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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2001年2月号

「集団的自衛権を行使せよ」

これがブッシュの対日政策だ


 一月二十日、米国のブッシュ政権が誕生した。どういうアジア政策、対日政策が出されるのか。
 昨年十月、民主、共和の両党にまたがる超党派の専門家グループが、大統領選挙の最中に次期政権の対日政策として「合衆国と日本―成熟したパートナーシップに向けて」を提言した。これは共和党のレーガン政権で国防次官補などを務めたアーミテージ、民主党のクリントン政権で国防次官補を務め「東アジア戦略」をまとめたナイ、クリントン政権で国防副次官補を務め日米特別行動委員会(SACO)のとりまとめや新ガイドラインを作成したキャンベルらが提言としてまとめた。
 この専門家グループを組織したアーミテージがブッシュ政権の国務副長官に就任したのをはじめ、ウォルフォウィッツが国防副長官、ケリーが東アジア・太平洋担当国務次官補、パターソンが国家安全保障会議アジア担当上級部長として、ブッシュ政権に加わったことから、この提言がブッシュ政権の対日政策の青写真となることは確実だ。
 この提言は、米日関係において重要な六つの要素(政治、安全保障、沖縄、情報、経済、外交)を検討し、実行すべき事項が提案されている。例えば、冷戦後のこの地域の情勢は不安定であり、新ガイドラインは最低限を定めたもので、日本に集団的自衛権の行使ができる(憲法改悪)よう求めている。
  ◇  ◇  ◇  ◇
▼パウエル国務長官は中国政策では「中国は戦略的競争相手」「台湾関係法に基づく台湾への武器供与の継続」を表明(一月十八日、上院外交公聴会で)。また、北朝鮮政策では「ミサイルや大量破壊兵器を開発している限り、警戒は怠らない」「性急な関係正常化はしない」と表明(一月十七日、上院外交公聴会で)。
▼ブッシュ大統領は「本土ミサイル防衛(NMD)計画を積極的に進める」と発言(一月二十六日)。
▼ライス安全保障担当大統領補佐官は、昨年の外交誌『フォーリン・アフェアーズ』掲載の「国益を促進する」で「アジア・太平洋の安定にとって中国は潜在的脅威。中国のパワーを封じ込めるため、日本との同盟関係が重要」と指摘。
▼ゼーリック通商代表は、「日本に対し、コメをはじめ、さまざまな分野で、一層の市場開放を要求する」と発言(一月三十日、議会公聴会で)。
  ◇  ◇  ◇  ◇
 これに対して森政権は、経済面でも軍事面でも、負担の強化につながる日米同盟の道を歩もうとしている。山崎拓・元自民党政調会長は、ブッシュ政権首脳から「日本が集団的自衛権行使に踏み切るよう期待」されたことを自慢げにホームページに掲載している。
 一方野党の民主党の鳩山代表らも、集団的自衛権行使、PKO参加、憲法改悪など、米国の要求に応える方向を鮮明にしている。
 今年は日米安保条約締結五十年目。経済、軍事、政治、外交、経済全体にわたって米国の植民地のような日米関係は終了させるべきだ。「日米安保はいらない、米軍基地もいらない。自主・平和外交でアジアの共生を」の日本を実現しよう。
  ◇  ◇  ◇  ◇
 提言の構成は、
 1、このレポートについて
 2、冷戦後の漂流
 3、政治
 4、安全保障
 5、沖縄
 6、情報
 7、経済関係
 8、外交
 9、結論
 となっている。 (編集部)


【資料】
米国防大学国家戦略研究所(INSS)特別報告
                                        二〇〇〇年十月十一日
合衆国と日本
 ―成熟したパートナーシップに向けて


1.このレポートについて

 以下のレポートは、米日パートナーシップに関する超党派研究グループの一致した見解である。政治文書ではなく、研究グループメンバーの見解を反映したものである。研究グループは、アジアとの関係は重要だと確信しており、それを首尾一貫して戦略的なものにしようと試みた。
 研究グループのメンバーは次のとおり。
◆リチャード・アーミテージ(アー ミテージ・アソシエイツ)
◆ダン・ボブ(ウィリアム上院議員 事務所)
◆カート・キャンベル(戦略国際研 究センター)
◆マイケル・グリーン(外交問題評 議会主任研究員)
◆ケント・ハーリントン(ハーリン トングループLLC)
◆フランク・ジャヌズ(上院外交委 員会マイノリティスタッフ)
◆ジェームズ・ケリー(戦略国際研 究センター太平洋フォーラム)
◆エドワード・リンカーン(ブルッ キングズ研究所)
◆ロバート・マニン(外交問題評議 会)
◆ケビン・ニーラー(スコウクロフ トグループ)
◆ジョセフ・ナイ(ハーバード大学 ケネディスクール学長)
◆トーケル・パターソン(ジオイン サイト)
◆ジェームズ・プリジステュープ
 (国防大学国家戦研究所)
◆ロビン・サコダ(サコダ・アソシ エイツ)
◆バーバラ・ワナー(フレンチ&カ ンパニー)
◆ポール・ウォルフォウィッツ(ジ ョンズ・ホプキンス大学ポール・ ニッツ高等国際研究スクール)

 この論文で示した意見、結論、勧告は、執筆者の見解であって、必ずしも国防大学、国防省、他のいかなる政府機関、非政府組織の見解を表しているわけではない。
 歴史的変化のさなかにあるアジアは、合衆国の政治、安全保障、経済、その他の国益にとって、きわめて大きな比重を占めている。アジアが世界人口の五三%、世界経済の二五%を占め、合衆国との貿易が往復で年に約六千億ドルにのぼることを考えると、アジアはアメリカの繁栄にとって死活的に重要である。政治的には、日本、オーストラリアから、フィリピン、韓国、台湾、およびインドネシアにいたるまで、この地域の国々は民主主義の価値を普遍的に訴えている。中国は重大な社会的、経済的変化に直面しており、その結末がどうなるかはまだ定かではない。
 ヨーロッパでは少なくとも三十年間は、大きな戦争はあり得ないだろう。しかし、アジアでは、衝突の可能性がないとはとても言えない。この地域には、世界最大で最も現代的な軍隊がいくつかあり、核武装した大国および核武装可能な国家がある。朝鮮半島や台湾海峡では、米国を大規模紛争に巻き込む敵対行動が瞬時にして起こる可能性がある。インド亜大陸は主要な発火ポイントである。それぞれの地域で、戦争が核戦争にエスカレートする可能性がある。さらに、インドネシア(世界で四番目に大きい国家)でくすぶりつづけている騒動は、東南アジアの安定を脅かす。合衆国は一連の二国間安保でこの地域と結びついており、その二国間安保が事実上この地域の安全保障構造となっている。
 このような危険が確かで可能性がある状況のもとで、米日関係はこれまでより重要である。世界第二の経済とよく装備された有能な軍隊を持ち、我々の民主的な同盟国である日本は、米国がアジアに関与する際の要石(キーストーン)である。日米同盟は米国の安全保障世界戦略の中軸である。
 日本もまた重要な変化の過程にある。主としてグローバリゼーションに駆り立てられて、日本は第二次世界大戦後では最大の社会的、経済的変化の真っただ中にある。日本の社会、経済、国家としてのアイデンティティー、そして国際的な役割が受けている変化は、明治維新の時に経験したのと同じくらいに根本的な変化だろう。
 この変化の結果がどうなるかは、まだ完全には分からない。西欧諸国が明治維新で台頭してきた近代国家日本の潜在能力をきわめて過小評価していたように、多くの人は日本で今、同じような変化が起こっていることに気がついていない。その結果はまだ明確な形で現れてはいないが、けっして軽視できるものではない。米国にとって、二十一世紀にこの同盟関係を維持・強化するカギは、日本で進行している変化の行方を予測しながら、二国間の関係を見直すことである。
 第二次世界大戦後、日本はアジアで積極的な役割を果たしてきた。教育があり意欲的な選挙民の成熟した民主主義国家として、日本は政治変化が平和的に起こることを示してきた。日本はこの地域での積極的な外交と経済関係によって、地域の安定を促進し信頼を醸成するのに貢献してきた。
 一九九〇年代初めのカンボジアにおける国連平和維持活動への参加、広範な防衛交流、安全保障の対話、ASEAN地域フォーラムと新「プラス3」への参加などは、日本政府の行動が日増しに積極的になっていることを証明している。最も重要なことは、米国との同盟関係がこの地域の秩序を支えてきたということだ。
 われわれは米日関係において重要な六つの要素(政治、安全保障、沖縄、情報、経済、外交)を熟考し、二十一世紀に向けて持続的な同盟関係の基盤を打ち立てるため、実行すべき事項を超党派で提案する。

2.冷戦後の漂流

 西側同盟のパートナーとして、米国と日本は冷戦で勝利するために一緒に働き、民主主義と経済機会の時代をアジアにもたらすのに役立った。だが、冷戦で勝利した結果、両国が現実の脅威や潜在的な危険に直面しているもかかわらず、米日関係は方向性を失い、焦点が定まらず一貫性を失った。
 ソ連を封じ込めるという戦略の束縛からいったん解き放たれると、ワシントンも東京も日米同盟の必要さが現実的で実践的で差し迫ったものであることを軽視した。具体的な共同と明確な目標設定に代わる代用品を見つけようと善意で努力しても、対話は散漫になるだけで、共通の目的を明白に定めることにはならなかった。国際安全保障の新しい概念を使って実地に試してみる努力は気まぐれに進んだが、安全保障における両国の結びつきを再定義し再生する結果にはならなかった。
 焦点がはっきりせず、両国の努力が欠けていたのは明白だ。日本にはアジア化の観念に引きつけられ、経済的相互依存と多国間の制度によってこの地域がヨーロッパと同じような道を進むのではないかとの希望に魅力を感じる人々がいた。米国では多くの人々が冷戦の終結は経済優先に戻る機会と見なした。
 一九九〇年代の初期は、主に日本市場参入の問題で両国の緊張が高まった時期であった。日本を経済上の敵とみなす米国人もいた。だが、この五年間で、貿易における緊張状態は緩和された。日本の繁栄に対する嫉妬や懸念は、日本の不景気や悪化する財政危機への戸惑いに変わっている。
 米国も日本も、同盟関係を再定義して再生させる必要性を取り上げなかった。両国は同盟関係を当然のことと考えていた。九〇年代中期までは、日米同盟は明らかに漂流していた。米日の政治家たちが同盟関係に関心を寄せるようになったのは、朝鮮半島の危機や沖縄でのレイプ事件が起こってからである。両国の政治家たちは遅まきながら両国関係を当たり前のように思ってきたことのうかつさに気がついた。九六年三月に台湾海峡で起こった衝突は、米日両国が安保同盟を再確認するのに弾みをつけた。
 一九九六年の日米安保共同宣言で、両政府の関心は同盟関係を一新する方向に向かった。日米安保共同宣言によって、防衛関係を最新のものにするという具体的な変化が導かれ、日米防衛協力の指針の改定、沖縄に関する特別行動委員会(SACO)の九六年報告、戦域ミサイル防衛(TMD)研究の協力協定が実現した。しかし、九六年の宣言はその象徴的意義だけが独り歩きし、上層部の関心は薄かった。その結果、両国はすぐにささいなことで衝突したり、政治的協力のまずさを露呈した。
 米日関係の悪化の代価は大きく、内面でも表面でも進んだ。九〇年代の終わりになると、自力で変わることのできない日本に、米国の多くの政治家は興味を失った。実際、日本の長引く不景気で、日本の官僚の中にさえ気力をくじかれている者もいた。
 日本では多くの人々が、米国はごう慢だ、自国の処方箋が普遍的に他の国々の経済、政治、社会に適用できるわけではないことがわかっていない、と思っている。官僚やオピニオンメーカーは、米国のアプローチが自国の経済的利益をはかる身勝手なものだと感じ、自己中心的なグローバリゼーションを当然のことだとしている米国に怒りをつのらせてきた。
 米国の関心と利害がアジアに向かっているのは明らかだ。最近、米国の政治家は、一九八九年の天安門広場での民主的デモ以来危機的になっている中国との関係に、主要な関心を寄せている。ワシントンも東京も九六年の声明に盛り込まれた安全保障の課題を積極的に実行しようとしなかった。なぜなら、米日の協力関係強化に対する、中国政府の反応を懸念したからだ。
 米国政府が米日関係を利用して、中国の周辺国との外交を制約している、というのが中国側の見方とされていたが、中国はそう思われていることを知りながら、あえて訂正しようとしなかった。米国は中国との関係を改善しようと模索し、日本も米国ほどではないがその方向に動いていた。両国は封じ込め戦略という概念はもっていないということを主張してきた。
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を孤立させないようにするという共通認識をもてたことが、米日間で行われた唯一積極的な安全保障の話し合いであった。米国、日本、韓国は北朝鮮問題に取り組む上で、もっとも効果的な戦略を打ち出すため緊密に協力し、同じ目標に取り組むことに同意している。
 これまで米日間には意見の食い違い、回り道などがあったが、それを単純に批判するべきではない。むしろ今までの経緯が同盟関係を改善し、再生し、再び焦点を当て、関心を呼び起こす機会を生むと考える。
 政治の変わり目、大切な変化の時期にある米国と日本は(米国では大統領が変わろうとしており、日本では経済、社会、政治の変化が起こっている)、アジアの安全保障体制の不安定さにも直面している。
 また、中国とロシアにおける政治、経済の不安定、朝鮮半島における緊張緩和のもろさ、そして今後も続くとみられているインドネシアの混乱、それらすべてが一緒に取り組む課題だ。
 日本は回復不可能で、日本とかかわるのは無駄だと考えている人は、国際社会で米国の力が弱体化していたのはほんの十年前ということを思い出すといい。
 八〇年代と九〇年代に一部の日本人は不覚にも米国の潜在的で持続的な能力を見逃していたが、それと同じように日本の能力を過小評価するのは愚かである。

3.政治

 過去十年間、与党の自民党は内部抗争、伝統的な利益団体の不協和音に見舞われ、主な選挙区で大きな亀裂を生じ勢力は弱体化している。にもかかわらず自民党はその勢力にしがみつくことに必死である。同時に野党も国民の信頼を得ること、魅力のある政策を打ち出すことに失敗している。自民党は政権維持にのみ努力を傾け、野党は政権を担えるだけの代替案を示せずにいる。
 つまり日本国民は政権を任せられるほどの信頼を野党に置くことができず、仕方なく自民党に政権をゆだねている。その結果、日本政府はどうにか切り抜けているというよりも、どっちつかずの何もできない状態に陥っている。
 とはいえ、世界経済が容赦なく国際化を迫り、経済の改革と立て直しの必要性が政治的な変化を生んでいるようだ。このような経済的な圧力が、従来のなれ合いの関係にあった政治家、企業、官僚のいわゆる「鉄の三角形」の独占的な力を打ち破りつつあり、その力を分散させている。日本の政治体制は今、時間をかけて変化している。
 日本の政治の変革がこれまでにない米日関係のきっかけを与えてくれるかもしれない。両極端のイデオロギーの違いによる衝突、若手政治家の安全保障に対する現実主義の台頭は新しい指導者を生む土壌をはぐくむ。
 現在の指導者層が突然改革を標ぼうしたり、国際社会で活躍するのを期待することは非現実的だ。日本の議会制度は、長期的には実りあるものでも、短期的に痛みを伴う政策の実現を困難にしている。リスクを嫌う政治体制である。しかし、若手政治家や国民の多くは、経済力のみで日本の安定した将来は保障できないということに気が付いている。さらに、国旗・国歌が公式に認められたこと、尖閣諸島のような領土主張に焦点があてられたことなどによって、国民の中に国家の主権や領土というものを尊重する気持ちが現れている。これらの変化で米日関係がどう変わっていくかは非常に重要である。
 同様なことが米国でも起こっている。外交政策で議会の果たす役割が増大したこと、州や自治体の影響力の増加、技術や個人の力により民間部門が経済を先導していること、それらがかつての外交政策の中核をなしていたものの影響力を弱めている。
 しかし、リスクを嫌う日本の指導者層が国の経済の変化を押しとどめているように、方向性を示せない米国政府も自分の首を絞めている。米国では相も変わらず行政の指導者が、米日関係の詳細な在り方を示せないでいる。そのため、日米同盟の重要性に対して、政治的な支援と国民の理解を得られていない。つまり、米国で起こっている政治、経済、社会の変化が、外交問題における行政の指導性をますます求めているのである。
 米国が日本との関係において、ごう慢ではなく卓越した形でリーダーシップを発揮できれば、両国は過去五十年間に培ってきた協力関係の潜在力を現実の力に変えられるだろう。日本で進行している変化がより強力でより迅速に反応する政治経済体制を構築すれば、米日関係での協力が、将来地域や世界の舞台において、意欲的で相互に支え合う建設的な役割を果たす能力を高めるだろう。

4.安全保障

 アジアは不安定要因をはらんでいるため、二十一世紀におけるアジア諸国との関係について、米日両国は共通の認識とアプローチを確立することが急務である。
 目に見える形の真の米日防衛関係で、アジアの紛争の可能性は劇的に低くなっている。日本から提供されている基地の使用によって、米国は太平洋からペルシャ湾まで、安全保障環境に影響力を行使することができる。改定された日米防衛協力の指針は、合同防衛計画の基礎であり、日米同盟における日本の役割の拡大について、最低限のことを定めた「床」(「天井」ではない)とみなすべきである。冷戦後の地域情勢は不確定だから、両国の防衛計画にもっとダイナミックにアプローチしなければならない。
 日本が集団的自衛権を禁止していることが、同盟関係の足かせになっている。集団的自衛権を行使できるようにすれば、より緊密で効率的な安全保障協力ができる。これは日本国民が決定することである。米国は日本の安全保障政策を特徴づける日本国内の決定を尊重してきたし、これからもそうすべきである。しかし、米国政府は、日本が自らすすんでもっと大きく貢献し、もっと対等な同盟相手になることを歓迎する、という意思を明確にしなければならない。
 われわれは米国と英国の特別な関係を同盟関係のモデルと見ている。その実現のために、次のことが必要である。

(1)防衛の公約を再確認すること。米国は、日本とその行政上の管理下にある領域(尖閣諸島を含む)の防衛に対する米国の公約を再確認すべきである。
(2)有事法の制定も含めて、新日米防衛協力指針の着実な実施。
(3)米国の三軍と日本の三軍との堅固な協力。米国と日本は、基地の使用におけるいっそうの共同や訓練の統合のために努力すべきであり、一九八一年に合意された軍隊の役割と任務を見直して、最も新しいものにすべきである。両国は古いパターンの訓練よりも、現実を再現する訓練に力をそそぐべきである。両国はまた、国際的なテロ、国境を越えた犯罪活動、長引く潜在的な脅威など新しく現れている事態に対する相互支援の方法や、平和維持活動・平和創造活動における協力の方法を明確にすべきである。
(4)平和維持活動や人道的な救出任務に対する全面的な参加。日本は平和維持活動を行う他の国に負担をかけないため、平和維持活動に関する一九九二年の自己規制を解除する必要があるだろう。
(5)十分な能力、機動性、柔軟性、多様性、生存能力という特徴を持つ兵力構成の開発。兵力構成の調整は人為的な数に基づいてを行ってはならず、その地域の安全保障環境を反映すべきである。その過程を明らかにし、兵力構成の変更は専門的な協議と対話、お互いの同意によって行われるべきである。米国は日本列島における軍事プレゼンスを再構築するために、技術の変化や地域の発展を利用すべきである。われわれは米軍の能力が維持されるかぎり、日本に駐留する米軍を削減するよう努力すべきである。これには米軍の整理統合を継続すること、一九九六年の日米特別行動委員会(SACO)合意の迅速な実施も含まれる。
(6)米国の防衛技術を日本も使用できるようにすること。防衛技術は、全面的な同盟関係の重要な構成要素である。われわれは、米国の防衛産業が日本の防衛産業と戦略的な同盟関係を築き、互いに使用可能な最先端軍事技術が双方向で流れるように奨励すべきである。
(7)米日ミサイル防衛協力の領域を拡大すること。

 われわれが日本にもっと大きな役割を担うよう提唱すれば、両国は健全な議論を戦わせるだろう。そして米国の官僚や政治家は、日本の政策がどんな場合にも米国の政策と一致するとはかぎらないことを認識するだろう。今や負担の分かち合いが力の共有に進化する時であり、次期政権はこれを実現するためにかなりの時間を割かなければならないだろう。

5.沖縄

 日本に駐留する米軍の約七五%が沖縄県に集中している。これは安全保障上の問題と距離的要素に理由がある。沖縄は東シナ海と太平洋が合流する位置にあり、朝鮮半島、台湾、南シナ海から飛行機で一時間の距離にある。
 嘉手納基地の米空軍は、この地域一帯にアメリカの影響力を行使するため非常に重要な役割を果たしている。これは日本の防衛にとっても決定的なことである。沖縄に駐留する第三海兵遠征軍は、地域で起こった問題に迅速に対応できる自立した前方配備部隊を擁し、非戦闘員を救出することもできるし、侵略を阻止するために最先端の戦闘部隊で大規模な編隊を組むこともできる。
 しかし、沖縄における米軍の過度な集中は明らかに日本政府にとって負担になっており、日本ほどではないにせよ米国にとっても、例えば訓練に対する制約という形で、負担になっている。海兵隊は作戦上の任務の回転が早く、年齢層が若いために、沖縄の米軍プレゼンスに変化を期待している日本の民衆から、特別な監視を受けてきた。
 海兵隊としては、良き隣人となる努力をしてきたが、その即応態勢や訓練は基地周辺からの圧力でますます大きく制約されるようになってきた。統計上では米軍人による不祥事が急激に減少しているにもかかわらず、現在の政治的状況の中で、不幸にして起こってしまった不祥事への関心は大きくなっている。
 一九九六年の沖縄に関する日米特別行動委員会(SACO)合意は、在沖米軍基地の整理・統合・縮小を定めた。米国と日本は、普天間飛行場を含む十一施設、約五千ヘクタールの米軍基地を削減するこの合意を、完全に実行しなければならない。
 われわれはSACO合意の中に、アジア・太平洋地域への分散化という重要な第四の目標を盛り込むべきであったと考えている。軍事的な観点から、米軍がこの地域全体への広範で柔軟なアクセスを確保することは重要なことである。しかし、政治的な観点からは、米軍のプレゼンスを持続的で信頼のおけるものにするため、沖縄県民が背負っている負担を軽減することは不可欠である。日本における兵力構成を考える米国人は、SACOの合意で止まってはならない。米国はこの地域全体における、海兵隊のもっと広範で柔軟な配備と訓練を検討するべきである。

6.情報

 米日双方にとっての潜在的脅威と明白な危険の性質が変化したため、両国間のもっと大きな協力と情報能力の統合が求められている。二国間同盟の重要性にもかかわらず、日本との情報の分かち合いは、われわれがNATO加盟国と情報分野で享受してきた密接な関係と比べれば、鋭いコントラストをなしている。グローバルな発展の傾向が強まっている時に、資源の減少や平和維持・平和創出のような新しい任務は同盟国における情報能力の協力と統合をいっそう必要としている、と認識しなければならない。
 皮肉なことに、冷戦の終結とともに、脅威の性質があいまいになり、しばしば政策選択がもっと複雑になったため、安全保障の脅威に関する重要な情報の分析や収集で協力することが極めて必要になってきた。日本は、今ある米日間の情報連携では必要さに応えるものではないことを、はっきりさせた。
 米国について言えば、日本と協力する必要があることは明白だ。両国は違いをはっきり主張すると同時に、比較と競争による分析に基礎づけられた政策を実行する協定に達する必要がある。情報の共有がその目標に到達する道である。さらに、仕事の分割―それぞれの比較優位にしたがった分析の仕事の配分―は、資源に制約された情報社会のために利益をもたらす。日本は世界中で仕事をしているので、価値のある情報をもたらす能力や戦略的な情報対話への洞察力を持っている。
 おそらくもっと重要なことだが、日本との情報協力の戦略ビジョンは長いこと遅れている。米日の情報連携を強化できなければ、同盟内で共通の理解や行動が必要な事態が起こった時に、われわれの認識―そして、たぶんわれわれの政策―は分かれるだろう。
 情報協力の改善は日本にとって重要なことだ。日本がもっと大きく国際貢献しようとすれば、日本自身の情報能力を強化し、米国との協力を拡大する必要がある。
 情報協力を強化すれば、日本が政策形成、危機管理、意思決定のプロセスを改善する助けになる。加えて、アジアの内でも外でも、日本はもっと様々な脅威やもっと複雑な国際的責任に直面する。それゆえに、国家安全保障の必要さを理解するのに役立つ情報が求められてくる。
 情報協力はまた日米同盟における日本の役割を強化するだろう。米国と日本の情報社会の間の大きさの違いが明らかになっても、バランスのとれた分担にはどうしても時間がかかる。しかし、長い時間による結果―潜在的脅威に関する改善された情報、競った分析の産物、補足された見通し―は協力を豊かにし、同時に双方により良い情報をもたらすだろう。
 米日の情報協力はどちらの国においても国家レベルの問題だから、国家レベルで取り扱う必要がある。
 次のことは米国が行うべき義務である。

(1)国家安全保障顧問は情報協力を強化して政策にし、情報を優先するようにしなければならない。
(2)CIA長官は米国の政策形成者と調整して、いくらか日本の国家安全保障上の優先度にあわせた協力を拡大するため、日本と協力しなければならない。不法移民、国際犯罪、テロリズムのような国家を超えた問題はすべて、両国の政府機関どうしの一致したプログラムを必要としている。
(3)人工衛星など独自の情報能力の強化という、理にかなった日本の要求を、米国は支持すべきである。
(4)米国の政策は、分析センターの共同スタッフ、相互教育プログラム、情報ネットワークを豊かにする共同計画を優先すべきである。

 米日間の情報協力を高めるためには、双方の国における政治的支持が必要である。この点で、日本はいくつかの基本的なステップを踏む必要がある。

(1)日本の指導者たちは、機密情報を守る新法について、大衆的、政治的な支持を獲得する必要がある。
(2)情報能力の改善によって日本の政策形成に対する支持が強まっている時に、日本の指導者たちは意思決定のプロセスを明らかにする必要がある。
(3)経験によれば、国会が情報プロセスにどのように関与するかについて、対話が必要である。民主社会における情報の監視は、政治的支持を保持する上で決定的に重要なことである。

 要するに、日本が将来の防衛ニーズを明らかにして政府を再編するので、情報協力を戸だなから取り出す時が来た。

7.経済関係

 経済的に健全な日本は、繁栄する米日パートナーシップにとって重要である。事実、全アジアにおける米国の国益は、繁栄し、成長している、力強い日本経済があることから得られる。日本は米国の商品にとって第三の顧客にとどまっており、日本が相変わらず弱体であることは、米国の労働者と企業にとっては機会の喪失を意味してきた。グローバルな資本の流れが不安定で不確実なのは日本が弱いからである。それに加えて、内向きで欲求不満で不安定な日本の大衆は、日米同盟におけるより大きな役割を喜んで演じようとしないか、あるいは演じることができない。
 不幸なことに、日本は経済不振と不況という失望の十年を経験してきた。一九九二年から一九九九年まで、実質経済成長は平均して年率一%にすぎなかった。失望の十年は一九九七年から一九九八年の不況、そして再び一九九九年後半の不況に終わった。
 日本の持続的な経済成長の回復は、市場開放と次の認識に大きくかかっている。つまり、民間部門がグローバリゼーションの力に対応するのにまかせることが経済回復のカギだ、という認識である。これにはいっそうの規制緩和、貿易障壁の削減、もっと開かれた市場を保障するルールや機関の強化が含まれるだろう。
 これは日本の政策エリートがわかっていることであり、一九八六年の前川レポートに始まる公的見解で証明されている事実である。一九七〇年代の半ば以来、外国人は日本の政策決定者が経済の透明度と開放度を高めるのを促進しようと試みてきた。不満を高めた歴代の米国政府は、日本が一連の新たな貿易・経済政策の選択肢を採用するよう促す努力をしてきた。
 改革に対する障害は並大抵のものではない。中高年労働者(彼らの二〇〜三〇%はまだ終身雇用という居心地の良い聖域を楽しんでいる)、保護された企業、そして企業を守ることを長く習慣にしてきた官僚は、現状を守り続けようとする。さらにその上、日本人はせっぱつまらないかぎり、急激な変化を嫌う傾向がある。そして日本には、国の経済問題は危機的な段階にまではまだ至っていないと主張する人もいる。危機感の欠如、そして確立された習慣を急に変えることに抵抗する国民性は、必要ではあっても政治的、心理的な苦痛をともなうリストラ政策の採用を妨げる。
 同時に、日本がその経済問題を言うことに上達したと認めることは重要だ。例えば、多くの西側エコノミストは日本のいわゆる金融ビッグバンや一九九八年の銀行救済に高い評価を与えた。外国の直接投資は劇的に増加してきた(他のどの主要先進国の経済よりも低い水準ではあるけれども)。これらの発展が大競争や新ビジネスのモデルを導いた。会社は縁故よりも収益性を強調し始め、そうしたシフトが時代遅れの系列システムをますます弱めてきた。企業家精神が高まる傾向にあり、ベンチャー資本市場が成長しつつある。
 情報技術(IT)部門は急速に成長している。新会社が立ち上がっており、多くの経済部門で潜在的利益が充実している。それでも、IT部門の成長が過去十年の不振から経済を救出するのに十分なものかどうかについて、エコノミストの間で意見が分かれた。規制という障壁が成長を圧迫し、他の産業におけるIT技術の採用を遅らせてきた。それゆえ、日本経済におけるこの部門の潜在的重要性は、経済の明るい未来を確実にするために経済システムのいっそうの改革と規制緩和の必要さを強める。おそらくITがなし得る最も重要な貢献は、規制緩和や日本経済におけるビジネスモデルの柔軟性を促進することである。
 それでも回復の障害は引き続き存在する。特に、銀行問題はまだこれから十分に提起されなければならないし、財政刺激は長期的な成長にはほとんど効果がない人気取りの公共事業にあまりにも依存してきた。この欠陥がある財政アプローチによって、債務はGDPの一・二倍、世界の他の主要先進国よりもはるかに高い比率にまでなった。
 経済の変化を押し進めるために民間部門のダイナミズムを用いる、より革新的なアプローチが今では適切だ。日本については、物価がまだ高い。長期に健全な状態への日本経済の回復には、短期的にはいくらかのコストを必要とするが、日本の政治家はこれまでのところそれを拒んできた。米国は次のような線にそって日本が政策を展開するよう迫るべきだ。

(1)日本経済のシステムをいっそう改革すること。国内国外を問わずすべてのプレイヤーに開かれた市場にもっと大きく依存することは、持続的な経済の回復にとって決定的である。
(2)引きつづき短期的な財政刺激、金融刺激を行うこと。日本の債務問題が大きくなっているが、日本は将来の成長を促進する見込みがある分野に財政刺激の重点をおくべきだ。どこにも波及しない橋、トンネル、高速鉄道の時代は終りにしなければならない。
(3)会計、ビジネス習慣、規則制定の透明性をもっと大きく高めなければならない。日本の経済統計の質を改良し、金融機関や地方自治体は本当の財政条件について十分に説明することを要求されるべきだ。政府も同じように政府情報の開示をもっと開かれたものにする必要がある。
(4)規制緩和を加速すべきだ。電気通信のように経済に利益をもたらす可能性が最も大きい分野では、特にそうすべきだ。
(5)日本とシンガポールの間の自由貿易協定は、韓国、カナダ、米国、その他関心ある国との同じような協定のテストケースとして、促進すべきだ。

 日本市場を開放し、構造改革を押し進めるための米国政府のイニシアチブ、その能力は減少している。改革の欠如が米国企業に影響を与えたり、世界経済を危険にすれば、米国は法的な利害関係を持つ。良好な企業統治(コーポレイト・ガバナンス)の基準やビジネス慣行の透明性を含む、これらの領域では、米国政府の注意力や行動が問題になる。
 米国は、両国のパートナーシップの改善を促進するカギとなるいくつかの目標を、今後追求すべきである。

(1)声を一つにして、アメリカの経済利益を主張しなければならない。ワシントンは、日本で進行している経済システム改革を効果的に扱うために、重点を明確にしておかなければならない。この点について、次期政権は経済の優先課題で米国民の支持を得なければならない。
(2)ワシントンは、日本における外国からの直接投資を高めることについて、対話を開始すべきだ。外国の会社は新しい技術と新しいビジネスモデルをもたらし、それが直接あるいは日本の会社に競争の衝撃を与えることを通じて、日本経済を助ける。
(3)新政権は世界貿易交渉の新ラウンドに重点をおくべきだ。米国のリーダーシップはこの提唱にとって決定的に重要だ。この努力において、米国とそのパートナーは産業関税、農業補助金、金融サービスの取引における障壁の除去を求め、そして国際的に認められている会計基準(とりわけ金融機関のため)について交渉を追求すべきだ。
(4)米日経済関係の重要さゆえに、米国と日本がWTOによって論争を解決し協力への新しいドアを開くにしても、二国間の貿易交渉はひきつづき重要な手段である。
(5)米国は日本と韓国の間で進行中の経済調整を促進すべきである。

8.外交

 伝統的に、米国は日本がより大きな国際的役割を演ずるのを奨励してきた。概観すると、日本は特に人道的な努力やこれまで経験がなかった安全保障の分野で、しばしば米国と協力して、国際的役割をはたしてきた。世界銀行、IMF、国連、アジア開発銀行に対する日本の貢献は第一流あるいは世界第二で、同様に主要なすべての多国的機関に第一流の貢献をしてきた。協力関係を維持して両国の新たな努力を開始するために、米国と日本において大衆的な支持を育まなければならない。
 外交協力で思いがけないことがあってはならない。日本はしばしば、アジア通貨基金のように、米国との政策調整なしに思いついたことを推進した。米国はあまりにもしばしば、米国の外交にあとから日本を引き入れた。あと思案による政策決定が米日関係を特徴づけている。米国が対外政策における日本の協力を小切手帳としてイメージしたのは過去のことである。国際的なリーダーシップはリスクを引き受けることを含むものであり、これまでの資金提供者の役割を超えるものであることを、日本は認識しなければならない。
 米国はわれわれの課題が確実に日本によって理解され積極的に支持されるように努力するにしても、米国の政策は日本の目標も考慮しなければならない。米国は、日本にとって多国間の努力が重要であることを認めなければならない。日本政府はそのようなイニシアチブをナショナル・アイデンティティと考え、米国のリーダーシップを傷つける試みとは考えていない。秘かに戦略を調整することは、首脳会談の成果として最後に発表する芝居がかったパートナーシップ宣言よりも効果的である。
 日本が外交問題において独立国としてのアイデンティティを追求することは、米国の外交と衝突しない。実際に、米国と日本は全般的に同じ外交目標を分かち合っている。両国は多くの共通した利益をもっている。

(1)アジアに前方展開されているアメリカのプレゼンスを維持すること。
(2)紛争防止、平和維持、平和創造の諸活動をもっと効果的に行う機関として、国連を改革すること。米国は安保理常任理事国の席を求める日本の要求を引き続き支持すべきである。しかし、日本は集団安全保障という明白な義務に取り組まなければならない。
(3)中国が地域の政治、経済問題で肯定的な勢力となるよう奨励すること。米国と日本はこの課題についての戦略協議をさらに進めるべきである。
(4)朝鮮半島の和解を助長すること。ワシントンと東京は、朝鮮半島問題を扱う三国調整グループ(韓国、日本、米国)を引き続き支持し、機会をとらえて三国の協力を拡大すべきである。
(5)極東におけるロシアの安定を支持し、ロシアの巨大な天然資源の開発を促進すること。
(6)米国と日本は個々のASEAN加盟国に対して異なる政策を持っているにしても、活動的で、自立した、民主的な、繁栄するASEANを励ますこと。
(7)インドネシアの領土保全と再生を支持するわれわれの努力を調整すること。

 世界第二の経済を持つ日本は、日本の経済問題を口実にして、対外援助政策を後退させるべきではなく、対外援助政策は援助国よりも被援助国を利することに重点をおくべきである。日本の政策は、アジアにおける経済の成長と開放を促進すべきである。円の国際化のための日本の提案は、日本の金融市場を透明にしさえすれば成功するだろう。

9.結論

 約百五十年前、東京湾にペリーの黒船が来て以来、米日関係は良かれ悪しかれ日本とアジアの歴史を形づくってきた。新しいミレニアムの夜明けに、グローバリゼーションの避けがたい力と冷戦後のアジアの安全保障構築の力学が、米日に新たな複雑なチャレンジを迫っている。両国がそれぞれあるいは同盟のパートナーとして、それにどう対応するのかが、アジア・太平洋の安全保障と安定、新世紀の可能性に大きな影響を与える―これまで、両国の相互関係がアジア・太平洋の経済的、政治的そして戦略的輪郭に影響を与えてきたように、である。