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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2000年10月号
農家を直撃する米価下落
農民はもっと怒るべきだ
秋田県大潟村 坂本 進一郎
「こんなに米の値段が下がって、何とすべや」という声が、今年の秋は大潟村で聞かれるようになった。
このままでは三年後にはつぶれてしまうと思い、今年はついに減反をやめて十五ヘクタールで「あきたこまち」を作付けした。
九五年に新食糧法が施行されたが、コメの値段は九四年をピークに下がり続けている。九四年には一俵(六十キロ)二万千円から二万二千円だった「あきたこまち」が、今年は一万五千円前後に下落した。実際には需要拡大や古米の販売促進などの名目で三千円ほど引かれるので、一万二千円ぐらいになり、ピークから約一万円も下落している。その結果、毎年数百万円の減収が続いてきた。私の場合二千五百万円〜二千八百万円だったのが今はやっと二千万円になるぐらいだ。減収しても約千万円の経費は変わらないし、子供二人の教育費と借金返済、毎日の生活費で赤字になってしまう。
緊急総合米対策が決まり、稲作経営安定対策に特例措置が設けられたが、昨年の例でいうと約百四十万円の減収に対して八十万円の補てん金が出た。ところがこれには四十万円の掛け金を払っており、差し引き四十万円で、「見舞金」程度のものだ。それに、この補てん金は過去三年の基準価格の平均を基準にしているから、米価が下がり続ければ当然補てんされる金額も下がる。これでは、特に大潟村のような専業農家は、危急存亡の淵に立たされた感じだ。死のアリ地獄に突き落とされたと言っても大げさでない。
政府はコメのミニマムアクセス(最低輸入義務量)を受け入れるとき、国内需給には迷惑をかけないと言ったが、九五年度から本年度までに「押し売り」された輸入米は約三百七十万トンにのぼる。うち半分は、何らかの形で国産米を圧迫していると見られ、これが生産調整と米価暴落の一因となっているだろう。
「九五年の新食糧法で『作る自由、売る自由』が認められ、市場原理を導入」などと言われるが、「売る自由」とは流通業者のための自由だ。「作る自由」といっても、売れなければどうしようもないし、在庫を減らすために、来年の減反を上乗せしようという動きもある。
実際のところ、コメの値段を決めているのは大手スーパーだと思う。自主流通米の入札は一応の指標価格であって、実際には経済連が大手スーパーなどと交渉して売る。力関係も変わってきたし、コメが余っているので、どうしても価格が下げられる。だから食糧法は流通業者のためにつくった法律じゃないかと思う。
在庫を減らす対策として七十五万トンを海外支援にするという。朝鮮民主主義人民共和国へ五十万トン援助することが決まったようだが、小出しにしていないで、どんと援助すればいい。その方が国交回復の機運にもなるのではないか。
今日、「国体」という言葉はあまり使われないが、自民党政権の「三種の神器」は「車産業、家電産業、ゼネコン(それに銀行)」である。この「三種の神器」、いわば「国体」を守ることが政治の中心となってきた。その証拠が八六年の前川レポートである。当時の中曽根首相は日本で発表するよりも先に、レーガン大統領に「車と家電製品を買ってください。そのかわり日本農業は米国に差し上げます」という趣旨の前川レポートを提出した。「安楽死」といわれた農政が「絞殺」に変わった。
歴史は繰り返すというが、今の農政は戦前の地主制に戻ったようだ。今のWTO体制は「水より安い牛乳」の次として、農民から搾り取ることに目をつけたようだ。これは、かつての地主層の国際版化だ。
農民はでたらめな農政に怒るべきだ。バラバラではなく力を合わせて、農民が安心して営農できる最低支持価格制度の創設を求める時ではないか。(文責編集部)