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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』1999年9月号
まさに「日本の進路」を左右する出来事が次々に起こった年である。
私は、第145通常国会の開会中、出来るかぎり、国会に出かけ、傍聴することを決意し、可能な範囲ではあったが、日本でただ一人と言われるようになるほど、毎日のように国会の論議を見、速記風に記録した。
通常国会は、1月19日に始まり、6月17日に終わるはずだった。通常国会は150日間であり、8月13日まで続く長期の延長国会になろうとは考えられなかった。
しかし、小渕内閣は、所期の目的である新ガイドライン関連法の成立をめざし、全力投球した。その手法は高度の政治力によったものであり、驚きをこえて、その緻密さは見事といってよいほどであった。
日本の進路を決めるのは、主権在民の私たちであるが、それは今日、言葉だけであって、院外の声と院内とは厚い壁に閉ざされており、私たちの声が行政を変えることはなく、すべては国家権力が予定している方向に進み、規定の事実として、法案成立の日が前もって新聞に報道される始末であった。
なぜそのようなことがありうるのか。私は、その事実を忠実に報告する責任を痛感している。議会制民主主義の理念と実態のギャップの大きさを、歴史の岐路に立った国会の中からの証言者として、全国民に訴えたいと思っている私である。
通常国会で、政府が提出した124法案のうち、110件が成立し、成立率は89%であった。これは1967年特別国会の131件以降で最も多いと言われている。もちろん、通常国会を延長しなければ、多くの案件が成立しないで閉会になったことを考えれば、8月13日まで延長を許した国会の現実を、私たちは重視しなければならない。
「新ガイドライン関連法案」が自自公で成立したのは、5月24日であるが、「国旗・国歌法案」を国会に提出したのは6月11日であり、成立したのは8月9日である。
「組織的犯罪対策法案」が成立したのは、何と閉会前日の8月12日であった。しかも徹夜国会であり、私は一睡もせず、徹夜国会の現場をつぶさに検証した。
私自身、現場の証人の責任を覚えて、市民運動にかかわり始めてから30年以上になるが、同じ徹夜国会となった92年6月5日から6日にかけてのPKO特別委員会の事例を、私は次のように書き記している。
「6・6『5日未明のPKO特別委員会の採決は不存在』とし、参院・議運委員長解任決議案提出」(西川重則「主の『正義』と今日の日本」《年表》参照)。
「採決不存在」の出来事が、参院法務委員会(8・9)において起こり、参院本会議(8・11)において、3法案に反対する歴史的弁論が展開された。
「参院法務委員長・荒木清寛君解任決議案」に対する趣旨説明を円より子君、以下討論として鈴木正孝君(自民)、千葉景子君(民主)、吉川春子君(共産)、福島瑞穂君(社民)の議事予定にしたがって、反対・賛成の討論がなされた。4人の女性議員の発言は、「採決不存在」の理由を明らかにすると共に、3法案の問題性を明らかにし、廃案が当然と反憲法性を訴えるものであったと私は思っている。
同時に、法案成立をめざす政府・与党側の野次によってしばしば発言の中断を余儀なくされ、ついに質問の打ち切りがなされ、成立に至るまで、はだかの国会、否、国会の改革の道の遠さを改めて痛感させられた。
アメリカ研究に関心をもっている私は、久しぶりの女性議員の大活躍に感動したが、制度上の制約を悔しがったものである。アメリカの上院なら、少数者の人権を尊重する考えから議事妨害と訳されている質問がある限り、時間の制限を設けない filibuster によって廃案にすることができたであろうと思ったものである。
右のような荒廃した国会、少数政党の真摯な反論も、すべて葬り去られ、私たちが願わない違憲立法が次々と成立するのは何故かについて、私たち自身真剣に考えなければならないことは自明と言うべきであろう。
私の率直な分析によれば、戦後54年の1999年にあって第145通常国会のような政治状況が見られる要因は、日本が今もなお戦争責任および戦後責任を果たすことなく、未来志向の政治を選択したことにあると思っている。そして、そのような政府に対して、有効な批判と警告をなし得ないまま来てしまった私たちの側の問題があったと言わざるを得ない。
戦後54年の99年に、「新ガイドライン関連法案」、「国旗・国歌法案」、「盗聴法案」、「改正住民基本台帳法案」、その他数多くの法案が次々と成立した背景に、さまざまな理由があったことはマスコミなども報じていよう。しかし、私は、国会の傍聴を通して、ほとんど報じられなかったことが数多くあったことを知っている。
国会の審議にあって、第145通常国会の行方がどんな重要な影響を国の内外に及ぼすかということについて、政府・与党の側から責任ある発言を聞くことはなかった。成立した諸案件は、日本の戦後史を根本的に変える法律であることについて、どれほど自覚的であったろうか。武力によらない責任ある平和主義の国是を真っ向から否定し、再びアジア太平洋地域の国々・民衆に、不安定要因を与える新ガイドライン関連法案であり、侵略戦争推進に大きな役割を果たした「日の丸」「君が代」の歴史に一顧だもせず、短期成立を企図したのはなぜたろうか。
しかも、国会の最終段階で、文字通り、「盗聴法案」を徹夜国会まで開いて閉会直前に成立させた。改正住民基本台帳法案も素通りした。国会に改正を含めた憲法論議を可能にする改正国会法などを含めて、通常国会は、歴史の岐路に立つ日本のあり方、日本の進路をめぐる戦後最大の出来事が頻発した異常国会だったと言えよう。
そのような状況にあって、戦後の未処理の懸案事例として、もう一つ取り上げられたのが、A級戦犯分祀、靖国神社の特殊法人化・国立墓苑化など靖国神社問題の解決を求めての官房長官発言であった。信教の自由・政教分離原則に真っ向から抵触する官房長官発言は、小渕内閣のおごりの反映であり、立憲主義に基づく憲法政治に対する無責任性を露呈した典型的事例と言わなければならない。
私は、長い間、靖国問題にかかわっており、平和のための証言集会を開いたり、94年以降は、戦争被害調査会法を実現する市民会議、あるいは8・15、2・26、7・7、9・18、12・8などに学習会や集会を開き、長期にわたる侵略戦争の「負」の遺産を清算するための、歴史に基づく歴史認識の共有の重要性を訴え、今日に至っている。
今、なぜ新ガイドライン・有事立法か。今、なぜ「国旗・国歌法」なのか。そして更に今、なぜ靖国問題なのか。答えは次の通りである。
記憶と継承に責任をもつ政府が、過去の「負」の遺産の清算に責任をとらず、未来志向の政治、しかも近い国々との平和と安定ではなく、遠いアメリカとのみ武力による強い日本をめざし、かつて歩んだ覇権国家の道を選択することにある、と。地味な学的作業だが、緊急出版した『「昭和館」ものがたり』(いのちのことば社)は、政府・厚生省がかつての戦争を「自衛戦争」と位置づけ、21世紀の子どもに、戦争を肯定させる「昭和」の遺産として建設した国立「昭和館」の検証・提言である。全領域での戦いにあって、共に平和を創り出そう。