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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2001年3月号
「郡上一揆」は今から二百五十年ほど前の江戸時代、郡上藩(岐阜県)で起きた農民による年貢引き上げに反対した一揆であった。切羽詰まった農民の代表達は当時死罪を免れなかった江戸幕府へ直訴することにした。四年間に及ぶ闘いの結果、郡上藩は取りつぶされ、関係幕府役人も処罰されて勝利した。農民代表十四人は死罪となったが郡上の人々に義民として現代まで語り継がれている(『日本の進路』一月号参照)。大池裕製作委員会会長に聞いた。
私は先祖代々、飛騨で岐阜県国府町です。郡上に隣接したこの地では、郡上一揆の七年後に郡上一揆の戦略を学び取って大原騒動という農民一揆が起きています。
平成十二年正月三日、神山征二郎監督が自宅に来られました。監督は「農民のやってきたことを史実に基づいて、どうしても現代に映画化をして後世につなげたい。この一揆は協同して不正に立ち向った。現代は協同しようという心の問題が欠けつつある。歴史、文化というのは農業が母胎となり、作られてきた。その農民の史実の中に一揆がある。それを現代社会に継承することが必要だ」と言われた。私は監督に感動し期待しました。
これは農業者だけでなく教育、行政も参加してもらうことが必要だと梶原岐阜県知事と相談し、知事が名誉会長、「義民の会」の会長が副会長、そして私が会長になり、郡上郡だけでなく、岐阜県全体でやろうと製作委員会を作りました。そして三月十七日クランクインし、七十日間に及ぶ撮影が行われ、十二月の封切りとなったわけです。
時代考証に必要な資材や家屋などを地元で提供していただき、郡上郡以外にも飛騨の高山や荘川村などからも協力をいただき、オープンセットを作ると何千万円もかかるものを全部無償で提供していただきました。郡上一揆に参加した末裔の方々、地元の住民、農家の方、商業の方々が男女を問わずエキストラとして、皆ボランティアで延べ三千五百名余の協力がありました。冬場の撮影ではドロ田で一生懸命やっていただいた。それから役者の皆さんの食事などの炊き出しの手伝いもされた。
ボランティアの中には、芸妓さんもいて官官接待の場面に出演して貰うことになった。映画には数秒しか出ない場面でも、岐阜を朝五時に出て荘川村の茅葺き家まで行き、三味線や踊りを撮影したこともありました。
地元の住民と役者さんの気持ちに共通の熱いものを感じながら撮影が進みました。農民一揆という文化に支えられて皆が結集し、地元の人の協力で映画が出来ました。
主演・定次郎役の緒方直人さんは試写会の挨拶で「俳優としてやればやるほどその深みがあって、心が溶け込んだ」と話されました。
岐阜県での試写会では、二千人の参加があり、最初ざわついていた会場が映画が始まって進行すると、誰からも咳一つでない。そして最後にハーっとため息をついている。それだけ感動した結果でしょう。よかったなと心から思いました。
郡上から江戸まで約五百キロほどですから、殿様の参勤交代と違い大変なエネルギーがいった。駕籠訴するために隠れていく、村々とつなぐ、情報をもって帰る、大きな時間が費やされている。その費用は皆の募金です。村では貧しい人が首吊り自殺をするような時代に金を出し合った。
映画の中でリーダーとして闘い、最後には斬首される定次郎に、お父さんが皆の為に学び役に立てと教えます。
ある一つのことに地域の人が仲間で結集し合う、そういう協同、心の結集が必要です。
いまわが国の農業は国内的問題としても国際的問題でも厳しい。展望が見えないわけです。WTO問題で三月、四月スイスジュネーブに行きます。一昨年はシアトルで、催涙弾にあい、目を開けられませんでした。あの日は交渉が流れてしまいましたが、NGOの抗議行動はすごいものでした。
郡上一揆は年貢をより多く取り立てるという問題であったけれども、今の農業は将来への展望が無い、農業者は一揆でも起こしたいような思いをしています。農民が支えている食糧というのは一番大切なものです。食糧は他の工業製品と違い、単なる生産者だけの問題じゃなく、消費者の問題でもあるんです。そういう中で民主国家としての国益というものをいかに守るか、このことがこれからの国内政治と国際政治に大きく問われると思います。
全国でもっとこの映画が話題になり広がることを願っています。
* 上映日程など問い合わせは映画「郡上一揆」全国上映委員会
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