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『日本の進路』地方議員版34号(2007年2月発行)
川辺川は有明海に注ぐ球磨川の支流である。相良村、五木の子守歌で有名な五木村を含む当該6市町村(人吉市、錦町、多良木町、あさぎり町、相良村、山江村)は川辺川総合土地改良事業組合(事業組合)を設立し1962年に熊本県の認可を受け、土地改良事業に係る事業を共同で処理してきた。
川辺川ダム建設計画は1966年に発表され、68年には治水、利水、発電、流量調節の多目的ダムとして計画変更が行われた。事業組合はこのダム建設計画を推進する立場である。これに対して地域住民をはじめ熊本県内外から川辺川の自然を守れという反対運動が展開されてきた。昨年、11月には矢上雅義・相良村村長がダム建設反対を表明、11月17日には総議会で「川辺川ダムによらない治水および利水事業の早期実現に関する意見書」(ダム建設反対意見書)が採択され、12月17日には相良村の総合体育館で住民や村外の川辺川ダムに反対する人々2300名を結集して「勉強会」(反対集会)を開催した。(相良村の人口は2006年12月31日現在5487人)また、相良村は今年度限りで事業組合を脱退することを表明した。
ダム本体が建設される当該地であり最大の「受益者」とされる相良村が村を挙げて反対の意思表示を行ったことは国・国土交通省のダム推進派には大変な衝撃となったが、自然保護や災害防止の立場から同ダム建設に反対してきた多くの人々の共感と敬意をもって受けとめられている。川辺川ダム建設問題は新たな局面を迎えている。ここに紹介するのは1月17日、編集部が矢上村長に行ったインタビューと12月の集会での同村長の発言要旨である。(文責・聞き手 編集長 迫田富雄)
40年を経て変わった情勢
最初、昭和30年代に利水事業の話が出たときは、米不足で、新しい水田を高原地区(たかんばる)、いわゆる高台に新しい水田を確保したいという時期でした。その間に減反政策が始まり、最近に至っては高齢化、後継者難となっています。また、ダムから水をひく、大規模利水事業の当初の受益面積3600ヘクタールを3000ヘクタールに計画変更した。その際、本人の意思確認をキチンとしないままに、手続きに瑕疵(かし)があって問題となり、裁判に負けた。この間に大きな情勢の変化がありました。
小泉改革で逼迫した村財政
相良村の財政規模は一般会計で30数億円ですが、三位一体改革で地方交付税が削減され、基金・貯金の取り崩しが始まりました。
足りなくなった一つの原因は、介護保険制度とか上下水道の整備が進み、住民負担が過大にならないように一般会計から、特別会計への繰り出しが多くなったからです。地方交付税が最高で平成12年度18億8836万円あったのが、平成17年度決算では15億4875万円となり、約3億4千万円減りました。基金を約1億円ずつ取り崩す形になっています。いまのままでいくと3〜5年で基金を取り崩します。いま新型交付税の論議がありますが、政府の政策でこうなったので、地方交付税が増えないと今のままでは相良村はやっていけません。そういう状況で、住民負担が増えるダムとか利水事業に参加するわけにはいかないということです。
きれいな川を残したい
私は利水事業からの離脱を打ち出しましたので、その説明責任を果たそうと12月17日の大会になりました。説明責任といってもイヤなものはイヤというだけです。意味のない無駄な事業についてははっきり勇気をもってお断りするということです。結局40年たってもダムが出来ないということはそんなに緊急性はないということです。しかもダムが出来ることを前提に堤防や河川の砂利をそのまま放置したため、川底が上がってきています。やるべき定期的な維持管理をやっておれば、そもそもダムを作らなくても、治水が可能だと思います。さらに川は汚いよりきれいな方がいいし、子どもにとっても泳げない川より泳げる川がいい、そういう単純明快なことに説明責任などいりません。
私が反対を表明してから、激励のEメールが数多く寄せられています。住民からの反応は、今までは村が推進だったけれども、今度は村を挙げて反対といって貰ったからしゃべりやすくなったとか、年寄りの農家の方はこれ以上借金しなくてすむので助かったとか、きれいな川を残していきましょうといった反応が数多く寄せられています。
ダム建設計画を白紙にして地域振興を
利水事業やダム建設計画があるので、それ以外の計画が出来ない状況です。がんじがらめになっている土地を将来有効的に活用出来るようにしたい。当然村としては戦略的には利水事業とダム計画が白紙に戻ることが地域再生の一歩だということです。
もし今後利水計画が廃止になれば高原地区は住宅地とか企業を誘致する用地として農業以外でも利用出来ます。
私は、農産物や特産物の振興とか年金農業者の問題等含めて、地域振興策を語っていこうと思っています。
ダム本体を建設当該地の相良村が反対する以上は利水事業もダムの話も過去の話にしてしまう。そういう意気込みでやっていきたいと思います。
12月17日の集会における矢上雅義村長の演説要旨
私は、いろいろな町の市町村長さん達から「何でもかんでも反対する男だ」「やっかいな男だ」といわれています。しかし、私ほどおとなしい人間はおりません。 私は、生まれて初めて、はっきり「ダム反対」と言わせてもらいました。それは、皆さんがついておられるからです。
私は、今年で46歳になりますが、父から最初にダムの事を教えてもらったのは5歳のころでした。それから41年たっても、ダムはできておりません。父がよく言っていた「ダムで栄えた村はなし」という言葉は忘れることはできません。これから順調に計画が進んだとしても、あと15年から20年かかる、その頃は私も年金がもらえる年齢になります。このような、全く意味のない計画をこれ以上続けてはならないということで、私は反対を表明しました。
29歳で衆議院選挙に初挑戦して以来、(筆者注 国会議員2期歴任)もうすでに18年近い歳月がたとうとしております。その当時から川辺川ダムや利水事業には消極的でした。しかし、当時は私は人から何か頼まれても「そのうち、そのうち」と先送りしてきました。一昔前は、先送りできる能力がある人が立派な政治家であり、それが長生きの秘訣でした。私もこのような生き方をしている間に、段々とものわかりが良くなり、「ものを言わない政治家」の一人になってしまったことを今はおおいに反省しています。その結果、皆さま方のご支援をいただいたにもかかわらず、平成12年の国政選挙において残念ながら落選することになりました。私の不徳のいたすところです。
そして村長になった後も、いつか本当の事を言いたいと思い悩んでいました。しかし歴代の村長さんそして五木村の水没地域の皆さんの思いを考えると、のど元まで出かかった言葉を、ぐっとこらえるしかありませんでした。
しかし、去年、貴重な経験をさせていただきました。およそ1年の間、ある事件で逮捕され京町の拘置所で一人暮らしをしました。
そのとき、村政のことなどいろいろ考えさせられました。ちょうど私が拘置所に入っております時、小泉さんの三位一体の改革が真っ盛りでした。これから市町村は地方交付税や補助金が削られて、ますます運営が厳しくなってきます。私が村長でいる間、何か大きな間違いはなかっただろうか。また私のせいで、これから各種保険料や、上下水道の料金が2倍にも3倍にもなったらどうしようと、真剣に悩みました。この1年間、気の狂うような思いで過ごしました。
そうした中で決断したのが、国営利水事業と川辺川ダム建設事業からの撤退です。そうであるならば川辺川ダム建設にこだわる必要もありません。平成18年11月7日、ダム反対を表明したわけです。突然の表明でしたが、議員さん達も同じ思いだったようで、それから10日後、「川辺川ダムによらない治水および利水事業の早期実現に関する意見書」が村議会で採択されました。ダム反対表明をした私に対し、「なぜ今ごろになってダム反対をするのか。その理由について説明責任を果たせ」「説明責任を果たさなければ、村長としても政治家としても失格だ」といわれています。でも、「汚い川より、きれいな川がいい。そして、子供たちがきれいな川で泳ぎたい」という気持ちを説明するのに、何か特別な理由が必要でしょうか。
次に、「現実に大洪水が起きたときに、お前はどう責任を取るのか」と責められています。しかし、そもそも川辺川の管理者は国土交通省と熊本県です。すでに河川敷の砂利除去や堤防かさ上げで、治水効果が発揮できることは、今年の集中豪雨ではっきりしました。国土交通省や熊本県が、定期的に河川の維持管理をおこなえば済むことです。実際に、相良村の永江地区と人吉市の中河原公園周辺の砂利除去をしたことで例年より2mほど水位が下がりました。
また下流の球磨村の水害の原因は、球磨川の氾濫ではなく、背後の山から流れこむ内水が集落内に滞留することが原因です。集落内に内水用の排水ポンプを設置しない限り、川辺川ダムを造ったところで問題が解決しないのは、地元ではよく知られた事実です。
また相良村や五木村の地域振興の面から考えても、川辺川ダムを造ったからといって、お客さんを呼ぶことはできません。何年かたてば水が濁ってきます。一ツ瀬川や緑川のダムの水は緑色や茶色、あるいは黒くなったりすごい色をしています。最初の数年間は、ホテルや飲食業も儲かるでしょうが、そのうちお客さんが来なくなってつぶれてしまいます。ダムの観光で繁盛したという話は聞いていません。相良村や五木村においては、「秘境」や「清流:川辺川」のイメージを前面に打ち出すとともに、昔ながらの風情を大事にしながら郡外のお客様を呼び込んだほうがいいと思います。
本日は八代海の漁協の方たちも来ておられると聞いています。川辺川ダムができると、八代海や有明海の水質もさらに悪化して、魚民の皆さんの生活にも悪影響を与えるでしょう。球磨川のアユ漁や球磨川くだりも駄目になるでしょう。本日、2000名を超える方がいらしたことは、ダム建設阻止に向けて歴史的な大転換を迎える契機となるでしょう。
集中豪雨などの異常気象を招いた原因は、地球規模の自然破壊です。ダムを造るということは、まさしく人による自然破壊であり、自然環境に大きな負荷をかけるものです。自然の恵みのおかげで生かされている私たちは、もう少し謙虚に事実を見すえていくべきです。
「ダム反対の人たちはよそ者ばかりだ」という批判をよく耳にしますが、相良村内にも、ダム反対の方は大勢おられます。市町村長や建設業界が圧力をかけなければ、地元の人も遠慮せず、ダム反対といえるわけです。これが、今日の大集会の成功へと結びついていると思います。
安倍総理大臣は所信表明で、「美しい国づくり」をあげておられます。また先日は、性急に教育基本法の改正をされ「郷土を愛する心」をわざわざ入れておられます。「この郷土とは何を指すかといえば、川辺川のことです」「郷土の宝物を大事にせよ」と重ねてエールをいただいているわけですから、相良村長も相良村議会も決して国賊ではございません。私どもは政府与党を代表して川辺川ダム建設反対運動をしているのですから、決して私たちが村八分にあうことはございません。しかもこの会場に2000名を超える皆さんがおられます。皆さんの気持ちが大きければ大きいほど、川辺川ダム建設反対運動は、確実なものになるのです。
最後に国営川辺川利水事業から離脱した理由ですが、1番目に、この事業に参加してダムから水を引きますと、相良村民がもっている既得水利権つまり川辺川から優先して水を引くことができる権利が消滅します。相良村の480町歩の水田の大半は川辺川からの自然流下型の利水です。将来、川辺川ダムができて他町村にまで水を引くことになれば、旱魃(かんばつ)のときには水不足恐れが出てきます。これまで水争いが無かった相良村で、村民同士の水争いがおこるかもしれません。
2番目に、川辺川土地改良区はその設立当初から行政の運営補助金をあてにしています。農家への説明では、水田一反あたり4500円の水代となっておりますが、将来、行政からの補助金が打ち切られた場合に約3倍から4倍にはねあがり、およそ1万6000円前後になるでしょう。鹿児島空港の周辺に「十三塚原土地改良区」というところがあります。そこの水代をお聞きしたら、現在は反当たり3600円ですが近い将来行政からの補助金が打ち切られる予定なので、一反当たりの畑の水代を4500円にしたいそうです。水を多く使うハウス農家やスプリンクラーを使うお茶農家などは、一反当たり1万3000円以上は払っているそうです。ですから「2000円ぽっきりで畑に水をかけ放題」という甘い言葉で誘うのではなく、「ハウス園芸ならば1万3000円です。畑に水を引くだけならば4000円です」と正直に言えばいいわけです。多くの方に参加していただくために甘い言葉を使ったことが、現在の混乱を招いていると思います。そういう理由からも、この利水事業は中止せざるを得ない事業ではなかったかと思います。
そして3番目の理由として相良村の財政負担があげられます。この事業に参加すると、約1億6000万円の償還金を15年間にわたり相良村は払い続けなければなりません。相良村は約1500世帯ですから、1軒当たり、年間に約11万円の負担です。15年間で1世帯当たり、受益農家・サラリーマン世帯の区別無く、165万円ほど負担しなければなりません。このように事業に参加した場合、北海道の夕張市のように税金を上げるか、上水道・下水道料金を上げるか、悪ければ、健康保険料も上がるかもしれません。このような話を村民の皆さまに持ち出すわけにはいきません。だから、この利水事業だけでなく川辺川ダム事業も葬り去ろうと決断をしました。
「相良の村長一人が反対したところで何になる。無視してダム建設を進めればいいんだ」という声が聞かれます。しかし、これは明らかな間違いです。私たちの宝物である「清流:川辺川」を子供たちに残すことは私たちの権利であり、義務でもあります。国、県に本当に良識のある方がおられるなら、ただちに、この事業は中止すべきなのです。
皆さん、この運動には川辺川に住む河童の神様も応援しています。相良村の役場も応援しています。必ず良識ある判断が下されますので、最後までみんなで力を合わせて頑張りましょう。
最後に必ず川辺川ダムを止めることを誓いまして講演を終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。