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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2000年3月号
 

学習討論会での講演要旨
地域経済の危機をどう突破するか

一橋大学教授  関 満博


 地域という言葉はいろいろ使われていますが、一番重要な地域は、基礎自治体だと思います。横浜市や川崎市では大きすぎます。五万人から十万人、大きくても十五万人の市町村という基礎自治体が一番重要な地域だと思います。地方分権が議論されていますが、国から見ると間に都道府県という雲がかかり市町村が見えていない気がします。

地元商店街は地域の公共財

 私は商店街については専門ではではありませんが、商店街はこれからの高齢社会において地域を和らげる公共財だと思っています。自分が車に乗れなくなったとき一体どうするのか。五分十分で歩いていけるところに商店街がない社会は大変だなとしみじみ思います。
 まず消費者自身が自分の将来を考えて商店街を大事にすること、これが一番重要です。ヨーロッパではキチンとしています。車に乗って大型店に安いものを買いに行くという生活様式を変えない限りダメです。そうしないと将来、自分自身が困ることになります。商店街の問題を自分のこととして考え、地域の商店街を大事にすべきだと思います。
 二番目は商店街自身の努力です。とくに高齢者が買い物しやすい工夫や対策を最大の課題にすべきだと思います。店の棚、買い物かごなど高齢者の立場に立った提案ができるかが問われています。そういう中で消費者と商店街と信頼関係が出来るんだと思います。
 大型店の社長さんが「将来大型店は商店街に敗れる」と言うんです。車で買いに来れば安く売ってやるという大型店のやり方が高齢化社会では通用しなくなる、と強い危機感をもっています。高齢化社会にとって地元商店街は重要な問題です。

三鷹市の都市政策

 実験的な取り組みをしている東京の三鷹市のことを紹介します。
 三鷹市は東京の郊外で人口が十六万人です。面積が十六平方キロメートルです。非常にバランスのいい町です。住宅都市、学園都市という言い方をされますが、福祉も日本でトップレベルだと思います。
 十数年前、朝日新聞が百十周年ということで、一等賞金五百万円の懸賞論文を募集しました。最終的に三鷹市の若手職員四人が書いた共同論文が一等を獲得しました。四人は賞金を一人百万ずつ分け、残りの百万を基金にして自主的な研究会を立ち上げた。それが三鷹市地方都市問題研究会(通称「地方都研」)です。当初は若手職員が対象でしたが、その後市民や商工業者も入り三百人位の集団になった。このうち職員は四割くらい。ゴミ処理や福祉など地方自治体としてやるべき課題を検討し、十七の分科会にわけて運営。一分科会で二十〜五十人のメンバーで、それぞれの分科会は月一〜二回のペースで会合。二年くらいで研究成果をレポートにして各所に配布しました。市長にもレポートが届くわけで、市長は緊急性が高いにものは翌年、百万円ぐらい調査費をつけるんです。この段階で分科会は、市長の諮問機関に変わる。一年後に出された正式のレポートに、市長がOKすると翌年度から事業化されます。
 各分科会は座長と事務局という格好で編成されますが、大抵は事務局は若手職員がやります。事業化された場合は、事務局の職員が事業の責任者として担当者になります。事業の見通しがつくまで、場合によっては退職までやらされるという厳しいもので、半端な気持ちでは提案できません。こういう組織だった仕組みを持っているのは全国の自治体で国も含めて三鷹市だけだと思います。そこから三鷹はきめの細かい都市政策が出来ている。非常にいい仕組みだと思います。

高齢者と中小企業が元気な地域を

 日本には約三千二百の市町村がありますが、地方交付金をもらっていないのは約百くらいだと思います。地方が財政的に自立できるように税体系を変えていく必要があります。とりあえず、今の枠組みの中で市町村財政の上位には東京の武蔵野市、三鷹市、調布市、府中市、神奈川の鎌倉市、兵庫の芦屋市、最近は千葉県の浦安市が入っています。これらの都市に共通するのは、高所得者が比較的多く、住民税が安定していることです。
 現在の三鷹市は税収的にも安定していますが、将来はどうなのか十年ほど前にシュミレーションしてみました。十年後はあまり問題はない。しかし、二〇一五年ぐらいになると、住民税を払っている人たちが、一気に年金組になってしまう。そうすると今まで優秀であった三鷹市の財政が一転して逆転するんです。どうするか。支出というのは大体予測できます。その支出に見合う収入を自力で確保する必要があります。
 どうやって収入を稼ぐのか。やはり産業化するしかない。三鷹市の農地はわずかで一次産業では無理です。第三次産業はどうか。隣に吉祥寺のある武蔵野市があります。三鷹の人は武蔵野市や調布市に買い物に行くです。ですから三鷹の商店街は空洞化がすごい。商業的に見ると三鷹は谷底なんです。
 結局、三次産業しかない。三鷹市は戦前戦中は大変な工業都市だったんです。海軍の戦闘機を作っていた中島飛行機の工場がありました。四万人の従業員が働いていたといいます。米軍による爆撃で完全に木っ端微塵にされました。戦後は解体です。しかし、精度の高い航空機技術を引き継いだ人たちが、三鷹、武蔵野、小平、小金井周辺におられます。また三鷹に工場が約五百もあり、このクラスの市では相当な数です。ところが、川崎市や大田区と違って、工場は悪だというイメージが強くて市民権がないんです。こうした中小企業の市民権を取り戻して有力な市民として活躍してもらうために、研究会として働きかけました。何度も足を運ぶうち、十社ぐらいが研究会に加わってくれました。
 もう一つは、三鷹駅徒歩十分圏のマンションを調査してみると、アニメやハイテク関係など八十社くらい会社が見つかりました。都心とハイテク地域の八王子の中間にあり、交通の便がよい。さらにリタイヤした技術屋も多く、理工系や美術系の学生も多い。そういう条件を考えながら、そういう人たちがたまり易くて活躍しやすい環境を作ったらどうだということを考えました。そういう条件を生かした構想として、最近よく言われるSOHOというのを始めました。
 織田信長の時代は人生五十年、三十年くらい前まで人生六十年でした。ところが今は人生八十年です。いまの六十才は昔の四十五才くらいで、元気な高齢者が多い。しかし、五十五才定年も含めて社会の仕組みが変わらず、元気な高齢者にはゲートボールしかない状況です。つまり、急速に少子高齢化に向かう。逆に言えば元気な高齢者も増えるんです。
 日本の都市近郊は住宅と職場が遠くに分離しました。通勤に何時間もかかる。住んでいる周辺にほとんど職場がないのが現状です。
 元気な高齢者が増加する中で、いろんな技術や経験をもった六十才過ぎの人たちが、若い人に継承していける受け皿としての職場を展開してする。歩いて十分、市内循環バスで十分位のところに、職住近接の社会をつくる。三鷹ぐらいのサイズの市で住む所と働く所がバランスよく展開する地域社会をめざすべきです。高齢化社会は地域の時代であると同時に、地域に密着した中小企業の時代でもあると思います。高齢化社会の中で中小企業の役割はそこにあると私は思います。
 「若者が楽しめるまちでは高齢者、弱者は楽しめない」という言葉があります。今後は「高齢者・弱者が楽しめるまちは若者も楽しめる」「高齢者・弱者が働きやすい職場は若者も働きやすい」ということを意識的に求める必要があると思います。
  (2000年1月29日、討論会「地域  経済の危機をどう突破するか」  での講演要旨、文責編集部)