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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』1999年5月号

ホームレスの人々の問いかけるもの

広範な国民連合事務局 迫田富雄


 深刻な不況な中で大企業はリストラを強化し、失業者は300万人を突破した。こうした状況を反映して、各地でホームレスの人々が増加している。次の文章は、国民連合の事務局員の体験談である。全文は月刊『日本の進路』議員版3号に掲載しているが、その要旨を掲載します。

 見覚えのある顔がホームレスに

 横須賀市は県下有数の工業都市である。しかし最近は大企業のリストラが相次いでいる。かつて労働者でにぎわった街、追浜は灯が消えたように閑散としている。
 私は4年前まで、この町の住民であった。3月24日、友人に会った帰途、追浜駅前の西友の入り口シャッターの前に1人の男が毛布にくるまっていた。この街にもついにホームレスが、と複雑な思いにかられた。非常灯に浮かび上がった男の顔に見覚えがある。
 「Tさんじゃないの、どうしたのこんなところで」と私が声をかける。
 「イヤー恥ずかしいところを見られた」とTさんは、少しばつが悪そうに、救いを求める様な表情を浮かべて私を見上げた。
 7年前彼からプライベートな問題で相談を受けた事がある。独身で55才は過ぎている。病弱で仕事ができず生活保護を受けていた。5〜6年前に母を亡くしたはずだ。昨年6月、アパートを追い出され、野宿を始めて8ヶ月になるという。
 私は仕事の関係で、すぐには時間が割けない。「電話する金も無い」という彼に、いくらかのお金を渡し、必ず数日後にまた来るからと励まして、後ろ髪ひかれる思いで別れた。

 アパートを追い出されたわけ

 早速、友人の弁護士にも意見を聞くと「そんな状態で出されたのが事実だとしたら人権問題だ」と怒った。しかし一方で「本人がしゃべりたくない都合の悪いこともあるだろうからアパートの家主にも事情を聞いたら」と冷静にアドバイスをくれた。
 家主を訪ねて話を聞いた。家主は、「一昨年3月、Tさんからアパートに火つけられたんですよ」と話し始めた。Tさんが数年前からアパートの隣人に騒音がうるさいと頻繁にクレイムをつけるようになった。事件当日も、ついに高じて入り口に火をつけてしまった。Tさんは自分の部屋に入り込み中から鍵をかけ閉じこもったという。
 消防車が出動し火を消し止め、警察を呼んでドアをこじ開け中に入ると、Tさんは何が起きたか分からない様子だったが、逮捕された。放火罪で起訴され、約1年3ヶ月警察に収監、執行猶予となり釈放された。家主は事件直後にアパートの賃貸契約は解約したとTさん本人が署名した用紙を見せてくれた。解約書は収監された2ヶ月後の日付だった。
 Tさんが逮捕されたあと精神科の先生がきて、その時の状況を聞きにきたという。多分、国選の弁護士が精神鑑定を申請したのだろう。
 「Tさんは昨年6月戻って来た。地域の民生委員から引き続き置いてくれるよう頼まれましたが、またアパートから火を出されたら困るので出てもらった」と家主は言った。Tさんが置いていった荷物の処分に困って市の法律相談室を訪ね、担当弁護士に相談して処分したという。亡くなったお母さんの位牌だけは処分できず、本人に届けたといった。
 Tさん本人に家主に会った話をしたら経過は認めた。しかし今でもその時何が起きたのか何も思い出せないと言う。耳がだいぶん遠くなったようで、耳元で大きな声で何度も聞かないと会話が出来ない。
 Tさんはアパートを出されたので住所不定となり、生活保護は打ち切られた。市の生活保護課に相談したら、アパートを探すように言われ、必死で探した。ようやく見つかったが、不動産屋で契約の段階で連帯保証人を請求された。入居費用も足りなかった。隣県に住む兄と妹にすがる思いで手紙を書いた。待てど暮らせど返事が来なかったという。
 Tさんの話では時々、数人のおばさんがおにぎりや弁当をくれるらしいが、ここ4日間は水ばかり飲んでいたという。私が近くのコンビニで暖かい弁当とお茶を買って戻ってくると、近所のおばさんが弁当を差し入れをしてくれていた。こういう善意に支えられて、Tさんはなんとかこの冬を生き延びてきたようだ。
 正常の精神状況でないときの事件だから判決の取消を求める裁判も考えたが、Tさんの最低限度の生活を確保することが先決だ。市の生活保護課にかけあうことにした。

 「住所がない人はダメ!」
 生活保護申請は門前払い

 生活保護課に電話すると「Tさんの件はプライベートな問題なので本人が一緒でなければ話はできない」との返事。私は「それじゃ本人と一緒に行く」と電話を切った。
 そうは言ったもののTさんを昼間探すのは大変なのである。夜は決まった場所に寝に帰るのだが、昼間はどこに居るのか分からない。半日探し回ったが見つからず、やっと見つけたのは午後9時過ぎであった。
 翌日、市役所に行くためにTさんを車に乗せたら、異臭が鼻をついた。路上生活を始めて1回も風呂に入っていないと言う。最近は水道の水ばかり飲んで下痢をしているという。
 市役所の担当の職員は、Tさんの了解を得た上で話し始めた。私が家主から聞いた話と同じであった。
 Tさんが収監されたので生活保護を自動的に打ち切った。釈放されて相談に来たが、住所がなかったので生活保護の申請は受け付けるわけにはいかなかったという。住民票は今も前のアパートあるはずだというと、実際にそこで生活していなければ生活保護の手続きはできないという。
 路上生活者が行き倒れたらどうするのかと聞くと「病院に運び込まれた時点で生活保護で面倒見る」という。路上生活者がのたれ死にするのを見て見ぬふりをするのかというと、現在ではやむを得ないという。
 川崎市では野宿生活者にパン券を支給しているが、横須賀市ではどうなのかと聞いた。必要だと思うが、本市では財政的に無理だという。
 職員は、Tさんが生活保護を受けていた時の調査ファイルを見せながら「胃潰瘍や腸閉塞で大手術をし、片方の足が悪いし、耳が遠いようだしアパートに入居できれば審査はスムーズにいくはず」という。入居費用もなく保証人もなくてアパートにも入れない人は、生活保護も受けられないのかと追及したが、市の規約ではどうしようもないという。

 病院の診察は認めたが・・・

 Tさんは身体の不調を訴えている。下痢がひどい状態で入院が必要かもしれない。放置し取り返しがつかない状態になったらどう責任取るんだと食い下がった。ようやく職員は診察料と薬代については市で出すようにやってみる、と約束した。
 帰りの車中で、Tさんは病院にかかれるだけでもありがたいと感謝した。私は市が生活保護の申請を受理しなかった事が腹立たしかった。
 翌日、再度彼を車で病院に連れていく。先ずケースワーカーを訪ね事情を話す。女性のケースワーカーが市の生活保護課に問い合わせて、診察して貰えることになった。
 医師は私の説明を聞いて「ああ、そういう生活していればいろんな菌をもらったりするし下痢もするだろう。薬を出すから」とろくにTさんの身体を見ようとしない。私は怒りを抑えながら、もっと詳しく診察してほしいと訴えた。医師はむっとしたようすだったが、レントゲンと尿、血液検査やりましょうと言った。
 入院が必要という診断が出れば、文句なしに生活保護が受けられ、Tさんは路上生活から救われる。そういう矛盾した感情を抱きながら検査結果を待った。
 医師はレントゲン写真を指し示しながら「少々ガスが腸に溜まっているが問題はない。薬をあげるので飲んで様子をみなさい。今のところ通院や入院の必要はない」と言った。
 ケースワーカーに結果を報告すると、残念そうな表情だった。医師が通院や入院の必要はないと診断した以上、市はその後の診察費も出さないだろうという。

 やっと受理した生活保護申請

 夜中に目が覚めた。このままTさんを路上に放置するわけにはいかない。Tさんと一緒に市役所に座り込みでもするかとも考えた。しかし、Tさんはそこまでやれるだろうか。
 結局、アパート探しをすることにした。たまたま電車の中で会った友人に事情を話すと、心当たりがあるという。その友人と一緒に家主に会う。家賃4万円の部屋が空いているが本人に会わなければという。
 Tさんは見るからにホームレスという風体である。知り合いの教会の牧師さんにシャワーの便宜を図ってもらった。着替えを用意し、ようやく普通の人に見える格好になった。
 家主は幸いOKしてくれたが、不動産屋を通すことになった。結局、敷金、礼金、当月分家賃、契約書手数料など、合計金額は16万5000円が必要だ。ホームレスの人が用意できるはずがない。
 ここまでくると、もうやむを得ない。私も金銭的余裕がないので、借金するしかない。連帯保証人も私がなる。ようやく契約書が出来た。
 やっと引っ越し。荷物は買い物キャリアーと買い物袋3個。悲しいほど簡単な引っ越しである。粗末な部屋でも、ちゃんと畳があり雨露がしのげる。家主も様子を見に来たが、Tさんがホームレスであったとは言っていないので、あまりの荷物の少なさに少し不安な表情をしていた。
 担当の職員にアパートの契約書ができた旨、連絡すると、審査の日取りが4月9日と決められた。生活保護の申請が受理された。その4日後、地域担当の職員が来てアパートを確認、生活保護手当が支給されることになった。
 その際、入居費用のために借金をしたので、市から出して貰えないのか聞いた。担当者はたとえ借金があろうとも、生活保護受理以前のお金は負担できないという。
 実際に当面の生活資金をTさんが手にしたのは4月20日であった。私がホームレスのTさんに会ってから1ヶ月近く経っていた。
 新しい住所に住民票を移して、その写しを取ったとき、Tさんは本当に嬉しそうであった。しかし、私は決して満足できない。

 国と自治体はやるべき事がある

 心の中には言いようのない国や自治体への怒りが残る。私はTさんの生活保護申請を通じて、ホームレスと言われる人々の現状をかいま見た。
 一旦そういう生活に落ちたら、人として扱われるまではい上がる事がいかに困難なものであるか、実感した。それは独力では不可能に近い。援助したいと思っても、個人の力では財政的にも時間的にも限界がある。
 人が失敗しないことはあり得ない。あるいは予期せぬ事故などで生活設計が完全に狂う事もあるだろう。親兄弟から見放され、友人知人も頼れない。あるいは精神的な障害を持った人は、特に周りからは偏見を持って見られ、疎外される。さらに、深刻な不況とリストラで失業し、住むところもなくなり街頭に放り出される人々が急増している。
 一旦、野宿生活をはじめると途端に自治体の保護は適用されなくなる。政府は大銀行救済には何兆円も出すが、生活困窮者には冷たい。ホームレスと呼ばれる人々の数さえ正確には把握されていない。
 憲法の第25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」また「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と書かれている。
 川崎市では、野宿生活者に申し訳程度にパン券を支給している。1日1000人近い人々がパン券の支給を受けているという。しかし、憲法第25条でいう「健康で文化的な最低限度の生活」とはほど遠い。横須賀市ではパン券さえ支給されない。路上生活者は、死の直前まで捨て置かれ、行き倒れになって始めて自治体が対応すると言う実態である。
 とまれ、現在の限られた救済措置でも、自治体は十分それを住民のために活用しているだろうか。そうした救済措置が市民に、さらに路上生活や野宿を余儀なくされているホームレスの人々に知らされているだろうか。地方自治体が財政危機を理由に、生活困窮者への救済措置を取らなければ、ますます地域と都市は荒廃するばかりである。