、私のような不愉快な体験を繰り返さないことだと思い、夢に燃えて外交官になりました。
 中国大使のときに、王震という方が中日友好協会の名誉会長をされていました。ご挨拶に伺った時に王震会長は「自分は今八十歳で、前半の四十年は抗日戦争に没頭して日本帝国主義と闘っていた。だから後の四十年は日中友好のために努力する」とおっしゃった。ある時、日本と中国の間にはいろいろな困難がある、どのように考えていますかと聞きましたら、たった一言「困難は克服しなければなりません」。それだけなんです。この一言は非常に印象に残りました。私は困難に遭遇するごとにこの言葉を自分に言い聞かせることにしています。
 二十世紀を振り返ると、二回の世界大戦があり、そして冷戦などという勝手な戦争があり、さんざんな世紀でした。二十一世紀を迎えて、私たちは平和な世界になってほしいと願っていると思います。しかし目の前には多くの困難があります。この困難をどうするか。「克服しなければならない」という、まずその心構えが大事ではないでしょうか。

二十世紀の殻から脱皮を

 第一次世界大戦が終わったとき国際連盟が生まれました。そして紛争は力によらずに話し合いで平和に解決しようと固く誓ったはずなのに、あっという間にそれを忘れて争いを始めた。そしてまた第二次世界大戦が終わったら、もう一度心を入れ替えようと国際連合が生まれた。しかし、国際連合が出来て戦争がなくなったかというと、なくなっていない。力によって解決しようという雰囲気が残っているだけではなく、むしろ激しくなりました。それは冷戦です。直接戦争をしないけれども、互いに武力を持ち、極限の武力として核兵器を持ち相対抗する。人類が全滅してしまうほどの核兵器の脅威が人類の上にのしかかっています。それがあるから戦争にならないという「核抑止力」なんて言葉もできました。
 その中で、初めて核兵器の被害を受けた広島・長崎を持つ日本人の核兵器に対する考え方に、私は不満をもっています。日本人は核実験には反対するが、核兵器廃絶となると腰が引けてしまう。なぜか。アメリカの核兵器によって日本は守られているから、核兵器廃絶をいうのは自分の守りを薄めることになる、という間違った考えをもっているからではないかと思います。
 そういう核の脅威の中でアメリカとソ連が勢力争いをした冷戦は、地球上に四つの大きな悲劇を残しました。一つの民族、一つの国を、その意思に反して無理矢理に分裂させた。いわゆる分断国家が四つできました。一つは東西ドイツです。あとの三つは東アジア、つまり日本の周辺です。
 一つはベトナム。ベトナム民族は北緯十七度線で南と北に分かれました。北ベトナムはホーチミン主席が率いた社会主義国、南はアメリカの支援を得た政府が出来て、ベトナム戦争が起きました。冷戦が彼らにベトナム戦争を押しつけたのです。やがてアメリカは「名誉ある撤退」でベトナムから敗退。あのアメリカが唯一、ベトナムには負けました。
 アジアにおける二つめの分断は朝鮮半島です。これも朝鮮戦争があって同じ民族が意思に反して敵対・戦争させられ、統一を妨げられてきました。冷戦の三番目の後遺症で、この問題はまだ終わっていません。
 もう一つ終わっていないのは台湾問題です。これは同じ中国でありながら大陸と台湾の間で対立構造になっています。毛沢東率いる人民解放軍によって大陸は解放され、一九四九年に中華人民共和国が出来ました。台湾も解放するはずでしたが海があるので残った。解放しようと思っていた時に、朝鮮戦争が起きて人民解放軍は義勇軍として北朝鮮の支援にまわったため、台湾の解放をやり残しました。その台湾に革命から逃れた国民党一派が亡命政権をつくった。中国は必ず解放すると言い続けて五十年たってしまった。なぜ解放できなかったのか、それはアメリカがじゃましたからです。「台湾は反共戦線の重要軍事基地だから共産主義の手に渡すわけにはいかない」とじゃまをした。今でもアメリカは「一つの中国だ」といいながら、台湾に武器を売っています。
 米ソが冷戦で勢力争いをした後遺症がいまだに残っているのは日本周辺です。それを口実にアメリカは、「日本周辺の朝鮮半島も台湾海峡もまだ物騒だ。いつ戦争が起きるかわからない」という。アメリカが武器を売っておいて、日米安保は大事だ、ガイドラインの整備を、自治体にも協力を、という。あきれるほどの矛盾なのに、マスメディアも矛盾を感じていないようです。
 今年はヘビの年ですが、ドイツの哲学者ニーチェの言葉に「脱皮できないヘビは滅びる」とあります。ヘビは脱皮して成長する。われわれは、二十世紀の戦争の殻を脱皮して、平和な二十一世紀に成長していくべきなのに脱皮できていない。沖縄の基地問題や周辺事態法など、いまだに戦争の悪夢にうなされています。
 クリントンであろうが、ブッシュであろうが、アメリカは結局自分の国益を守ることが最優先です。国益を守るために同盟国にいろいろと要求しているんです。しかし、日本にとっては冷戦の後遺症をなくすことが大事です。早く冷戦の殻を脱ぎ捨てる必要がある。北朝鮮の問題と台湾海峡の問題をきちんと解決することです。
 今、アメリカは唯一の超大国で、経済的にも軍事的にも政治的にも強い。このアメリカの前では、国際連合も無力です。それが世界の現実です。さあこれをどうするか。「困難は克服しなければならない」。超大国アメリカの覇権主義に対しては、いい加減にしなさい、そういう声が世界に高まっていくこと以外に道はないと思います。それが二十一世紀を迎えた世界の問題です。

カイロ宣言とポツダム宣言

 朝鮮半島については、カイロ宣言とポツダム宣言が重要です。
 戦争末期にアメリカとイギリスと中華民国の首脳が集まって戦後の日本をどうするか議論してカイロ宣言(一九四三年)を出した。まず中国について、台湾のように日本が中国から盗んだ地域は中華民国に返しなさいと書いてあります。朝鮮半島については、朝鮮人民を奴隷状態から解放して自由かつ独立のものとすると書いてあります。朝鮮問題を学習するなら、ぜひ原文でよく読んでください。
 カイロ宣言を受けたポツダム宣言(一九四五年)では「カイロ宣言の条項は履行され、また日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びにわれらが決定する諸小島に局限される」とある。このポツダム宣言を日本が受けなければ、日本を壊滅させるというものです。日本は悩んだ結果、ポツダム宣言を受諾して戦争は終結しました。
 日本は受諾した以上、守らなければならない。朝鮮は自由かつ独立のものとなりましたか。守っていませんね。そうは言っても朝鮮半島は南北に分かれている、ということになる。アメリカに「北は後回し、南から先にやりなさい」と言われて日本は南の韓国と関係を正常化した。アメリカの反共政策のため、北朝鮮との正常化は後回しにされました。
 日本はアメリカの占領下に置かれたことで、アメリカの強い圧力の下でしか独立できませんでした。これは日本の悲劇、冷戦の後遺症です。冷戦の中でアメリカ陣営に属しただけでなく、アメリカの抑止力の下でしか日本を守ることが出来ないという日米安保体制を受けたため、その枠外に出られず、かろうじてやったのが日韓正常化でした。
 当時、私は外務省の条約局にいました。朝鮮を自由かつ独立のものとするためには韓国とだけでなく、北との関係も正常化しなければならないという気持ちが外務省にありました。しかしアメリカが許さなかった。そこで苦心惨憺して、日韓正常化の日韓基本関係条約(一九六五年)の第三条に「大韓民国政府は、国際連合総会決議第百九十五号(3)に明らかに示されているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される」と入れました。このわずか数行の持つ意味は実に深くて大きい。一口で言うと、大韓民国政府は北の方にはなんら力が及んでいない、韓国と正常化しましたが北は白紙に残したのです。ですからその白紙に「北朝鮮を承認する」と書けばいい。そうすれば韓国を承認し、北朝鮮も承認して、分断されたままでも朝鮮半島を自由かつ独立のものとすることはできたんです。残念ながら当時、この意味は理解してもらえませんでした。
 米中ロ日、この四つの国が朝鮮半島といろいろと関わっています。ロシアは朝鮮戦争の時には北朝鮮に金と武器は支援したが血は流さなかった。中国は義勇軍を派遣して血を流した。血を流した中国と金で済まそうとしたロシア、この二つに支えられた北朝鮮が韓国、米軍と戦った。そういう経緯があるだけに北朝鮮に対する思いは中国とロシアでは違います。アメリカはまったく別な思惑があります。広い太平洋で隔てられているのに、アジアまで出てきて口も手も出す。超大国として「自分が一番強い、世界の平和と安定のためにアメリカが必要だ」ということを見せるためにもアジアにおけるプレゼンスを重視する。このように朝鮮半島への、米・中・ロと日本とそれぞれ関わり方が違います。にもかかわらず朝鮮半島は一つですし、朝鮮半島は自由かつ独立のものにならなければならない。その場合、思惑の違う各国はどう調整し一致していくかが国際的に克服すべき困難です。

日本のなすべきこと

 では日本はどうすべきか。日本には戦争すべきでないと思っている人がほとんどだと、この前まで思っていました。でもガイドライン問題の頃から少し疑問を持ち始めました。日本の中には戦争をしたい人がいるのではないか。特に永田町にいるのではないか。こんなことを言うと右翼から攻撃されるかもしれないような社会になっています。戦争直後に焼け野原に立った日本人は一人の例外もなく心から平和になりたいと思ったに違いありません。それが五十年たってこんなに変わってしまった。主権はわれわれが持っており、われわれが誰を選んだのかということを考えてみる必要があります。
 過去を未来に生かす外交が必要です。戦争に駆り出された過去の経験を未来に生かして、平和への道を歩むことです。過去を十分反省しないために日本はアジアで愛されていないと言われます。「なるほど金持ちになり、いろいろな経済協力をしているかもしれないが、日本はどうもアジアでは愛されていないようだ」と。なぜかというと二十世紀の殻を脱皮していないからです。二十世紀の殻を全部脱ぎ、新しい日本になれるかどうか。それには歴史認識と戦争責任の問題があります。
 あのカイロ宣言やポツダム宣言で徹底的に罵倒された、戦争をしたときの日本を、日本人は心の底から反省しているかどうか。「われわれのやったことは正しかった、われわれのおかげで多くのアジアの国は解放された」というような発言が繰り返される。歴史認識と戦争責任があいまいにされています。
 私は率直に言って、昭和天皇は戦争責任から逃れられない人だと思います。「天皇は神様」という時代には無理でしょうが、天皇は人間宣言しました。人間になったのなら言わせてもらいます。何百万という人があなたのために命を捨てた。天皇陛下万歳といって死んでいった人がいるのに、その万歳と言われた人がその責任も問われないというのでは困る。こう考えるのは普通のことだと思います。
 日本が愛される国になって、しかも平和な道を歩むには、これから東アジアでどうしていくべきか。国連に頼ってはだめです。国連はいい仕事もしていますが、世界から戦争をなくすための努力、特に核兵器をなくすための努力、そういうものに国際連合はどれだけの力を発揮していますか。安全保障理事会があって、常任理事国という五大国がいまだに威張っています。米英仏中ロ、この五大国が未だに拒否権を持ち、重要な問題でも自分の国益を守るためにはノーといえる。そんな国連が世界の平和のために何か出来ると思ったらそれは甘い考えです。
 世界の情勢は「自分は自分で守る」という流れになっています。ヨーロッパはEUで守る、アメリカは米州連合で守ると、それぞれあるのに東アジアにだけは出来ていません。なぜ出来ていないかというと、冷戦の後遺症がまだ残っているからです。台湾海峡の問題と朝鮮半島の問題、それらを残したままで「東アジアに新秩序」などと言ってもだめです。きちんと自分の地域のなすべき事をなした上でなければなりません。
 日本は北朝鮮との関係は白紙になっているのですから、早く正常化して、自由かつ独立のものとするという約束を果たすことです。
 それからASEAN(東南アジア諸国連合)です。ASEANができたころ、ほとんどの国が、「バラバラなASEANが一つにまとまるか」と言っていました。当時私はアジア局にいましたが、日本としては協力していくべきだと考え、ASEANに対する協力を工夫したことを覚えています。それが今や、堂々たるASEAN10になりました。五つの国から始まって十か国になり、完全に東南アジアをまとめました。今、ASEANの力はすごいです。ヨーロッパもアメリカも一目置いています。日本も、ASEANに日中韓を加えて「ASEANプラス3」と言いますが、どこか忘れていませんか。ASEANプラス4ではないのでしょうか。韓国を入れるなら北朝鮮も入ります。現に北朝鮮はASEAN地域フォーラム(ARF)に加盟したし、そういう流れで世の中が動いているのに日本はいつまでも遅れをとっています。
 日本は、東アジアの新しい秩序のためにもっとビジョンをもたなければなりません。そのためには現状把握と打開策が必要です。台湾問題は、中国の人たちが自分たちで解決すると言っているのだから、余計なことを言うべきではない。日本が言わないだけじゃなく、アメリカも口出しするなと言うべきです。また、冷戦も終わったわけで、白紙で残してある北朝鮮と正常化すること。いろいろな困難は克服すればいいのです。
 このように、まず第一にカイロ宣言で約束していることを実行すべきです。そして東アジアに冷戦後遺症がなくなり、二十世紀の殻も全部脱ぎ捨てて、そして戦争のない新しい秩序をつくろうと踏み切れば、日本も少しは信頼されることになると思います。
  (二月二日、埼玉県川口市で開催された「朝鮮半島情勢と日本の進路を考える県南の集い」での講演要旨です。文責編集部)