トップ(HOME)国民連合とは代表世話人月刊「日本の進路」地方議員版討論の広場


自主的で平和で民主的な、新しい日本の進路をもとめて
広範な国民の連合の呼びかけ



 おびただしい流血と破壊のすえに、湾岸戦争は終結しました。この戦争でいっそう明らかになった日本の政治の方向に、私たちは大きな不安を感じています。ポスト冷戦の国際社会で日本が進むべき道は、時代遅れになった日米基軸、軍事大国の道ではなく、自主的で平和な新しい日本の進路です。

 湾岸戦争は、日本政府の卑屈な米国追随ぶりを、内外にさらけだしました。日本政府は米国の顔色をうかがい、平和的解決に何の努力もせず、米国がカネを出せと言えば莫大な戦費をみつぎ、ヒトを出せと言えば国連平和協力法や自衛隊機派遣に奔走しました。
 米国はこの戦争で湾岸に念願の軍事基地を確保し、アラブの石油に対する支配を強めました。国際正義の名のもとに米国が実際に追求したのは、権益の確保であり、国際政治の主導権でした。米国が打ちだした「新国際秩序」は、国連のおすみつき、日本などの財政負担、米国の軍事力で南北問題の激発をおさえこもうというものです。
 私たち国民が願っているのは、国連に名を借りた武力による大国の支配秩序ではなく、国の大小をとわず平等な、国際社会の民主主義です。時代遅れの対米追随外交ではなく、日米安保条約を清算し、米国をふくむすべての国々と平和、友好、協力の関係を発展させる自主外交です。

 日本政府は、米国への「国際貢献」を口実に掃海艇を派遣し、ついに海外派兵の突破口をひらきました。PKO、災害救援で、自衛隊海外派兵の道をさらに拡げようとしています。国際平和を求めている平和憲法は、「一国平和主義」とねじまげて攻撃されています。
 その背景には米国の圧力とともに、海外にたくさんの財産や利権をもつようになった大企業の要求があります。米国追随のかげで、日本は軍事大国、覇権国家への道を歩み出しています。アジアの民衆は日本に侵略された悪夢を思い起こし、懸念を抱いています。
 私たち国民が願っているのは、軍備拡大や海外派兵ではなく、過去の植民地支配、侵略戦争を反省し、実際の行動で戦争責任をはたすことです。最初の被爆国として、核兵器廃絶、全面軍縮、平和のために、ODAの見直しをふくめて、第三世界諸国の政治的・経済的自立のために、積極的に貢献することです。

 大国に追随し小国をあなどる、国際社会での日本のあり方と結びついて、国内政治では大企業や金持ちが優遇され、貧富の格差が拡大してきました。労働者は長時間労働をさせられ、過労死は国際語にまでなりました。米国の圧力による農産物市場開放、そしていまコメ市場開放で日本農業は崩壊の危機にあります。消費税導入、大店法規制緩和によって、中小小売商は廃業・倒産に直面しています。
 企業利潤の優先によって大量消費・資源浪費があおられ、生活環境や自然環境の破壊が進み、その被害は第三世界にまで拡大されました。大企業が金の力で政治に巨大な影響力をおよぼし、政・官・財の癒着構造が進み、小選挙区制度の導入がはかられています。人権がふみにじられ、民主主義はみせかけにすぎません。
 私たち国民が願っているのは、大企業や金持ちの優遇ではなく、経済を民主化し、大多数の国民の生活や文化・教育を大切にする政治、私たち自身の生活の見直しもふくめて、次の世代にのこす環境を大切にする政治です。みせかけの民主主義ではなく、国民主権の名にあたいする実質的な民主主義です。

 戦後政治の転換期にあたって、私たち国民が求められているのは、時代遅れとなった日米基軸の政治を転換し、自主的で平和な日本の進路を実現することではないでしょうか。
 残念ながら今のところ、野党は自民党による分断、連立政権への誘いでばらばらにされています。私たち国民の闘いも、その力を十分に発揮していません。しかし、国民が消費税に憤激し、政府に痛撃を与えたのはわずか数年前であり、国民の中に大きなエネルギーがあります。
 いま必要なことは、労働者・農民・中小業者の運動が、平和・環境などさまざまな市民運動が、女性や青年など各界・各層の国民が、日米基軸に代わる新しい日本の進路を求め、政治的な立場や団体の違いをこえて、広く連合することです。その第一歩として、各地でそれぞれの課題で闘っているみなさんが経験をもちよって、新しい日本の進路を共に模索し、広く連合する道をさぐる討論の場を持とうではありませんか。情報を交換し、経験を交流し、世論を喚起し、連帯した闘いで、広範な国民の連合の動きをつくりだそうではありませんか。
 みなさんの御賛同が得られるならば、今秋にも東京で、さらに各地で、みなさんと力をあわせて、そのような討論の場を実現したいと願っています。
 みなさんがこの呼びかけに加わってくださるよう、あるいは御賛同くださるよう、心からお願いします。

  1991年7月