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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』1999年7月号
21世紀の日本はどう生きるべきか
−沖縄の視点から−
前沖縄県副知事 吉元政矩
サミットの沖縄開催
来年、沖縄でサミットが開かれる。2つの意見がある。1つは万全の体制を取って歓迎しようというもの。もう1つは、アメリカの大統領と各国の首脳に沖縄が米軍基地に占拠されている異常な状態を見てもらい、対話集会などで沖縄県民の声を聞いてもらおうというもの。すぐ帰るのなら来るなという意見もある。
サミットの問題は、大田知事の時、橋本首相や梶山官房長官に沖縄開催を要求した経過がある。
1995年9月に海兵隊員による少女暴行事件が起こり、10月21日の県民大会は基地の整理縮小、地位協定の見直しを求めた。米軍基地を見直す日米間の作業が始まった。SACO最終報告で11の施設が動くことになったが、7つは県内で再び作るか移設する内容だった。普天間飛行場もその1つだ。日本政府は沖縄県内にすべてを納めようとし、アメリカは沖縄から一歩も退かない姿勢だ。沖縄県民が21世紀も米軍基地のもとで生きていかなければならないとすればただでは済ませないと、大田知事も私も考えた。
サミットは、アメリカがOKしなければ沖縄で開けない。だから、日本政府がサミットを沖縄に配置できなければ、「アメリカは広大な基地のある沖縄に大統領を送りたくなかった」という証左になろうと考えた。そうはしたくないアメリカは、日本が何らかの条件を満たすならば沖縄開催を認めるということで、内々の話が進んでいた。
その1つは、日米安保共同宣言の問題。新ガイドラインの国内法が整備されなければ、沖縄でサミットは開けない。小渕首相の訪米直前に関連法案が衆議院を通過し、サミットの沖縄開催が決まった。もう1つは、普天間飛行場の問題。移設先の海上ヘリ基地は、名護市民投票でノーと出た。大田知事はそれを踏まえて、昨年2月6日にノーと表明した。それ以来、政府が沖縄県知事との話し合いを拒否する状態が、昨年秋の県知事選まで続いた。アメリカの大統領を沖縄に呼ぶために、沖縄が腹をくくって普天間飛行場の移設先を決めてくれというのが、日本政府の考えだ。約束はなくても、知事はそういう状況に追い込まれた。
4月28日は、サンフランシスコ講話条約で沖縄が捨て石にされた屈辱の日。5月15日は沖縄が日本国憲法の下に帰った日。6月23日は沖縄戦の組織的戦闘行為が終わった日、慰霊の日だ。4月28日を起点に、サミットの7月21〜23日まで、県民的、全国的、国際的な行動が配置される。サミットに向けて行動を盛り上げ、沖縄の現状を見てもらい、これでいいのかと問題を突きつける必要がある。
冷戦崩壊後の情勢の展開
右向け右の流れの中で……
1989年6月4日に中国の天安門事件があり、その年の12月にベルリンの壁が崩壊して、90年にドイツが統一国家となった。91年にソ連邦が消滅し、10数カ国の共和国に分かれた。ヨーロッパでドイツやソ連の脅威はほぼなくなり、EUという国境のない経済社会へ、今年1月に統一通貨ユーロが誕生した。
その流れの中で、クリントン政権は94年7月に「関与と拡大の国家安全保障戦略」を打ち出した。経済が発展しているアジア太平洋地域への関与は、民主主義の押しつけも含めて、アメリカの国家利益にとって死活的に需要だ、と。これがアメリカの世界戦略の基礎となった。
その頃、日本では自民党の一党支配が終わり、細川連立内閣が誕生した。細川首相は94年1月に大田知事と話し合い、当時は明らかにされなかったが、日米首脳会談でクリントンに海兵隊の撤去を提案した。
2月に細川首相の指示で防衛問題懇談会が発足した。その報告の特徴は2つある。1つは、冷戦崩壊後の日米安保の役割に疑問を呈し、多角的安全保障を評価したこと。もう1つは国連を重視したこと。「関与と拡大の国家安全保障戦略」とくい違い、アメリカが容認できるものではなかった。アメリカは猛烈な巻き返しを開始し、それが安保再定義につながっていく。95年11月の大阪APECにクリントンが来日できず、予定されていた日米安保共同宣言は翌年に延期された。
翌96年1月、村山首相が辞任して橋本政権が誕生した。橋本首相は大田知事と会談し、1月下旬から普天間飛行場の問題で動き出した。それが4月上旬のSACO報告となった。その間の3月、中国が軍事演習で台湾沖にミサイルを撃ち込み、アメリカが空母を台湾海峡に派遣した。この事件を背景に、4月17日、日米安保共同宣言が行われた。アジアにおける米軍の10万人体制、ガイドラインの見直しをうたい、それが関連国内法制定につながっていく。
国内問題では、自民党と自由党の連立に公明党が加わり、この国会で周辺事態法、盗聴法と重要法案が次々に通っている。そして日の丸・君が代の法制化、憲法調査会の国会設置だ。どうしてこうなったのか。
昨年8月末、朝鮮民主主義共和国が人工衛星を打ち上げた。アメリカも韓国も、中国もロシアも人工衛星だと言ったが、日本政府はミサイルだと言い、日本国内ではミサイルが常識になった。そして、最近の不審船問題。これらが利用され、国民の目は「右向け右」となった。戦前の国家総動員法の時とも比較される状況だ。冷戦が終わり、軍事的に対立する時代ではなくなったのに、ミサイルだ、不審船だと言われて、日の丸・君が代の法制化や憲法改正論議に躊躇しない流れがつくられた。
以前は、大きな力を持った総評という全国組織、社会党という政党があったが、今はない。労働組合の連合は、残念ながらこの種の問題で適切な対応をしてこなかった。それでは経済闘争一本でやっているのか。首切りがどんどん進んでいる中で、首切りに反対し、労働者の家族を守るため、ゼネストをするくらいの気持ちがあってもいいはずだ。働く者が自分の運動団体の中で、社会的な矛盾を政治問題化しきれなくなっている。「右向け右」の流れの中で、これからの日本をどうするのか。
平和、共生、自立こそ
沖縄の生きる道
そういう中で、私たちは「米軍基地との『共生』を拒否する沖縄」というグランドデザインを打ち出してきた。その冒頭に「琉球王国時代、沖縄はアジアでも最も活力に満ちあふれる海洋国家の1つであった。そして今日、アジア太平洋地域は、再び国境や体制を越えた新しい交流圏・多元的・重層的圏域を生みながら、確実に新時代を迎えようとしている。沖縄は、かつての『万国津梁の精神』を現代に取り戻し、アジア太平洋新時代にふさわしい明確なビジョンのもと、自立的発展を期することが求められている」と書いた。
沖縄復帰の時に、日本政府は「沖縄を平和の島とし、我が国とアジア大陸、東南アジア、さらに広く太平洋諸国との経済的・文化的交流の新たな舞台とすることこそ、この地に尊い命を捧げられた多くの方々の御霊を慰める道であり、我が国民の誓いでなければならない」と声明した。2つを読みくらべてほしい。沖縄は復帰後も復帰前と変わらぬ状態におかれている。
沖縄の北に優秀な経済力、高所得の日本がある。西に13億の人口を抱え、年8%の経済成長を続ける中国がある。南では急速に経済発展したASEANが非核宣言し、集団的安全保障を求め始めた。さらに西にはインドがある。人口は世界の3分の2。そこで経済が発展していく。アメリカや日本がそれにどう関わろうとするのか。沖縄はどうするのか。そこで描いたのが「21世紀・沖縄のグランドデザイン」だ。
第1は、冷戦崩壊後の国際環境の中で沖縄をアジア太平洋地域の結節点にすること。沖縄の米軍基地は湾岸戦争を契機に、アジアの要石から、アメリカが意のままに使える世界の要石になった。コソボ問題でも沖縄から戦闘機が飛び立った。だが、私たちが願うのは平和発信基地だ。経済交流、文化交流の拠点、基地のない沖縄にして、アジア太平洋地域の結び目にしたい。
第2は、国際社会における日本の役割から見た沖縄の可能性。日本はアジア太平洋地域の共生と持続的発展に貢献すべきだ。沖縄は地理的状況、亜熱帯という環境なども含め、その拠点となる可能性がある。その上で、東アジアにいくつの経済圏、交流圏があるのかを検討した。
そして、沖縄の生き方として、平和、共生、自立という3つの理念、9つの整備方針を確認した。
以上を踏まえて、沖縄がめざすべき基本政策の方向は、第1に脱軍事都市、世界に開かれた平和外交都市沖縄の構築、第2に国際社会に寄与する南の国際協力・交流拠点の形成、第3に沖縄経済の自立化・産業振興の政策的推進、第4に基地返還の促進と県土の再編とした。
それらを具体化するため、国際都市形成構想、基地返還アクションプログラム(素案)、経済振興特別措置の3つの施策をまとめた。
米海兵隊員による少女暴行事件を契機に、沖縄県民は県民大会で基地のない平和な沖縄をつくろうと再確認した。そして日米政府に突きつけたのが基地返還アクションプログラム。沖縄の米軍基地を2015年までに3期に分けてゼロにする計画だ。沖縄県に外交権はないから素案とし、日米政府に実行を要求した。日米政府は第1期分を重点に11の基地施設の整理縮小をSACOで合意した。第2期分、第3期分については何も言ってないが、消えてもいない。稲嶺知事も全面否定はしていない。次はどの基地の返還を求めるのか、基地返還アクションプログラムは消えたのか。マスコミの追及に、稲嶺知事は考えさせてくれという姿勢だ。
私たちは国際都市形成構想の目標を2015年とした。アジアの不安定要素と言われている朝鮮半島問題と台湾問題が、そのころまでには安定した状況になっている可能性がある。APECでは2010年に先進国が、2015年にその他の途上国が、投資と貿易の自由化を達成することになっている。これに向けて、アメリカもその戦略を進めている。だから2015年を目標にした。
周辺事態法がターゲットつまり危険な国としているのは、中国というのが常識的な見方だ。逆から見ると、中国にとって最も危険な国はどこかということになる。中国にとって周辺事態法つまり日米安保は見過ごせない問題だ。さらにこの3、4年の経済界の発言、安保問題での見解などを見ると、従来なかったことが言われている。海外に進出している日本の企業、邦人を救出するため、相手国の了解なしに日本の意志で軍事力を海外に出せる体制、日米関係をつくろうとしているようだ。
こう見てくると、日米政府にとっては、国際都市形成構想や基地返還アクションプログラムはとんでもないというのが本音だろう。その上に、沖縄は経済振興特別措置を要求した。県民的な大論争の結果、経済団体や自治体などの合意を取りつけて、2005年に沖縄を全県自由貿易地域にすることを要求した。
なぜ沖縄だけがという意見もあろう。沖縄は戦後27年間日本から切り捨てられ、復帰後27年間も米軍基地のもとにおかれ、本土との所得格差は約30%、失業率は8%台だ。東京中心の生き方ではとても追いつけない。だが、東京中心だけが沖縄の生き方ではない。たとえ所得格差があっても自前で動ける自立的な体制、隣人と一緒に生きていける環境がほしい。だから、平和、共生、自立の理念を確認し、3つの具体的な施策を要求してきた。
大田県政の8年と挫折
保守県政は誕生したが……
大田県政の8年間は、第1に行政の民主化。第2は平和行政。平和推進館や平和の礎など平和の発信基地の役割をはたしてきた。第3は女性進出。沖縄県は県庁の役職者の女性比率が全国で最も高く、審議会の女性比率が26%に上がった。しかし、今日、平和行政と女性関係の予算削減など、骨抜きが始まっている。
もう1つは、基地のない平和な島へグランドデザインを県民と共同して作ったこと。それを実践するため、政府と沖縄県の政策協議の場がつくられた。従来とは違い、直接首相と協議して具体化をはかってきた。
しかし、昨年11月の知事選挙で大田知事は負けた。なぜ負けたのか、まだ結論は出ていないが、1つは投票率が増え、それが大田にマイナスした。もう1つは相手陣営の宣伝。日本全国が不況なのに、県政不況、9・2%の失業率というポスターが全域にはられた。そして「私は自民党ではない」という宣伝。きめ細かく反論したが、あまり力にはならなかった。それよりも21世紀の沖縄の方向、8年間の実績や責任感をどう表に出せたのか。大田県政の総括はまだ終わっていない。
保守県政が誕生したが、基地との共生にまでは至っていない。海上ヘリポートがだめになり、稲嶺氏は県北部に軍民共用空港をと言ってきたが、今のところ見通しはない。那覇軍港を返還し、浦添に新しく国際港湾をつくって米軍の利用も認めるという動きもあるが、浦添では反対運動が起きている。いずれにせよ、基地返還アクションプログラムがあるのだから、米軍基地を1つ1つつぶしていかなければならない。
今年、解散総選挙があると言われ、来年6月に沖縄県議選、12月に那覇市長選、再来年7月に参院選、そして3年後の11月に県知事選がある。その中でも、大田県政の8年は何だったのか、米軍基地問題にどう対応していくのか、議論していかなければならない。その元になるのにはアメリカのアジア太平洋戦略、さらには冷戦崩壊後の地域紛争などに対するわれわれの関わり方だ。
ひとりひとりが
その行動を問われている
大事なことは、何のために何をしようとしているのかだ。周辺事態法反対は分かる。では法律ができた今、どうするのか。法律の効果を減殺する運動はあるのか。あなたは公務員として業務を拒否できるのか。地域社会でそういう運動を作り、自分を信じてもらえるのか。労働組合、自治労は運動の先頭に立てるのか。それが出来ずに誰かがやってくれでは、「右向け右」と同じだ。そういうことを提起してきた。
基地、港湾や空港のない自治体はたくさんある。自治体病院を持たない所もある。だから自分の所に関わってこないと思っている。しかし、周辺事態法では、日本の安全に関係なくアメリカの軍事行動に自衛隊が協力し、日本全国が後方基地になる。自分の自治体が大変になるからという話ではないのだ。そういう事態にならぬよう、北東アジアにどのように安定的な状況をつくっていくのか。1日も早く、国と国の間で平和的な話し合いができるような方向に持っていかなければならない。
地域や職場の動き、地方の運動、周辺地域との関係をどうつくっていくのか。富山の講演会で、日本海に面している県が、海の向こうの3つの国と、労働組合や地域のレベルで平和サミットをやったらどうかと提案した。沖縄サミットの前に、社民党がヨーロッパの社民党政権の代表を沖縄に招き、平和サミットをやろうという議論も出ている。
もし朝鮮半島でことが起こった時、ひとりひとりが業務命令を断れるのか、自分の問題として考えねばならない。君が代・日の丸の法制化、憲法改悪の動きが進んでいる。どうすれば21世紀のアジアで平和、共生、自立を安全保障の柱にすえていけるのか。人間の安全保障ができるのか。ひとりひとりが考える必要がある。
(文責・編集部)