│国民連合とは│月刊「日本の進路」│地方議員版│討論の広場│ 集会案内 │出版物案内│トップ│
自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』1999年6月号
元ユーゴスラビア大使 中江要介
5月23日、国際問題研究協会(武者小路公秀会長)主催の月例研究会が行われた。「コソボ紛争とNATOによるユーゴ空爆を考える」というテーマで、岩田昌征(千葉大政経学部教授)、的野秀利(国連NGO・AMDA常任理事)、中江要介(元ユーゴ・中国大使)の三氏が報告。
以下、中江要介氏の発言を紹介します。
20年前、ユーゴスラビアで大使をやっておりました。当時はチトー大統領の時代で、実にいい国でした。当時からコソボ自治州は気を付けなければならない厄介な地域でした。セルビア共和国の中の自治州ですが、8割くらいがアルバニア人。当時、私が不思議に思ったのは、隣にアルバニアというアルバニア人の国があるのに、なぜ自治州ということに甘んじているのかということでした。背景には経済的格差が非常に大きいことがあります。アルバニアという国は本当に貧しい国です。セルビア共和国内のコソボ自治州のアルバニア人の方が豊かであった。そのアルバニア人もセルビアから見ると貧しい。
しかし、国が貧しいことと、国民が誇りをもっているかどうかは別の問題です。当時の社会主義アルバニアの大使がベオグラードにいました。彼は「本国政府の訓令でアメリカとソ連の大使とは握手をしてはならないことになっている。地域紛争を大きな国際紛争にしているのは大国による介入だ。大国の介入によって国際社会は乱れている。だからアメリカとソ連の大使とは握手しない」と言っていました。それを聞いたとき、私は非常に貧しいが社会主義の国として誇りをもった国だと感じました。それに引き替え日本は、と考えさせられました。
チトー大統領はクロアチア人でしたが、ユーゴスラビア連邦の大統領。しかもセルビアの中の厄介なコソボ自治州を上手に治めてきた原因は何か。一つは、第二次大戦でナチス・ドイツ軍に対してゲリラ戦で戦って勝利したという実績があると思います。もう一つは、チトー大統領はいつもコソボ自治州に目配りをしてきた。経済的に豊かなクロアチアやスロベニアなどの財政をコソボ自治州などに投入してきた。つまりユーゴスラビア連邦内部の南北問題を上手に解決してきた。北の富で南を援助する政策をとってきた。ですから、チトーが死んだあとも10年間は、各共和国の大統領が輪番制で連邦の大統領をやって、その政策を続けたので連邦として維持されました。
それが続けられなくなった原因を作ったのはゴルバチョフ大統領だと思います。ゴルバチョフがペレストロイカなどといって、ソ連邦の中に「民主化」を容認したためソ連邦がガタガタした。それによってブルガリア、ルーマニア、ポーランドなどの東ヨーロッパ諸国も乱れはじめた。
その余波を受けてユーゴスラビア連邦の中の豊かな国であるスロベニアとクロアチアが、自分たちの富を南に持っていかれるのは割に合わない、だから独立するんだと言い出した。そしてスロベニアとクロアチアが独立を考えはじめた。
この二つが独立すればユーゴスラビア連邦は乱れるに違いないとみんなが心配していました。にもかかわらず、スロベニアとクロアチアの独立を率先して認めたのはドイツでした。今回、NATO軍ではじめてドイツが実戦部隊を参加させたということと、ドイツがスロベニアをいち早く承認したことには共通したものがあると思います。西欧のバルカン半島に対する態度というのは、基本的には覇権主義だと思います。
ドイツがクロアチアとスロベニアを承認したときに、ほかの西ヨーロッパ諸国は、「承認は早すぎる。セルビアが怒るに違いない。セルビアの軍隊は装備は別にしてもユーゴ連邦の中で最強の軍隊だ」と心配しました。しかし、ドイツが強引に承認したため、西ヨーロッパ諸国もしぶしぶという形で承認した。
案の定、クロアチアの中で内乱が起こった。内乱になり、クロアチア人がセルビア人を力で押さえた。その時には残虐なことがあったと言われています。それに対してけしからんと言って、アメリカはクロアチア人を叩くのではなく、逆にセルビア人を叩いた。このクロアチア問題から一貫して米国・NATOはセルビアいじめの姿勢です。
今回のコソボ紛争から私は三つのことを指摘したいと思います。
一つは、情報覇権主義というものが強まっている。これまでも湾岸戦争などでありましたが、情報覇権主義が非常に強まっています。今われわれの耳や目に入ってくる情報というのは基本的にはアメリカ製、あるいはヨーロッパ製の情報です。そういう情報にわれわれはマインドコントロールされている。「セルビア→民族浄化→悪い奴だ→けしからん」という情報が繰り返されています。こういう情報覇権主義を警戒しなければならないというのが第一点です。
二番目は、アメリカを中心とするNATOは、20世紀の国際法秩序を破って介入しています。にもかかわらず、力によって、アメリカとNATOの覇権主義を押しつけている姿を不思議でない、やむを得ない、理解を示すという状況があります。情報覇権主義の下で情報操作されて、やむを得ないという状況が作られている。これはまさしくアメリカやNATOがねらっている21世紀における彼らの力による覇権支配の道ではないか。
つまり、国際法違反ではないかという指摘に対して、「これからの国際法は『人権』のためなら内政干渉は当然だ。これを内政干渉というのは昔の伝統的な20世紀の国際法だ。21世紀の国際法では人権のための介入は容認される」という議論になっているわけです。21世紀の国際法、国際秩序に「人権のためなら内政干渉はできる」という新しい価値観を持ち込み、自分たちに有利な21世紀をつくろうとしているのではないか。もし、そうだとしたら、相当警戒をしなければなりません。これが第二点です。
第三点は、かりに百歩譲って今回の空爆はやむを得ないと譲歩しても、そのやむを得ない空爆で罪もない人々が生命を奪われたり、財産を失ったりしている。のみならず外国の大使館まで爆撃する。そして、ああごめんねといえば許される。こんなことが果たして人道主義なのか。人権尊重ということで人権を蹂躙することが許されるのか。これがおかしいと思わない程度の人権主義とは何なのか。これが第三番目です。
国連憲章を避けて今回の空爆が行われている。第二次大戦が終わって、正しい秩序の下で、紛争は話し合って平和的に解決しようと理想に燃えていた。理想に燃えているが故に、それを実現するためには、やはり現実的な仕組みも必要だということで安全保障理事会の常任理事国の制度が導入されたと思う。そういう仕組みを作っておきながら、拒否権を使われて通りそうもないから、国連の手続きはやめて、別な基準・価値観を作って空爆を合法化していく。これでは国連は50年間もたなかったということになる。
民主主義というのは私にはよく分からない。少なくても、日本が民主主義の近代国家だということには疑念をもっています。よく「日本と欧米とは価値観を共有している」と言われますが、へぇーそうかなと思います。民主主義の価値観で分析して、アメリカやNATOと一緒にやっていけば世界は平和になる、という人たちがいます。その理屈だと、世界中が民主主義体制にならないと、世界は平和にならないことになります。そうではなくて、平和になりたいと思っているところに希望を持って、多様性を認めあっていくことが重要ではないかと思います。そういう心の広さというか、寛容さが必要ではないか。
(文責編集部)