│国民連合とは│月刊「日本の進路」│地方議員版│討論の広場│集会案内│出版物案内│トップ│
第8回全国総会アピール
日米安保を終了させ、沖縄から全土から米軍基地を撤去し、自主平和外交でアジア共生の道を進もう!
二十世紀が幕を閉じ、いよいよ二十一世紀が始まる。
新しい世紀を前にして、アジアの情勢はダイナミックに変化している。急速に経済を発展させてきたアジアは、九七年の通貨危機から教訓を学び、米国中心のグローバリズム、市場原理主義への批判を強めている。アジア欧州会議やASEAN・日中韓首脳会議の開催など、結束して自主的傾向を発展させてきた。朝鮮半島は南北首脳会談の歴史的な成功によって、民族和解・自主的統一へ大きく動き出した。韓国では在韓米軍はいらないという声が高まっている。こうしたアジアの流れは、欧州諸国も巻き込んで二十一世紀の大きな潮流になるだろう。
このようなアジアにおいて、二十一世紀の日本はどのような進路をとるべきだろうか。
一九四五年の敗戦以後、半世紀以上にわたって、米軍は日本の領土、領空、領海の一部を占拠し、日米安保は日本の政治、経済、外交を束縛してきた。米軍は土地を奪い、命を奪い、人権を侵害し、環境を破壊して、国民の安全を脅かしてきた。凄惨な地上戦の戦場にされた沖縄は、本土から切り離されて二十七年間も米軍政下で苦しめられ、復帰後も在日米軍基地の七五%をおしつけられてきた。米軍は今も、住民や自治体の抗議を無視して、実弾射撃訓練、低空飛行や離発着訓練を繰り返し、日本の法律は米軍におよばない。日本はこれで独立国と言えるのか。
だが、日本の歴代政府は日米安保を憲法の上におき、日米基軸と称して対米追随を国の基本路線としてきた。国民の怒りを代表して、米国に米軍基地の撤去を求めることはなかった。
「ソ連の脅威」から日本の安全を守るため。そう言って、政府は日米安保を正当化した。だが、在日米軍基地は日本の安全を守るためではなく、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争の出撃基地、後方基地として使われた。冷戦が終わり「ソ連の脅威」がなくなると、朝鮮半島や台湾の問題が日本の安全を脅かすと喧伝され、日米安保は強化された。政府は周辺事態法を制定し、地方自治体や民間業者にまで米軍への協力を義務づけた。
日本政府は米国に追随しながら、アジアの国々に対しては優越的な態度をとり、大国志向で日本の軍事的役割の拡大をはかってきた。その結果はどうか。日本政府は米国の横やりでEAEC構想やアジア通貨基金構想の実現を断念し、アジアの国々は自主性のない日本に失望した。中国や北朝鮮を事実上の仮想敵国とする周辺事態法によって日中関係を悪化させた。米国に追随して「北朝鮮の脅威」をあおり、侵略と植民地支配の謝罪と補償を拒否したため、日朝国交正常化交渉は行きづまり、日本は変化するアジア情勢からとり残された。
日本が二十一世紀も日米安保に縛られて、自主性のない対米追随外交を続け、戦前の侵略と植民地支配を誠実に反省しないならば、興隆するアジアの中で孤立し、日本の国益は大きく損なわれるだろう。
国民の生活と安全を脅かし、日本の進路を束縛し、独立国としての尊厳を汚す日米安保はいらない。米軍基地はいらない。沖縄県民は嘉手納基地包囲行動を成功させ、世界に米軍基地撤去をアピールし、全国の人々を励ました。本土においても米軍基地撤去闘争の再生が始まり、米軍の離発着訓練を中止に追い込んだ。米国の防衛関係者の中では、米軍基地撤去闘争の高まりを恐れて対日政策を見直す動きも起こっている。
二十一世紀の日本は、日米安保条約を終了させ、沖縄をはじめ日本全土から米軍基地を撤去し、自主平和外交を確立して、アジアの国々と共に生きる道を歩むべきではないだろうか。日米安保条約は通告すれば一年後に終了する。国民世論を高めれば、日米安保条約を終了させ、米軍基地を撤去させることができるのだ。
長崎はアジアとの永い交流の歴史を持ちながら、アジア侵略の拠点となって被爆の地獄を経験し、それゆえにアジアと世界の平和を強く希求してきた。その長崎の地から、私たちは全国のみなさんに訴える。
日米安保を終了させ、沖縄から全土から米軍基地を撤去し、自主平和外交でアジア共生の道を進むために、共に力をあわせて全国で国民世論と国民運動を盛り上げようではないか。
二〇〇〇年十一月二十六日
自主・平和・民主のための広範な国民連合第八回全国総会