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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』1999年6月号
嬉しうてやがて悲しき農基法
佐賀県農民 山下惣一
新しい農業基本法、すなわち「食料・農業・農村基本法」の制定を農民の一人として強い関心を抱いて見つめてきた。具体的にはその発端となった「食料・農業・農村基本問題調査会答申」(平成10年9月)「農政改革大綱・農政改プログラム」(平成10年12月)「調査会答申についての見解・提言等」(平成11年2月)そして第145回国会に提出された「食料・農業・農村基本法案」を中心に関連する資料を丹念に読んだし、「見解・提言等」には私の提言も載っている。
多少の文言の修正程度ではほぼ原案道理、採択可決され「新・農基法」として制定されるという前提に立っての感想をひとことでいえば「嬉しうてやがて悲しき農基法」ということになろうか。そんなもんですよ、といわれればそれまでの話ではあるが。
まず「調査会最終答申」だが、ここで提起された「農業、農村のもつ多面的機能」が、いわば新・農基法の目玉だから、そういう意味では重要な役割を果たしたといえる。しかい、立場の異る、利害の対立する大勢の委員が1年半もかけて議論し、全員への目くばり気くばりを重視した報告だから、なかなかに深遠な文章となっている。たてえば、食料の自給率についてはこうだ。
「このように食料の自給率は、農業者、食品産業、消費者等関係者のそれぞれが問題意識を持って具体的な課題に主体的、積極的に取り組むことの成果として、維持向上が図られるべき性質のものである。こうした点について国民全体の理解を得た上で、国民参加型の生産、消費の指針としての食糧自給率の目標が掲げられるならば、食糧政策の方向や内容を明示するものとして、意義がある」
この答申では意見のとりまとめができず両論併記となったのが4点あった。1.食料は国内生産重視か輸入依存か、2.食糧自給率設定の是非 3.株式会社による農地取得の是非 4.条件不利地域への直接支払いの是非。
この4点を含めて各地で公聴会が開かれた。これらを踏まえてまとめられたのが「農政改革大綱」(農水省)で、これは意欲的、かつ具体的な迫力があり、私は読んでいて感動した。冒頭の「農政改革についての基本的考え方」はこう書き出されている。
「食料は、国民生活に欠くことのできない基礎的な物資である。また、農業、農村は農業生産活動を通じて、食料の供給に加え、国土・環境の保全、水資源のかん養、緑や景観の提供、地域文化の継承等の公益的、多面的な機能を発揮している。こうした食料、農業、農村が果たす役割は、国民の安全で豊かな暮らしを守り、国家社会を安定させる基盤として21世紀においては一層重要な意味をもつ……」
このため食料については「国内農業生産を食糧供給の基本に位置付け、可能な限りその維持拡大を図っていく」とし「食糧自給率の目標を策定し」「条件不利地域には直接支払いを行う」と明記してある。つまり「これ以上、食料・農業・農村が衰退すると国民の安定した豊かな暮らしは守れなくなりますよ」といっているわけである。
私は長い間「日本農業が滅びても百姓は困らない。私たちはどんな時代になっても自分と家族が食べる分だけは作り続ける。困るのは消費者だ。農業・食料問題はじつは消費者の問題なのだ」と主張してきた、ついに法律が私の代弁をしてくれる時代になったという気分になったのである。もし、これが、新・農基法の「総則」に掲げられるならば画期的なものなると期待したのであった。昭和45年のコメの減反以来、縮小、後退を続けてきた農政がやっと攻めに転じると解釈して嬉しくなったのである。
もちろん、読み方は人さまざまで、私の友人は「これは農業・農村・農民ではなく農水省の生き残り策だな」という。もはや、農政は産業政策としては成立しない。農家人口は総人口の1割しかいない。就業者で5%、GDPでは2%を割り込んでいる。農政の対象者は国民全体から見ればごくひと握りの小集団にすぎない。したがって、国土保全とか環境や文化を持ち出して、社会政策、福祉政策まで取り込んで自らの生き残りを図っているのだ。それが新・農基法だ、という。たしかに一理はある。
しかし、私はそうは思わない。逆にいうとそのひと握りの農民たちによって国土の6割が維持管理され、食料の4割が供給され、GDPの2%が創出され、その結果として景観もふるさとも守られているのだ。つまり、経済性のない、しかし、人々の暮らしにとってたいせつなもの、すなわち「公益」はほとんどすべて第一次産業によって維持されているのである。これは、国民にとっての財産として守っていくべきだという主張を私は支持する。競争力うんぬんで語るべき問題ではないと考える。ということは、当然、次期WTO交渉も視野に入っているということである。自由競争に敗れる国の産業は放棄されなければならないのか? それで未来永劫に安定供給は可能なのか? 環境や土壌は大丈夫か? 等々、食糧輸入国における農業の存在意義を強調しているのだといえる。
ま、そんなわけで「農政改革大綱」への期待が大きかっただけに「食料・農業・農村基本法案」にはがっかりした。宣言法の色彩が強いから、これでいいのだ、ということかもしれないが、抽象的で文章は素っ気なく、どうにでも受取れる部分が少なくない。むしろ、逃げをうっていると解釈できる部分が目につく。
第8条は地方公共団体の責務を定めている。旧基本法では「国の政策に準じて」と明確に下請けと規定していたが今回は「国との適切な役割分担を踏まえて」と自主性を尊重する方向に変わっている。これは地方分権の潮流を踏まえてのことで当然と言える。が、第9条以下は「農業者の努力」「農業者の努力」と続き第12条に至っては「消費者の役割」とあり「消費者は食料、農業及び農村に関する理解を深め、食料の消費生活の向上に積極的な役割を果たすものとする」と定めている。私たち生産者も一方では消費者であるが、新・農基法に「消費者の役割り」が定めてあることを一般の消費者はご存知だろうか? 「アホぬかせ!消費者に選択してもらうように努力するのは生産側の役割だろうが。消費者に責任転嫁するな!」と叫びたくなる人もいるだろう。
つまり、結果が思わしくなかった場合(それは自明の理と思われるが)国と政府は新しい法律を作って懸命の努力をしたが、農民、事業者、消費者の努力が不足していたために「食料・農業・農村基本法」は所期の目的を達成できず、ついに日本農業は壊滅に至りました。誠に遺憾なことでございます。と逃げるための準備ではないか、とつい裏読みをしたくなるのである。
新・農基法を審議中の国会の傍聴に行った農業者の報告によると、論議は極めて低調かつ低次元であり、やけに空席や出入りが目立った、という。期待した方が愚かであったというのでは、あまりにも悲しい話ではあるが…。