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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』1999年7月号
 

民意を反映し自主性をもった日本外交を

前衆議院議員 田中秀征


 21世紀の日本とアジアの平和に大きな影響を及ぼす周辺事態法など新ガイドライン関連法が国会で可決された。前衆議院議員の田中秀征氏に、ガイドライン問題や日米安保、日本の外交などについて伺った。



Q ガイドライン関連法に至る経過についてどう思われますか?

 1995年11月の新防衛大綱が出発点で、96年4月の新安保共同宣言、97年9月の日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)合意、そして今回のガイドライン関連法で仕上げになったわけです。正直、その当時政治の現場にいて、そういう流れをきちんと認識していたわけではないんです。反省すべきですが、そういうシナリオの中でやっていたという認識は、私も含めて政治家にはなかった。一連のシナリオは当初から官僚組織の側で用意されていたと言わざるをえない。冷戦という戦後の枠組みが終わったわけで、本来なら冷戦後の日本と東アジアの安全保障について、国民的な議論を巻き起こす必要がありましたが、そうならなかった。政治家の1人として反省をすべきところです。
 その原因の1つは、政局の離合集散が激しかったこと。2つ目は、バブル崩壊後の経済状態が非常事態であった。そういう要因があり、安全保障問題が第一義的な政治の関心事ではなかった。
 それでも私は私なりに発言してきました。例えば、防衛大綱の時には最後まで「究極的な核の廃絶」の究極的という言葉を取り除くことを主張した。結果的には究極的という言葉は削除したものの、力不足で「核の廃絶」を明文化できず、「核のない世界」ということになりました。
 冷戦が終わるまで、私は「核抑止力」に一定の評価を与えていました。いろんな評価があるでしょうが、第3次世界大戦が事実としてなかったのは、結果的には東西両陣営の核保有が大戦を防いだ要因の1つだと認識しています。ただ、冷戦が終わった段階で核抑止力は再検討をしなければならない。また核不拡散(NPT)体制といものは元々不備なもの、本質的に核の拡散をもたらすものと考えていました。その問題でもずいぶん強く発言してきました。新防衛大綱の後に日米安保について注目してもらいたいということで『ダイヤモンド』に「安保は変わった」というテーマで3回書きました。

Q ガイドライン関連法の問題点についてどう思われますか?

 96年4月の日米安保共同宣言の調印式に、急きょ要請されて私と久保亘さんが立ち会いました。しかし、日米安保共同宣言では、旧ガイドラインの「見直しを開始する」と合意したに過ぎません。だから、その内容についてはフリーハンドをもっていたと認識していた段階でした。
 ところがそれ以降、日米の事務レベル主導で、97年9月に新ガイドライン最終報告が出されました。アメリカ側の事務レベルは、大統領の意向を全面的に代弁した、つまり政治の側の意向を全面的に代弁したものでした。ところが日本側は、政治には最後に話そうという事務当局でした。ですからアメリカ側は大統領、政権その背景には民意があるが、日本側は官僚組織が単独で決めたといっても過言ではない。国会の論議や承認なしに、新ガイドラインが合意され、関連法案が上程された。そして国会審議では「2国間の約束。信頼関係が崩れる」と既成事実が強調され民意が反映しないまま法案が可決された。非常に問題がある。
 最大の問題点は、新ガイドラインの発動に対して、日本の、とくに国民の自主性、任意性が貫かれる保証がないことです。
 アメリカの判断が常に正しいかどうか。今度のコソボの問題も含めて疑問があります。アジアにおけるアメリカの軍事介入は、アメリカの独自の判断で行われる。何よりもアメリカの国益を基準として決行されるから、必ずしも日本の国益やアジア地域の利益に合致するものではない。アメリカの軍事行動に対して支援することが、日本がアジアに対して間違いをおかすことになる。それが最も大きな心配です。
 周辺事態法の発動に際して、安全保障会議や閣議の決定手続きを経るにしても、アメリカの意向に逆らうことは容易ではなく、米軍への後方支援協力に引きずられていく可能性が強い。今度の場合でも、国会承認の問題。迅速に効果的にやるには国会の承認は必要ない、事後報告でいいんだという議論も理解できる。だけども、その判断を信頼できないから、多少時間がかかっても真剣にやらなければならない。民意を反映した日本としての自主的な判断を確保できるのか、という点に1番の関心がありました。
 周辺事態の概念が最後まで明確にされなかった。どう考えても周辺は地理的概念のはずだが、政府は「地理的なものではなく、事態の性質に着目したもの」と固執した。また、米軍に対する協力の内容や武器の使用、さらに地方自治体、民間の協力の任意性についても不明な点が多い。
 冷戦後の東アジアの安全保障を考える場合に、ガイドライン問題が新たな構想づくりの妨げになるという心配があります。アメリカと一緒になった強権的な覇権主義と受け取られるような誤解を招くとしたらマイナスになる。
 いずれにしても、国の進路の設定というのは、それなりの期間がかかります。ガイドラインの問題によって、日本の行き方とか、進路という問題が国民的議論なしに、民意が反映されないまま、なし崩し的にレールが引かれることに非常に大きな心配をしてきた。

Q 日米安保の主要な目的は、日本の防衛か、アメリカの国益か?

 『舵を切れ』という本にも書きましたが、日米安保というのは日本の防衛にとっては、過剰防衛だと思います。日本が他国から侵略を受ける可能性はいくつか考えられます。1つは日本の過去に対する怨念です。2つ目は、経済的に成長してからの日本の海外における姿勢の問題です。海外における日本および日本人の姿勢、態度が他国民の憎しみを買う場合。3番目は、アメリカの言動に対する憎しみ、敵対心がパートナーである日本に向かう場合。そのほかにあるとしたら、無法国の問題。この場合は、1地域で対応するより世界全体が対応すべき国際問題です。いずれも、日本が攻め込まれる可能性は極めて少ない。しかも、経済分野で相互依存関係を深めたり、外交努力によってそういう危険は避けうると思います。
 日米安保で守ってもらっているということは、学生が親から仕送りを受けていること。もしも日本の防衛のための日米安保ならば、基地は要らないと言えばアメリカは喜ぶはずです。ところが実際はそうではない。結局、日本の防衛よりも、大きな理由がアメリカ側にある。日米安保体制は、一義的にはアメリカ側の国益の実現に日本が協力しているということになる。
 アメリカ側から見れば日米安保体制は何よりも「対ソ封じ込め」が目的であった。したがって日米安保体制は、冷戦の終結とソ連邦の崩壊によって当初の役割を終えた。日米安保が単に「日本を守る」だけなら、また、それが最優先の目的であればアメリカ側に日米安保を堅持するに値する利益は見当たらない。
 アメリカが手を引けば、日本は軍事大国化する、核武装もする。だからアメリカが居残る必要がある。いわゆる「ビンのフタ」論も東南アジアに根強くあります。しかし、日米安保を継続する主たる理由にはならない。ほんの一面です。
 日米安保について、昔から「アメリカは日本を守るが、日本はアメリカを守らない」という「条約の片務性」が指摘されてきました。アメリカ側からみれば「安保ただ乗り論」になる。日本側からは「お互いにお互いを守る」という双務性をもった集団的自衛権に踏み込むべきだという主張を生む。あるいは片務性を薄めるため、早く自主防衛力の増強を図るべきだという議論になる。
 日米安保の主たる目的が、対ソ封じ込め戦略というアメリカの国益に合致するから日米安保体制は堅持されてきた。日本はアメリカの援護を受けて平和と安全を確保してきた。しかし、そのかわり、日本はほとんど無条件にアメリカの世界政策に身を委ねてきた。要するにアメリカが運転する車の助手席に黙って座り、みずからの運命を預けてきた。アメリカは常に決して裏切らない忠実な同伴者を得て、冷戦の勝利者となった。冷戦時代にも日米安保は双務性をもっていた。アメリカにとって冷戦時代の日米安保の優先的意義は、対ソ封じ込めと、極東の平和と安全が主要な目的。日本の防衛や日本の軍事大国化阻止は副次的なものだった。
 全体の流れは、アメリカの力によるなし崩し的一元化が進んでいる。それはアジアにとっても日本にとっても、そしてアメリカにとっても、非常に不幸なことで、将来的にいい結果を生むとは確信できない。

Q 今回のコソボ問題について、どう感じておられますか。

 空爆の停止が実現したことには胸をなで下ろしています。日本は結局、復興資金を出そうというお決まりの方向に進むのではないか。
 法的根拠がないのに、アメリカとヨーロッパが一緒になって、つまり世界が一国の人権を理由に空爆を行った。一国内部の人権問題を理由に、過激で大規模な空爆という手段が正当化できるものかどうかについて、国連の場で議論するべきだと思います。この問題できちんと議論しないと、同様のことが今後もなし崩し的に行われていくことになります。
 空爆でコソボ問題は解決しない。コソボ問題は何百年もの背景があり、非常に根の深い問題です。空爆によって、新たな怨念、亀裂を生んでしまった。新たな怨念、新たな亀裂は、今後長期にわたって続くと思います。空爆で、目に見えた民族浄化と言われる状況がなくなるかも知れませんが、力で抑えるというやり方は、力を緩めるとお互いの怨念が爆発する。恒久的な解決にはつながらない。
 今回のことを大きなきっかけとして、国連の役割、地域の安全保障体制の役割、人権抑圧の問題を議論すべきです。人権問題をいうならクルド民族の問題はどうなるのか。国連で議論をして、合意をつくっていくことが大事ではないか。そうでないと、力まかせのやり方が横行する。NATOは直接加盟国が攻撃されたわけではないのに、域外の問題に介入した。アメリカは都合のいい時だけ国連を利用し、都合の悪いときは無視する傾向がある。国連は身動きできず、事後処理に引っぱり出される。これでは国際法規が成り立たない。日本のような国が国連の場で議論を起こすべきだと思います。

Q 日本の外交に問われていることは何でしょうか?

 日本はアジアにおいて、戦争の発火点にならないこと、アジア地域の戦争原因を取り除く努力を惜しまないことが大事です。アジアにおける信頼醸成、多角的な地域的安全保障の体制づくりに向かって積極的に取り組むべきです。日本はアジアの一員である。アメリカと一体となってアジア諸国と仲良くつきあっていくと言うことではない。アジアと一体となってアメリカと仲良くつき合っていくことが基本姿勢でなければならない。中国、朝鮮半島などは永遠の隣国。近隣諸国との友好関係、社会経済の相互依存が何よりの日本の安全保障であり、アジアの安全保障である。21世紀の世界とアジアにおいて、日本が平和に寄与していくためにも、日本は外交における独立性、自主性を確保することが重要である。

  (文責編集部)