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自主・平和・民主のための広範な国民連合
『日本の進路』地方議員版27号(2005年5月発行)
【米軍再編と基地の現状・沖縄】
2月28日、下地島に自衛隊を誘致する決議を伊良部町商工会会長が理事の連名で伊良部町議会に提出しました。名を連ねた数名の理事に確認したところ実際に署名した覚えはなく、寝耳に水だと怒っている理事がいました。これは、民間から自衛隊駐屯決議をという形をつくりたかった賛成派議員の策略だったと思います。3月16日、3月定例会において、緊急動議で自衛隊の駐屯決議案が提出され、賛成9、反対8で決議されてしまいました。同じく、宮古五市町村合併案は反対9、賛成8で合併反対が議決されてしまったのです。
この直後、青年会の皆さんの求めで説明会を持ち、やれることを何かやろう、今行動を起こさないと自分たちは一生後悔する事となると結束を呼びかけました。そして3月19日に下地島空港施設労組と青年会の皆さんと話しあって3月21日に自衛隊誘致決議に反対する町民集会を開くことを確認し、同労組を中心に製糖工場、町職労、JA労組の皆さんが実行委を作り、青年会の協力で町民集会に呼びかけのチラシを約2、616世帯に2時間くらいで配布することができました。そのとき「今の日米再編の時期に自衛隊が誘致されれば間違いなく米軍も来る。騙されてはならない」と住民からいわれ自衛隊誘致に対する警戒感の強さに驚き、また力強さを感じました。3月21日、町全人口6、655名の約1200名が参加して町民集会が開催されました。そして、その日の大会後、青年会は議員一人一人に、自衛隊誘致、市町村合併の再考をお願いして各字の代表が文章を読み上げ手渡しました。議会最終日3月24日、またも緊急動議にて市町村合併からの離脱を求める議案が提出されたのです。自衛隊誘致・合併反対の議員は25日の臨時議会に町民が多数傍聴に来ることを恐れてその前に合併離脱の決議を画策したのです。臨時議会さえも開かず町民を無視するにもほどがあるし、議会人としてとるべき行動ではない。しかしこのことを知った町民の皆さんが30分くらいの時間で約300名ほど集まり、自衛隊誘致賛成、合併反対の議員と町民の激しい論争になりました。誘致派議員が3月22日に国会で大野防衛長官等に会った事を説明することになったのです。しかし彼らが出した条件は伊良部町の人口の過半数を集めることでした。確かに説明会が6時とするならば大変な事ではありましたが、各労組の皆さん、青年会の動きはすごいものがありました。車からマイクでの呼びかけ、青年会は歩いて1軒1軒呼びかけ、各労組の電話による呼びかけ、そして6時には3千名を超える町民が参加して自衛隊誘致反対、市町村合併賛成を強く訴えたのです。圧倒的な住民の声に複数の町議が駐留誘致と合併賛成に方針を変えると表明しました。25日の臨時議会では自衛隊誘致白紙撤回案が賛成16、反対1で劇的に議決され合併案も賛成多数で可決されました。
伊良部住民は自然に囲まれた素朴で美しい島の生活を望んでいることが証明されました。稲嶺知事も屋良覚書(下地島空港建設の際日本政府と琉球政府が交わした文書で下地島空港は、自衛隊等軍事利用目的での使用はさせない)もあるし沖縄県としても反対の意思を見せています。今回の騒動には政府や防衛庁関係の大きな力が動いたのが見え隠れします。例えば、3月16日に決議して22日にはたかが一町議員が防衛庁長官と直に会うということに不思議なものを感じざるを得ません。
下地島空港は宝ですが使いようでは脅威にも変わるものです。国策のシュミレーター訓練飛行場に止まらず、例えば合併後、ひとつの市に二つの空港は必要なく伊良部架橋の完成とともに下地島空港が宮古島市の空港としての役割も果せば、宮古島の真ん中に位置する空港用地を市の発展に活用できるのではないかと考えています。
今回、青年パワーが火付け役となり町民の熱い思いとパワーで自衛隊誘致と合併反対を議会で覆すことが出来、感謝の気持ちでいっぱいです。
政治はやはり住民の為の政治であるべきで、ましてや一部の人の欲や思惑に利用されるべきではないと思います。