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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』1999年8月号
21世紀の日本はどう生きるべきか
−沖縄の視点から−
前沖縄県出納長 山内徳信
憲法9条と99条
私は1974年7月から23年半、読谷村の村長をつとめました。読谷の村長室と応接間には憲法9条と99条を掛け軸にしてあります。
村長室には憲法を守っている人も来ますが、反憲法的な要件をひっさげてくる人もいます。例えば、読谷村の東には極東最大の弾薬庫である嘉手納弾薬庫があり、一部が読谷村にかかっています。村長就任間もない頃、国の職員が弾薬庫を作らせてくれとやってきた。2回目の時、来客者が見やすい壁に憲法99条を掲げました。国の職員が弾薬庫建設のための建築確認の書類をもってきました。私は「憲法99条には、公務員は憲法を遵守する義務がある。弾薬庫のための建築確認を受け付けることはできない。断る私たちが正しくて、断られるあなた方が間違っている」と答えました。
憲法99条の「憲法尊重擁護の義務」には、憲法を守りそうにない人々の職名が書いてあります。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と。行政にたずさわるものは、憲法9条と99条を大事しなければならないと思います。
読谷村長として23回の施政方針演説を書きました。沖縄戦を体験したものとして、一貫して強調したのは憲法の主権在民、基本的人権の尊重、平和主義、地方自治の本旨、教育基本法です。憲法は私に大きな力を貸してくれたと思います。
日本の平和憲法は、反戦、非戦の土壌に成立しました。ところが、朝鮮戦争の頃から岸信介をはじめとする人々が、「日本国憲法はマッカーサーに押しつけられた憲法だ。自主憲法の制定を」と言い出した。私はそういう人たちに、「日本には3つの憲法があった。聖徳太子の憲法、明治憲法、そして現在の日本国憲法。どの憲法も国民の側からすると押し付け憲法だ」と開き直るようにしています。ただ、今の憲法は過去の憲法にない平和主義、基本的人権の尊重、主権在民があり、守るに値する、生かす価値がある。そう反論してきました。
敗戦後、親兄弟や仲間を失い虚脱状態になっていた日本国民に、大きな勇気と自信を与えたのは日本国憲法だったと思います。私は1951年に読谷高校に入学しました。民主主義とか、男女同権とか、憲法のことが書かれた教科書を手にしたときの感動を今も忘れることができません。
戦後最大の危機
いま日本は戦後最大の危機に直面していると思います。政治、経済、教育現場等々における責任をどれほど国の指導者が自分の問題として受け止めているか疑問でなりません。バブル経済の舵取りをしたのも日本の政治であり、大蔵省です。本来、教育は心のふれあい、お互いの信頼関係によって成り立つと思います。ところが、校長が教職員を管理し、教職員が子供たちを管理することが、学校崩壊、学級崩壊につながっている。そういう状況に追い込んだ責任は文部行政にあると思います。
戦後の公教育の中で、日本軍がアジア各国でやった侵略戦争、悲惨な戦争の実態を教えなかった。戦後生まれの人たちのアジア各国に対する歴史認識を欠落させてしまった。負の遺産としてつきまとっていくと思います。
戦後最大の危機と言われる状況を作り出したのは、なんと言ってもガイドライン関連法です。アメリカの世界戦略・アジア戦略に屈して、アメリカのいう通りに法律を制定した。一番喜んだのはアメリカです。アメリカがアジアをはじめ、どの地域で戦争を起こそうが、日本を引きずり出すことができるわけです。
近いうちに、自治体や民間に対する協力要請の具体的な内容が出てくる予定です。憲法を守るべき義務のある政府や国会議員が、「戦争を否定し」「陸海空その他の戦力はこれを保持しない」「国の交戦権は認めない」という日本国憲法を否定し、戦争法を作ってしまった。「日本は憲法を守らない国だ。どんな要求を押しつけても日本政府は最後には聞いてくれる」と、アメリカに足元を見透かされています。独立国家日本の情けない姿だと思います。
いわゆる盗聴法をつくって国民の会話も全部盗聴できるような体制にする。権力側がいつも国民を疑うという状態になり、政府と国民の間には信頼関係は出てこない。また行政側から国民をコントロールするために国民全員に背番号をつけていく。そういう法律が平気でつくられる。
さらに沖縄県の米軍用地特措法の改悪をここ数年で2度も行いました。軍用地として契約することを拒否する地主がいますと、市町村長に代理署名や公告縦覧させる、さらに市町村長が拒否すると県知事に代理署名や公告縦覧をさせる機関委任事務として与えられていました。そういうことが、今後はできなくなってしまった。国が基地として必要と判断すれば、個人が反対しても接収できるように法律が改正されました。
ガイドライン関連法と「日の丸・君が代」法制化は表裏一体です。戦前の日本が戦争政策を遂行するために、皇民化教育、あるいは軍国主義教育を押し進めたと同様に、学校現場でガイドライン体制を認めるような教育を実行するために「日の丸・君が代」の押し付けをしていく。
こういう一連の法律の先に見える深刻な事態を国会議員は受け止めていない。政党間の力学、駆け引きで事を進めている。21世紀の日本を暗く暗澹たる恐怖政治の方向に押し進めている。そういう政治に異議ありと意志表示をすると同時に、地方選挙でも国政選挙でも、平和な政治を選択しなければなりません。
日本政治の恥部
沖縄の米軍基地問題を通して、日本政治の恥部について申し上げます。日米安保条約は沖縄県民が結んだわけではありません。また戦争は国民が起こしたわけでもありません。全国の中で唯一、沖縄県で日米の地上戦が展開され、多くの県民が巻き添えで死んでいった。
戦後日本は独立しましたが、沖縄は戦後27年間もアメリカ軍の直接統治に委ねられました。27年間、沖縄県民の人権はまったく認められなかった。アメリカ軍は使いやすい土地をすべて基地にしていった。私が村長になった時、読谷村の総面積の73%が米軍基地でした。人間の身体にいえば、まさに半身不随の状態です。道路1本、上水道・下水道1本通すのにも、必ず基地にぶつかる。そういう状態でしたから、憲法に依拠しなければ一歩も村政を進められませんでした。
現在の沖縄県全体のことを申し上げます。沖縄県の面積は日本全体の面積の0.6%しかありません。人口は約1%です。その1%にも満たない沖縄県土に、日本全体にある米軍専用基地の75%が押しつけられています。まさに政治的差別であると同時に、軍事的植民地です。
基地アパルトヘイトであると申し上げています。アパルトヘイトは、南アフリカで行われていた白人による黒人に対する隔離政策、差別政策です。人殺しにつながる基地を沖縄に押しつけておいて、さらに21世紀になっても沖縄を基地の島として強制しようとしています。それが日本のいまの政治の実態です。
ガイドライン関連法によって、日本列島に戦争ができる網をかぶせた。沖縄では、これまで使っていた古い基地、例えば普天間飛行場を返還するという。ところが、普天間基地は返還するので、新しい基地を名護市の海に作ってくれという。最新鋭の機能を備えた21世紀型の基地を沖縄県に押しつけようというのが現在の日本政府です。
政府は沖縄に基地を押しつけながら、見返りとして地域振興をやりますよと、大田県知事の時代も言ってきました。名護市民投票の結果は海上ヘリ基地反対が多数でした。また県民投票でも圧倒的多数が基地の撤去を望んでいることが示されました。こうした県民の要求を反映して、昨年2月に大田知事は海上ヘリ基地の建設を拒否しました。
私が県の出納長に就任して、何度か国の幹部職員と激論をしました。名護市民投票で反対の意志が示されたのに、「何とかしてくれ」「環境調査をさせてくれ」「県知事が音頭をとればできるではないか」というわけです。私は「あなた方は戦後の沖縄の歴史を知らないからそんなことが言える。沖縄県民は島ぐるみの土地闘争を闘った。米軍はブルドーザーと銃剣で県民に襲いかかってきた。沖縄県民は米軍のブルドーザーと銃剣に立ち向かって闘った。いま海上ヘリ基地や陸上基地をつくることになれば、第2の島ぐるみの土地闘争になることに、あなた方は気付かないのか」と申し上げました。
外務省や防衛庁の職員が、いかに差別的か、まったく国民の立場に立っておらず、ひたすらアメリカの立場でしか物を言っていない姿を見てきました。これが独立国家の外交官かと思うと情けなくなりました。
戦争の教訓を生かし行動を
ガイドラインによって、「基地の存在する地域、とりわけ沖縄は真っ先に攻撃される可能性が高い」と、参議院で防衛庁長官が答弁しました。翌日になって、その発言は撤回しましたが、事実です。現代の戦争は、湾岸戦争でもコソボの戦争でも分かるように突然、ミサイルが飛んでくる。原子力発電所にミサイルが撃ち込まれたらどうなりますか。広島や長崎、あるいはチェルノブイリの二の舞になる。原子力発電に頼っている時代に、戦争で問題を解決するという発想は過去のものです。
沖縄戦の教訓は、戦争になれば軍隊は国民を守らない、守れないということです。兵隊も人間ですから、死にたくない。死にたくないから、防空壕から沖縄の住民を追い出した。泣き声が米軍に聞こえたら大変だといって、赤ちゃんの口をふさいで窒息死させる。戦争は常識とか、理性とか、知性とかを失わせてしまう。
「鬼畜米英」と教わったために、沖縄戦では集団自決が行われた。真面目であればあるほど、皇民化教育を真に受けたわけです。政府や国会がどんな法律をつくろうが、私たちは自分の頭で考え、物を見ていかなければ、悪政に引きずられてしまう。
私たちは加害者にも被害者にもなりたくない。過去の日本はアジアに対して加害者になりました。広島や長崎は原爆を投下されて被害者になった。各都市の空襲もありました。沖縄は被害者でもあった。しかし、同時に日本国民の一員として、アジアに対しては加害者なんです。私たちは加害者にも被害者にもなってはならない。
東京の集会で横浜の高校生が「国会でガイドライン法を制定しているが、もし戦争になって戦場に送り込まれるのは今の高校生、中学生です。私たちの意見も聞け」と発言し、大きな拍手がわきました。戦争は誰が始めるのか、戦争で誰がもうけようとしているのか、戦争でどういう人々が犠牲になっていくのか。この3つの教訓を生かすべきです。
ガイドライン関連法は成立しましたが、国民は反対の意思を示している。職場や地域で、反対したり非協力の意志を表明していくことが大事です。地方自治体の首長や議会に、有事を回避する努力、あるいは憲法を守り、戦争に協力しないよう要請していくことが大事だと思います。戦争への道を一人ひとりが勇気をもって拒否していく覚悟が必要です。国民が沈黙してしまったら、政治の暴走はさらに加速されます。
人間の尊厳を守り抜く闘い、人間の良心にしたがって、不服従の闘い、無抵抗の抵抗、そういう運動を広範な国民の立場に立って進めていくことがきわめて重要だと思います。幕末に坂本龍馬が新しい時代を訴えて走り回った。反憲法的、反民主的な動きに反対し、日本の将来のために文字通り広範な国民連合をつくりあげて頑張っていただきたい。
(文責編集部)