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月刊『日本の進路』1999年11月号
JCO臨界事故の原因
立教大学名誉教授、元原子力研究所所長 原澤
進
原子核、核反応または原子炉について始めて勉強したとき、「臨界」は「臨界量」のように量を修飾する語として学んだ。濃縮一〇〇%のウランでも少量であれば核分裂の連鎖反応は起きない。しかし、「臨界量」以上のウランを集めると、宇宙線中などの中性子を種にして、核分裂の連鎖反応がひとりでに行われるようになる。連鎖反応が行われるか否かはウランの量で決まるのである。臨界量はそのように連鎖反応が起こるウランの最低量である。やがて、日本でも原子炉が建設されるようになると、新聞記事に「中性子の量を測定しながら燃料を慎重に徐々に挿入していって、何時何分ついに原子の火が灯った」などと書かれるようになった。今回のJCOでの出来事は、この日常用語を用いると、容器に臨界量以上のウラン燃料をバケツで入れることにより、遮蔽設備も制御設備もない、言わば、丸裸の原子炉を作ってしまった、ということである。
このように裸の原子炉を作ってしまう臨界事故は中性子で核分裂するウランとかプルトニウムがあれば、容易に起きる可能性があり、ATOMICA百科事典にはこれまで世界で十八件ほど報告されている。そして「裸の原子炉」の近くにいた人は多量の全身被曝を受けて急性障害で亡くなっている。しかし、放射線の影響は施設の外へは及ばず、その点は原子炉のように、燃料棒内に多量の核分裂生成物(核燃料の灰、死の灰)を抱え込んでいて、事故のとき施設外に放出される原子炉事故とは異なっていた。また、臨界事故の多くが今から三十年以上前の、一九五三年から一九六八年の言わば原子力利用の初期に集中しており、その後はその経験を生かして核燃料を安全に取り扱う技術は確立されていると言われていた。今回の事故の後、被爆者の治療、住民の不安の解消、検査の徹底化、原子炉・放射線事故に対する危機管理のあり方、住民の避難のあり方、原子力安全委員会の改革、日本の原子力政策のあり方などなど……さまざまな面からの議論がおこっている。JCO社の業績を上げる努力をして今回生死をさまよう羽目に陥っている方や、事故処理のため心ならずも被曝された方々、付近住民の不安の深刻さから考えて、いろいろな立場からの議論が巻き起こるのは当然と思われる。私は、世界的にはすでに確立されていると言われていた核燃料の安全取扱技術が、なぜ、日本の核燃料取扱工場で身についていなかったのか、考えてみたい。原因を考える上で最も参考になった、と言うより共感することの多かった資料は、「MSNジャーナル」で読んだ、JCOで働いたことのある方の報道担当各位殿に宛てたレポート(ウェブ情報)である。一部を引用させていただく。
「……今回の事故が起こるまでほとんどの方はジェーシーオーの存在すらご存知なかったのではないかと思います。ピーク時には国内電力供給の四分の一近くを担う役割を果たしながら社会から事故でも起こさない限り全く知られることのない会社であったということです。すなわち責任は極めて大きい一方で社会的な評価をほとんど受けていないのが実態ではないでしょうか。小生はこのジェーシーオーに一九八一年から一九八六年までの五年間勤務致しました。所属しておりましたのが技術課で、当時は今回事故を起こした転換試験棟も同技術課の管轄(現在は製造部所属)となっておりました。小生自身は直接の担当者ではありませんでしたが、転換試験棟内の臨界制限配置等の確認測量等を行ったことを覚えております。もちろん今回問題になっているバケツ使用はなかったと断言できます。このように通常の製造部門ではなく技術開発部門に属する組織となっていたのは、転換試験棟が中濃縮ウラン(二〇%未満)を扱う特殊な施設で、生産設備ではなく試験設備的な位置付けで十分な安全性を確保できるような配慮からと考えておりました。ちなみに、当時は専属のスタッフ一名と専任作業員五名(二交替勤務でしたので通常作業は二〜三名で行う)から構成されており、小生の知る限り極めて厳密にバッチ管理(臨界制限値管理)が為されており、非常に信頼性の高い操業であったと確信しております。この点は小生自身、操業に何度か立ち会っておりますので間違いない事実かと思います。……」
このように、一九八〇年代前半は、JCOも核燃料を安全に取り扱う技術はちゃんと持っていたと考えられる。ではそれから十五年後に、何故かつてはきちんと安全作業が行われていたJCOでこのような大きな事故が発生したのだろうか? その理由についても報告者は触れている。
「……かつて五百トン前後あった生産量が現在では半分程度になっているのではないかと思います。これはコスト競争等により再転換の海外委託が増大しているためと想像できます。これに伴い最近では工場全体では大幅な人員合理化が行われていたようです。いつしか転換試験棟も技術部門から製造部門へ移管されていたようです。このような経営環境面の変化が組織や操業合理化の引き金となり、転換試験棟の作業簡略化をもたらしているような気がします。…(中略)…世界的にみて(現在の施設でも海外に比較して抜きん出て安全性を保つ構造になっており)高コストとなる建設、設備費の国で海外再転換会社と競争するとすれば無理を承知で規模の拡大で売上げの維持をするしかありません。このような厳しい経営環境が、安全管理面での配慮の低下を導いたとしか考えようがありません。このような状況にあっても極めて大きな社会的な責任を負わされ、かつそこに社員がいるとすれば食べていくために身を削る努力をしようとするものではないでしょうか。…」
私も日本の核燃料安全取扱技術を破壊したのは、経済的利潤のみが人々の生活基盤を左右する社会であると考える。住民、被害者とともに、厳格な安全審査により「海外に比較して抜きん出て安全性を保つ構造」の高額な施設を設備し、他方、自由な経済競争を勝ち抜くためにその施設を使わずに日常的な作業の簡略化をせざるを得なくなっていた中小企業JCOに働く人たちの苦悩に同情を禁じえない。このような世の中が、はたして人々に幸せな生活をもたらす社会であろうか。そうではないであろう。最近の新幹線トンネル内でのコンクリート塊の落下事故も自由経済の中での利潤追求の結果であると考えられる。このように、日本の中小の企業が持っていた核燃料の安全取扱い技術やコンクリート施工技術、または中小企業が持っていた基盤技術を潰してしまったのは、利潤追求を至上命令とするお金で左右される経済社会である。だから、今回の事故の教訓を生かすのは、利潤だけを追求するのではなく、人々の暮らしの安全を守る仕事と技術を確保・育成する方策と今一つ、非営利団体(NPO)を育成する施策でなければならない。
この点から差し当たってどうしても考えてもらいたいことがある。それは中小企業の振興策である。現在伝えられる中小企業振興はベンチャー企業を育て、大金持のビルゲーツを作ることであると言われている。ここでも、あくまで制限のない利潤追求が施策の中心に居座っているようである。このような、お金を稼ぐことのみに注目している施策で長年培ってきた中小企業の基盤技術を潰すようなことがあっては、人々の生活は大変不安なものになってしまう。育成・振興の基準を、お金儲けのためではなく、生活を支える物作りのための木目細かい基盤技術振興に置き、一部の人の利益を上げるためではなく、多くの人々が幸せな時間を持てる社会をぜひ作りたいものである。