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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』1999年6月号
大失業時代
死ぬな!辞めるな!闘おう!
東京管理職ユニオン書記長 設楽清嗣
大企業で大リストラが荒れ狂っている。これまで会社を支え続けてきた管理職も例外なく、むしろ真っ先に生首が飛ぶ時代となった。管理職の中に今までと違った変化が生まれている。その闘争を組織している管理職ユニオンはいま大きく前進している。
6年間で1100名の組合に
管理職組合の結成は93年12月20日でした。結成当時の組合員は数十名でしたが、マスコミの反応はものすごく、取材陣が35名、テレビカメラが6台、大変な注目の中で結成されました。マスコミの報道直後から、問い合わせ電話が鳴りっぱなし。翌日から3ヶ月くらいは、不眠不休でした。
現在、東京管理職ユニオンは750名。ネットワーク東京が100名。これはそれまで管理職ユニオンに入っていた管理職以外の人が別れて、昨年の12月に結成した組合です。それから東京から別れた名古屋管理職ユニオンが120名。やはり東京から別れ独立した管理職ユニオン関西が180名。組合員総数は1100名以上いることになります。
リストラで増大する失業者
本格的なリストラが始まったのは1993年5月頃からで、すでに6年になります。経営者側のリストラのねらいは二つあります。一つは賃金ダウン、もう一つは長期雇用を減らして短期雇用を増やすこと、つまりコスト削減です。
93年5月頃から96年5月頃までの3年間が第一期のリストラです。この時期は賃金の高い中高年の管理職がリストラの対象にされました。
97年5月から98年暮れくらいまでが金融不安による第二期のリストラです。山一証券、北海道拓殖銀行、長銀などの破たんにより、中小企業の倒産が相次ぎ、失業者が急増した時期です。大企業では管理職に限らず中高年全体が対象にされました。
昨年暮れ以降、現在進行中のリストラが第三期です。中高年だけでなく若年や女性も含めた全世代、全労働者を対象にしたリストラの時期に入っていると思います。中小企業の倒産はさらに加速しています。
現在、失業率は4・8%(失業者340万人)です。景気が回復するのは早くて今年の秋以降だと思いますが、たとえ景気が回復しても、リストラも失業者の増大も止まりません。アメリカの例を見ても4〜5%の失業は維持されると思います。さらに景気回復が遅れると、経済評論家の中には10%までいくという予測もあります。日経連や経団連も7%まで行くと言っています。
生活の仕方、働き方を変え
本格的な雇用闘争を
今や雇用問題は労働組合運動にとって最大の課題です。
朝鮮戦争終結時、石油ショック、円高不況時など、これまでも何度か雇用不安が起きた時期がありました。しかし、解雇反対闘争、倒産反対闘争、それに政府に雇用保障を求める若干の闘争はあったものの、本格的な雇用闘争はなかったと思います。全体としては経済成長の過程でしたから、完全雇用幻想、中産階級幻想がわれわれの運動についてまわっていました。
しかし、戦後50年以上たって、本格的な階級分解と言いますか、長期雇用労働者の大部分が雇用を解かれて、短期雇用、有期雇用、派遣労働者に編成替えされる状況が始まっています。すでにアメリカでは6年前まで続いたリストラで、中産階級を構成した大学出がタクシー運転手や宅急便労働者になるといった事態が大規模に進行しました。日本でもそういう状況になってきました。労働組合も新しい状況に対応し、短期雇用労働者や派遣労働者など、最も労働組合を必要としている恵まれない階層の労働者にアピールする新しい労働組合運動を心がけなければなりません。
そういう意味で本格的雇用闘争、反失業雇用闘争をやっていきたいと考えています。これ以上リストラしないように企業内組合と会社が話し合うといった水準ではなく、雇用労働者全体の増大をはかることを大胆にやっていくことです。そのためには、サービス残業をやるような生活の仕方や働き方をやめ、社会的に生活の価値規範を転換しなければなりません。
例えば、首を切られて相談に来る管理職にこう言うわけです。
「あなたは会社に尽くして、サービス残業もやり、いっぱい働いてきた。その働き方や生活の仕方はどうだったのか、考え直してみよう。家族と一緒に何かしたことがありますか。毎晩遅く、帰ると家族はもう寝ている。土日はつきあいゴルフ。こういう生活を強いられてきた家族と、生活について一緒に考えたことがありますか。炊事や洗濯をしたり、日曜日は家族と一緒にアウト・ドア・ライフに行くとか、そういうことを考えなければだめですよ」
このようにサラリーマンの生活の仕方や働き方を根本的に変えることを、価値規範として社会全体に及ぼすことができれば、本当のワークシェアリングで雇用労働者が増大し、失業問題に対処する雇用闘争ができるのではないかと考えています。
例えば管理職組合には、団体交渉で配転命令を保留させたり、退職勧告を撤回させたが、職場ではたった1人という力関係のため、減給措置の撤回にまではいたらず、身分も宙ぶらりんという人たちがいます。そういう人たちの会合で、「不良社員のすすめ」を提案しました。会社に嫌われても、9時・5時で必ず帰る。有給休暇を貯めずドンドン使う。それを新しい生き方、闘い方、働き方のスタイルとして提案しています。
闘って家族の絆が深まった
管理職組合で実際にあった典型的な話を紹介します。
Aさんは化学関係の中小企業で24年間勤続し、営業本部長になった人です。経費をおさえて売り上げばかり要求する社長と意見が対立し、自分から退職届を出した。ところが会社は700万円の退職金を払ってくれない。社長曰く「調査したらAさんに数々の誤りがあった。例えば、得意先へ配る暑中見舞いのうちわを無断発注した(実際は社長の許可を得ていた)。だから懲戒解雇だ。退職金は払わない」。
Aさんは「くやしくてしょうがない。退職金をとって下さい」と相談に来た。ここへ来る前に家族会議を開いたそうです。1回目は奥さんが泣き出し、子ども達も泣き出した。2回目のときは落ち着いてきて、奥さんが「お父さん、心配しなくていいよ。わたし、スーパーのレジで働くから」と言い、子ども達もアルバイトをやると言い出した。「私はもう泣けました」とAさんは言うわけです。「ローンで建てた家を売って闘争資金にあて、頑張るからよろしく」とまで言いました。「わかった。そこまで決意しているならやろう」と闘争を開始しました。
決意したら、奥さんが働き始め、子ども達は一生懸命学校に行き、アルバイトもやる。会社人間の典型で仕事ばかりしてきたAさんは、今まで炊事も洗濯もやったことがない。そのAさんが洗濯をやり、料理も作り、その合間をぬって組合事務所に来たり、職安に行ったりする。闘争に立ち上がって、家族の結束が飛躍的に高まった。「お父さんの作ったカレーがおいしいと言ってくれた」と、Aさんはそんなことを喜んだりする。
これはコペルニクス的転換で、素晴らしい話の一つです。
知らぬは亭主ばかりなり
障害となるプライドを砕く
それとは正反対の例もあります。
Bさんは首を切られて雇用保険をもらっている。もう1ヶ月たつのに、毎日ネクタイをきちっと締め、アタッシュケースを持って、9時半には組合事務所に来る。アタッシュケースの中は、弁当、管理職組合の講習資料、それに雇用保険の資料だけ。
それでハタッと気づき、「Bさん、クビになったの、奥さんに言った」。「とんでもない。そんなこと言ってませんよ」。「だめじゃない。家族の結束が解雇撤回闘争に重要なんですよ。奥さんに言おうよ」。「そんなこと言えませんよ」。「わかった。俺が電話する」。「やめてくれ」。ガチャッと電話を切る。
これに類似しますが、93年5月頃の最初のリストラでは、胸に辞表を入れて、「うちの社長はけしからん。仕事をとりあげたり、給料を減らしたり。あんな社長と仕事をする気がせん。明日は辞表をたたきつけてやる」という人が多かった。「社長が喜ぶだけだからやめなさい」と説得しなければならない人が、相談に来る人の2割くらいいました。
リストラが始まってから1年半たった頃の事ですが、埼玉県の公民館からリストラについて講演してほしいと依頼がありました。
公民館の職員が奥さん達にチラシを配り「お宅のご主人も連れて来なさいよ」と誘った。奥さん達がご主人達に話すと「俺は管理職で今は減給されている。そんな話を聞きに行けば、あいつはクビになるかも知れないと近所に思われるじゃないか」。奥さん曰く「あなたがリストラで減給されているの、みんな知っているわ。隣は残業がなくなって、年収で150万円減っているし、その向こう隣はボーナス半分カット。みんな同じように大変なの」。奥さん達がそうやって説得して、50組の夫婦100人が集まりました。
そのとき私は、「みなさんが明日、社長に辞表をたたきつけたら、会社は困るでしょうか」と質問してみました。会社が困るという人は1人もいませんでした。つまり、リストラ開始から1年半で、サラリーマン意識はかくも変わりました。俺が会社を担っていると言った管理職サラリーマンのプライドや誇りはうち砕かれていました。
しかし、組合に相談に来る人達の中には、会社にマインドコントロールされて、まだそういうプライドを持っている人もいます。特に大企業のサラリーマンはプライドが高すぎて、転職するときは大きな障害になっています。転職して1年後には、そのプライドが原因でトラブルを起こしてしまう人が非常に多い。こちらから、そのプライドをうち砕いてやらなければなりません。
マインドコントロールされた
大企業サラリーマン
大企業の人達は、相談に来るのはいいのですが、それでは団交しましょうと提案すると、労働組合の介入に逡巡してしまう。介入しないまま、3回も4回も相談に来る。団交を申し入れた後でも、また逡巡する。大企業にはそういう人が多い。
3月23日、ブリヂストンの野中将玄さんがリストラに抗議して自殺した事件がありました。当時、管理職組合に相談に来ていたブリヂストンのサラリーマンが5人ぐらいおり、そのうちの1人が組合に加入していました。
彼は90年春に相談に来て、94年6月には加入しました。研究所の主任研究員で課長クラスですが、48才の早期退職制度に引っかかった。拒否したら、人事部人材開発センター配属になり、部長の机の片隅に座らされた。コンピューターの端末も全部はずされて、「私のセカンドライフについて」というテーマでレポートを書くことを命じられました。同じテーマーで何度も書かされ、4回ぐらいで品切れになり、書けなくなって相談に来た。
「団交を申し入れましょう」と言ったら、「そんなことしたら、クビを切られる」と全然ダメ。そして私に言ったのは「レポートの書き方を教えてください」です。「いろんな昆虫の一生になぞらえたら、あと何百回でも書けます。しかし、そんなことは絶対にやめてほしい」と言ったのですが、彼はそれから10回くらいレポートを書いた。人事部の方があきちゃって、ついに仕事を命じた。倉庫の整理とコピー取りなどの雑役です。結局、彼は去年10月に自分から早期退職制に応募して辞めました。大企業サラリーマンのマインドコントロールされた意識は、闘争の上で大きな障害になっています。
野中さんもそうです。会社人間、ブリヂストンをすごく愛している人間として心を縛りつけられ、自殺に追い込まれたのです。
ブリヂストン本社前の宣伝
死ぬな!辞めるな!闘おう!
野中さんが自殺して1ヶ月後の4月21日、ブリヂストン本社前で180人が集まって雇用破壊反対の総行動を行いました。宣伝カーから鎮魂曲「G線上のアリア」を流し、全員喪章を付けて「死ぬな!辞めるな!闘おう!」というビラをまきました。昼休みでビルからドッと人が出てくる。サラリーマンもOLも、みんな立ち止まってビラを読んでくれる。喫茶店の中にいる人たちまで、おしゃべりをやめてこっちを見ている。ブリヂストンの前で、みんなが聞いている。
「野中さんの自殺を見過ごしてよいのか。なぜ彼は自決死を選ばざるをえなかったのか。いま全国の企業で蔓延するリストラの嵐の中で、働くすべての人々に問われているのは死ぬことではなく、闘って生き抜くことです。『死ぬな!辞めるな!闘おう!』の合い言葉こそ、すべての働く人々に問われています」
宣伝を終えると、OL2人、サラリーマン3人が寄ってきました。
「人が自殺に追い込まれた話に感激するなんて、失礼な話だとは思いますが、今日の話は感動しました」。「死んじゃいけません。本当に肝に命じて下さいよ。会社を愛して死ぬなんて馬鹿馬鹿しい事です」。「ブリヂストンなんて死に値する企業じゃありません。分かっています。ありがとう」。
街頭宣伝でこんなに感動したのは、私も初めてでした。
野中さんの自殺後、長銀の管理職が自殺しました。その前にヤマハの奈良工場で中高年労働者が焼身自殺しました。仕事が忙しいときは過労死で殺され、不況で仕事がないときは自殺に追い込まれていく。リストラを受けている人に話して勇気を持ってもらい、自殺を何とか食い止めたい。そのために、6月には自殺対策シンポジウムを行います。
相談に来た人が相談員に
組合はたちまちパワーアップ
組合結成直後、一挙に押し寄せる相談者、急速に増加する組合員、その組合員のための団体交渉の急増など、1人しかいない専従者と数名のスタッフでは対応できないほど多忙な時期が続きました。電話は鳴りっぱなし。死にそうなくらい多忙でした。しかし今は打開できました。
どう打開したかというと、たまたま私の手が空かなくて相談に来た組合員が電話を受けてくれました。これがきっかけで、相談に来た組合員が受付もするというシステムにしました。団体交渉も同じように、組合員が自分の所だけでなく、他の団交を応援するような活動スタイルにしました。それで、労働力不足は一気に解消しました。
現在、専従以外に、首を切られてここに来て手伝うボランティアのスタッフみたいな組合員が3人います。それ以外に首切られた組合員がワーッといて、3〜40人が動き回っています。同時進行の団体交渉が120件あり、それを3〜40人で回しているわけです。誰もが大体3〜4件は抱えています。
自ら体験している組合員の方が、私よりも行き届いた相談員になっており、労働相談の基本は法律の知識よりも相手の気持ちを分かってあげることなんだと教えられました。
(文責編集部)