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自主・平和・民主のための広範な国民連合
『日本の進路』地方議員版22号(2004年2月発行)

イラクへの自衛隊派遣に反対する

逆流の時代 共生の社会構築を

長野県上田市議 茅野光昭


 今年の元旦は穏やかな晴天に恵まれ、さすがに人の動きもないせいか静かな朝だった。時折、鳥の声も聞かれ、しばし雑念から解放された気分にはなった。が、今地球の裏側のイラクやアフガンで飢えや寒さで苦しんでいる人々の姿を映し出したテレビの画面を思い出してしまう。
 そして今、日本社会が抱えるさまざまな現実を見た時、毎日のように報道される凶悪犯罪、母親がわが子を殺したり、中学生が幼い子どもを何の意味もなく殺してしまう、そんな事件があまりに多い。こんなことは昔は無かったように思う。
 一時期、人間は病気などはもちろん、自然さえも21世紀には克服できると思ったことがある。だが、それは人間の傲慢であることがエイズや新型肺炎(SARS=サーズ)、あるいは牛のBSEなどで思い知らされた。
 戦争の世紀といわれた前世紀を教訓に、21世紀は平和で豊かな世界を期待していたのに、どこでボタンのかけ違いをしたのか、9・11の同時多発テロ以来、アメリカはアフガンやイラクをテロ支援国家と決めつけ、まさに大量破壊兵器をもって攻撃し、多数の死傷者を出し、都市を破壊し政権を転覆させた。
 ビンラディンやフセイン政権を倒したからといってテロは無くなるだろうか。いかなる理由があろうともテロを許すわけにはいかないが、だからといって、武器の力によって押さえようとしても、殺しの連鎖を増幅させるだけではないのか。
 これだけ科学技術が進歩し一般化した今日、テロに使う武器ぐらい作るのはそう難しいことではないと思う。
 重要なことはテロを生む土壌を作らないために、貧富の差を無くす努力や、人種や宗教対立を超えた共生の社会構築のために何をなすべきかを考えるべきだと思う。
 小泉首相は「そんな理想主義者のようなことを言っていて、実際にテロの攻撃を受けたらどうするんですか」と国会で答弁し、ついに「目には目を、歯に歯を」といった方向に進み始めた。それはもはや、強者が勝つ500年前の戦国時代と同じではないのか…。
 戦後の、あの不戦の誓いはどこに行ってしまったのか。世界に誇れる憲法理念を世界に広めることこそがテロや戦争をなくす重要なことであるのに、小泉首相はついに憲法を犯し、軍隊を派兵しようとしている。いつの日か、またそのつけが重くのしかかって来る。それが心配だ。