国民連合とは月刊「日本の進路」地方議員版討論の広場 集会案内 出版物案内トップ


自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』1999年9月号
 

NATO空爆とアメリカの新戦略
−賭博場資本主義・覇権的冒険主義と広範な覇権連合−

広範な国民連合代表世話人・フェリス女学院大学教授 武者小路公秀


 NATOによる対セルビア空爆戦争は、冷戦後の世界がいよいよ「新世界秩序」時代にはいったことを世界中の人々に認識させた。ということがいえればよいのだが、この戦争の本当の意味は、残念ながら、ごく少数の論評だけが正しく指摘しているにすぎない。世界のメディアは、NATO側の言い分だけを紹介するばかりでなく、NATO側に有利な報道や、映像をながしている。かつての日本全体主義とは違って、今日のグローバル全体主義は、正しい理念、「人権」と「民主主義」の名において推進されているだけマシかもしれないし、それだけワルイかもしれない。
 いずれにせよ、NATOは、米国の指導のもと、地上で「人権」を犯されているアルバニア系コソヴォ市民を救援するためには何の役にも立たないどころか、むしろ彼ら、彼女らの殺戮やレイプをしたい放題にして、上空から「民主主義」の敵、ミロシェヴィッチを処罰するための空爆を実施し、多数の市民を殺傷した。
 「東洋平和」のための侵略は、今日でいえば、「ならず者国家(ローグステート)」であった地域覇権国日本のしわざで、当時も平和と民主主義の味方だったのは、グローバル覇権国の米国でありその同盟国、いわゆる連合国であった。当時の米国は、軍国日本の指導者たちを処罰するために原爆投下をしたが、それは、ソ連への見せしめの意味が強かった。今日も悪者の処罰によって、将来の悪者への見せしめにする戦略はかわっていない。NATOによるコソヴォ介入は倫理的に許されない暴挙であるが、世界のメディアが完全に操作されているなかで、誰も米国を首領とするNATO主要五カ国の軍事・政治的な支配に異を唱えることができない権威主義的な世界体制ができあがっている。
 国際連合は、成立以来五十年間、国際民主主義の砦として、冷戦時代を生き抜いてきた。この国連も、安保理の承認という不可欠の手続きを経ないNATO空爆を、事後承諾させられた。こうして、国連は、いまや、米国とNATO諸国の作った既成事実を承認する傀儡機関になりさがろうとしている。いまや、NATOは、紛争管理について、ほとんど独占的な地位を確立している。いまや、国連の本来の権限をはく奪しているばかりでなく、非民主的な密室国際政治を展開している。ランブイエ会談の討議内容は今日に至るまで公表されていない。思想統制のもと、米国中心の先進工業大国の覇権安保体制が確立されつつある。
 ところで、NATOが「ほとんど独占的な」紛争管理を引き受けているところに問題がある。「ほとんど」というのは、NATOがいかに北大西洋地域の外に出張っていって紛争管理にあたるといっても、それには地理的な限界があり、たとえば東アジアにおける紛争管理は、その「ほとんど」の外に置かれている。そこに、「日本の周辺」ということの意味がでてくる。「周辺事態」とは、NATOの紛争管理域外の事態ということで、米国が日本の助けを借りて紛争管理にあたることが、米欧日共同覇権安保の当然のことである。
 ところで、先進工業諸大国の覇権安保は、決して単なる力による支配ではない。あくまでも、投資秩序を守ってもらうことで覇権安保に頼るできるだけ広範な覇権連合をつくろうとする。グローバル経済の賭博的な金融競争に参加してその恩典にあずかろうとする政府や大企業のほか、人権や民主主義にヨワイ市民社会の支持を得ようとしている。日米新ガイドラインにしても、日本の自衛隊だけでなく、諸自治体・諸企業・市民社会を丸抱えにして、この紛争管理体制に協力させようとしているのである。
 この体制は、しかも、国家間の紛争の管理だけをしようとしているのではない。安全を保障しなければならないのは、ただ国家だけではなくグローバルな賭博経済と、その旦那衆アクターである大企業の安全、そして多国籍企業が安心して投資できるためには、悪代官先進工業諸国が、全世界の各地域における国際安保と国内治安維持を確固たるものにする必要がある。こうして、ヘッジファンド博徒の投資リスクをなくし、とくにG7大親分たちのグローバルな縄張りでの投資環境を安定させることが大事になっている。セルビアに対するNATO空爆という大出入りは、グローバル賭博経済を支える冷戦後の米欧日覇権同盟のまったく非道な賭博場資本主義を守る覇権安保の「見せ場」以外のなにものでもない。 
 こうして人民の大半が「泣き寝入り」どころか、サイバネティックスとマスメディアの麻薬に意識を奪われて、グローバルな賭博秩序の維持に拍手喝さいをおくるワルイ時勢になっている。
 これに対して、博打のために搾取され排除されている諸集団・階層、女性はじめ社会の少数者、はじめ、博打の「カタ」にされ、産業合理化でつぶされる農業や中小商工業の広範な連合で、悪代官や博徒の作る広範な覇権連合に抵抗するべき時である。そのさい、覇権連合の戦略の一つ一つに対抗する木目細かな戦略をたてる必要がある。
 覇権戦略は、グローバル賭博場経済の権益の安全を守る覇権連合に対して、排除され搾取される民衆の真の安全を保障するために、国連に結集する中小諸国とこれを支える市民運動いわゆるNGOの総力をあげて、賭博場グローバル経済に規制をくわえ、覇権諸国の冒険主義安保を阻止する「人間の安全保障」を確立する必要がある。そして、人権と民主主義という名目で民衆の安全を犯し、紛争に介入して利益をあげる、グローバルな思想統制の実態を世界の民衆に暴露して、その目を覚まさせ、マスメディアを人間の痛みに敏感にする必要がある。
 その場合、「ならず者」国家を認定する米国の「盗人猛々しい」戦略を断固否定するべきである。セルビア、イラク、今度は朝鮮民主主義人民共和国が、この認定の対象になっており、日本のマスメディアも、この認定を支持し促進している。また、冒険主義的な覇権安保の、先制攻撃による「処罰」という名目の軍事行動を支える新ガイドラインなどに徹底的に抵抗し、あくまでも「人間の安全」の立場から、信頼醸成と調停による紛争解決を可能にする非覇権的な安全保障体制を構築するべきである。
 それととともに、悪者を普段から監視する治安維持(盗聴法はその手始めにすぎない)が、人間の安全を脅かすことを暴露し、むしろ監視の目を賭博場経済を支える政界・財界・金融界にむけ、その透明性を確立すべきである。
 さらに大切なのは、グローバルな賭博場を守るための、グローバルな軍事展開に抵抗することである。日ごろから処罰の準備を怠らないということで、覇権諸国の軍隊の前方展開は、日本政府も「思いやり」予算をつけて支えている。これが、いかに「人間の安全保障」に反する、民衆に迷惑な仕組みであること(これは沖縄市民が最も痛感させられている)を暴露し、代わりに諸国民の前方展開による紛争予防の基地造りを推進すべきである。今こそ、NATO空爆という、賭博場資本主義を守る冒険主義覇権安保の真の姿を暴露して、広範な諸国民の連合で、「人間の安全」を大切にする国際的な平和戦略を立てるべきときである。博徒と悪代官とをいつまでものさばらせておく手はないのである。