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自主・平和・民主のための広範な国民連合
『日本の進路』地方議員版27号(2005年5月発行)

【米軍再編と基地の現状・沖縄】

米陸軍・都市型ゲリラ訓練所建設反対

オジー、オバーが孫のため頑張る

沖縄県議会議員(金武町) 吉田勝廣


相次ぐ基地被害、山火事、殺人、暴行…
 また、また、山火事が発生した。キャンプハンセン演習場では2月から4月にかけてはいつものことだ。今年3月中旬以降の一カ月間で3度目、4月4日発生した火災では2日間に渡って燃え続け原野約400ヘクタールが消失した。復帰(1972年)後では最大規模の火災であった。
 私の金武町長時代は山火事を発生させない対策として、(1)@この時期は、乾燥期に入るので、曳光(えいこう)弾等を使用した演習は中止すること、(2)風向等についても、充分配慮することを米軍当局へ申し入れた。
 また、演習の際には、消防車、ヘリコプターを配置し、初期消火活動に万全を期すことなど、米軍と確認していた。しかし、米軍はこれらを守っていなかった。復帰後、これまで、大小あわせて240件もの山火事が発生した。
 新しい芽が出て根付いて、これから本格的に成長しようとする木々が山火事のために枯れて、一向に山々に緑が育っていない。
 米軍基地キャンプハンセンは戦後、陸軍基地としてスタートし、中国革命や朝鮮戦争後に本格的に基地拡張が始まり、1963年に、ほぼ現在の基地の骨格ができ、沖縄における海兵隊の最大基地、つまり、日本における海兵隊の最大基地だ。
 ベトナム戦争時には、海兵隊の主力はこの基地からベトナムへ出撃した。この基地には、約1万人規模の兵員を駐留することができた。現在5千人余が駐留して、イラク戦争への海兵隊主力部隊になっている。
 このようにして、この基地は60年間常に、米軍の極東の有事、いや今日では、極東の範囲を越え、中東等の有事即応体制の拠点として、機能しているのだ。そのために、各種演習が実施され、基地被害が相次いだ。
 県道104号線を封鎖しての実弾砲撃演習は復帰一年後に開始された。これは、「復帰とは何であったのか」問いかけるものであったし、県原水協を中心に県民の生活道路である県道を封鎖しての演習は生活権の侵害であり、県民の平和を希求する心を土足で踏みにじるものであるとして、山中に入り込むなど激しい阻止行動を展開し、3年間演習を中止させた。この演習に反対する闘いは1973年から1997年、実弾演習が本土移転するまで続いた。
 この間、金武町の山々は焼き尽くされ、ケロイドのように山肌が剥きだしになって今日に至っている。また、人口1万人足らずの町で、復帰後、6人が米兵に殺された。傷害・暴行事件もやむことなく今日まで続いている。
 いま、町内では米陸軍・都市型ゲリラ訓練場の建設中止を求めて、米軍基地ゲート前で反対抗議行動を行っている。この5月26日で、満1年を迎える。厳しい闘いだが、子どもや孫の命を守るために、おじー、おばーが早朝から頑張っている。しかし、解決の目途は立っていない。
 米軍再編といわれ、あたかも沖縄の基地が縮小するかの期待があるが私はそういう再編はないと思っている。中国・台湾海峡を睨みながら安定的に基地を使用するために沖縄の米軍基地は大幅な縮小再編はあり得ず、普天間基地の移転問題も大きな進展は望めない。むしろ、米陸軍第一軍団司令部の座間移駐問題を考えるとその備えとして沖縄の基地も強化されるのではとも思われる。
 米軍基地では今日、憲法記念日にも関わらず、午前5時30分頃からライフルの発射音が町内に響いている。
 これが、いまの沖縄の現状だ。