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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2000年9月号
 

有事を想定した「総合衛生野外演習」

緊張緩和に逆行する大規模演習


相模補給廠監視団  沢田政司


 在日米陸軍による「総合衛生野外演習」(メデックス二〇〇〇)が八月二十七日から九月二日の日程で、神奈川県の相模原市の相模総合補給廠で実施されます。この演習は、有事を想定し、米国本土の部隊と在日米陸海空軍、在韓米陸海軍から五百人が参加の予定で、三沢、横田、嘉手納の各基地も関与するベトナム戦争以来の大規模演習と言われています。

戦時に動く相模補給廠の役割

 日本の敗戦までは日本軍の基地でしたが、戦後、米軍が接収し、米陸軍の相模総合補給廠になりました。米軍が地上戦闘を起こすとき相模補給廠は動きます。朝鮮戦争、ベトナム戦争、そして湾岸戦争の時も、この補給廠から物資が戦場に送られました。とくにベトナム戦争当時、米軍の戦闘行動の主力になる戦車や装甲車を修理・再生し、ベトナムの戦場に送り返すという役割を担っていました。
 ベトナム戦争の終結は一九七五年ですが、七三年のパリ和平協定の前に米軍はベトナムから撤退します。その和平協定で米軍が有利な状況をつくるため総力戦をした時期に闘われたのが戦車阻止闘争です。七二年八月戦車を積み出す横浜ノースドック手前の村雨橋に労働者や市民が座り込み戦車の輸送を阻止。四十八時間後、戦車は相模補給廠に引き返しました。以来、相模補給廠正門前にテント村ができ、一ヶ月半、戦車輸送を阻止し続けました。戦車阻止闘争はベトナム反戦運動として大きな運動になりました。相模補給廠がベトナム戦争に直結していることを日本人が自覚し、何のための日米安保なのかを示す大きな出来事でした。
 米軍のベトナム撤退後の一九七四年には戦車・装甲車の修理ラインは撤去されました。戦車・装甲車の修理機能はなくなっただけで、軍需品を貯蔵し供給する機能は以降も続きました。米陸軍が日本にやってきて年に二、三度各地の演習場で合同演習をやります。米兵は身体だけもってくる。演習場で使うあらゆる物資は相模補給廠で供給します。米陸軍の機能に合わせて、必要なあらゆる物資を備蓄し、供給するという機能は一貫して続いています。
 ベトナム戦争後からしばらく小康状態でしたが、八〇年代後半から新たな動きが始まりました。日本政府の「思いやり予算」で各種の倉庫が建ちはじめた。建物が新しくなるのと並行して、備蓄品が新しくなる。冷蔵倉庫が建ち戦争非常食が、低湿倉庫が建ち在韓米軍向けの銃器類が備蓄されました。湾岸戦争の時には、五百床の病院セット、地上戦用資材、化学戦用防護服……戦場への軍需物資供給のために、三たび補給廠が大きく動いた時期です。
 補給廠には三つの顔があります。一つは、先ほどから話した戦時備蓄。二つ目は、備蓄するための倉庫づくりです。三つ目は、廃棄物の一次保管です。在日米軍が扱っている様々な廃棄物は、相模補給廠に集約されます。そして、今回の演習を通じて四つ目の顔として、訓練基地の機能が加わるのではないかと危惧しています。

有事を想定した大規模演習

 補給廠の中に三年前にできあがった医療倉庫が二棟あります。そこに展開医療システムが四セットあります。展開医療システムには、戦闘支援病院、野戦病院、一般病院の三つの形態があり、相模補給廠の医療倉庫には、野戦病院と一般病院が二セットずつ貯蔵されています。四セット使えば最大約二千人を収容できる病院ができます。有事を想定した今回の演習は、野外病院の一セットを使って実地演習が行われます。
 表向きの演習は八月二十七日からですが、六月中旬から演習地には医療コンテナや大型テントが並べられ、ヘリコプターの離発着訓練も行われています。この演習は一年前に計画されていて、米陸軍がこの演習の予算獲得に懸命になったと言われています。
 歴史的な南北首脳会談が実現し、民族和解と緊張緩和が進んでいる朝鮮半島の動きに逆行する許しがたい演習です。神奈川新聞も社説で「緊張緩和に逆行の大規模演習」と批判しています。
 この演習は、長年にわたって補給廠の返還を要求し、市民ぐるみで跡地利用構想を進めている相模原市に衝撃を与えています。とくに市が返還の重点地域としている「遊休地」での演習だけに、日本政府と米軍に演習の中止を要求しました。有事を想定した今回の演習は、補給廠がこれからも居座り続けるというシグナルですから、市民の立場からすれば黙認できません。
 今回の演習に対して、政党や労働組合、市民団体が演習に反対して集会やデモなど様々な取り組みを準備しています。今年春のPCB廃棄物問題に続くかたちで、今回の演習反対の運動が準備され、あらためて相模補給廠の問題がクローズアップされることになりました。

ねばり強い基地撤去の運動を

 六十万都市の相模原市には、キャンプ座間(相模原市、座間市)、相模補給廠、相模原住宅地区があり、市域の五%を占めています。
 相模原市も含めた返還運動がありますが、「有償三分割返還」が返還運動のネックになっています。一九七六年に大蔵省が、従来の地元への無償譲渡をやめ、返還地を三分割(国が使う用地、地元自治体が使う用地、保留地)して、しかも有償で返還することを決めました。戦争中に旧日本軍によって強制的に接収した土地を、地元自治体が三分の一だけ、しかも民間並みの価格で買い戻すというまったくひどいやり方です。地元自治体に膨大な財政負担を強いる有償三分割返還を撤回させる必要があります。廃棄物問題でも問題があります。最近問題になったPCB廃棄物問題。地位協定の壁があり、地元の自治体が立ち入り調査すらできない現状があります。
 今回の演習反対の取り組みを一過性に終わらせず、全面返還へどうつなげていくかが大事だと考えています。一つは、跡地利用計画も含めて市民ぐるみの返還要求の世論を高めることが必要です。また、PCB廃棄物問題で地元自治体の立ち入り調査ができない根拠になっている日米地位協定(在日米軍基地に対して国内法令が適用されない)の抜本的見直しが必要です。一九九五年の沖縄の少女暴行事件の際にも地位協定の見直し要求が高まりました。この問題は私たち市民運動にとどまらず、米軍基地を抱える自治体の共通の要求となってきています。この動きをさらに強めていく必要があります。米軍基地の問題を市民全体の問題としてとらえること、自治体が立ち入り調査すらできない地位協定を見直す方向に結びつけていきたい。そうした運動が基地撤去への土台になると思います。
 いずれにしても日本は、「思いやり予算」も含めて米軍にとって居心地が良すぎるんです。だから、米軍にとって居心地が悪い状況をどうつくっていくかが鍵だと思います。地元に基地があることが、地元にどういう問題を引き起こしているのか市民に常に提起する必要があると思います。今回の演習が一回限りなのか、継続されるのか、まだ分かりません。二度とやらせないようにするためにも、基地撤去に向けてねばり強い運動が大事だと思っています。
 (文責編集部)