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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2007年10月号

教科書検定意見撤回を求める県民大会 大会発言

軍から命令があった

戦争体験者 宮平春子さん(代読)


 忘れもしません。昭和19年9月10日に1500人の日本軍が座間味島にやってきました。翌20年3月23日、米軍による容赦ない空襲が座間味島で開始され、さらに海からは艦砲射撃を受けました。鬼畜米英の捕虜になって辱めを受けるより玉砕すべし、と教育を受けていた私たちにとって、米軍の上陸は死を意味していました。
 当時、座間味村の助役兼兵事主任だった兄の盛秀は25日の夜、私たち家族や親類がいた壕にやってきて「米軍が上陸するのは間違いない。玉砕するよう軍から命令があったので、いさぎよく死のう」と父に話していました。兄は3人のわが子を抱きしめ、「ごめんね。こんなに大きく育てて、軍の命令で亡くすのは本当に悲しい」と涙を流していました。
 私たちは午後11時半に合わせ、住民の集合場所である忠魂碑に向かいましたが、米軍の艦砲射撃を受け、座間味区民全員での「集団自決」は失敗に終わり、各壕に戻りました。私たちは兄のいた産業組合壕に入るつもりでしたが、すでに多くの人でいっぱいで入れませんでした。兄の家族はそこで自決して、壕の全員が亡くなり、私たちは生き延びました。
 検定結果は沖縄戦の実相をゆがめ、戦争の本質を覆い隠すもので絶対に許すわけにはいきません。62年たった今でもあの時のことを思い出すと涙が止まらず、無念の思いが込み上げてきます。今回の歴史教科書の検定結果は沖縄戦の実相をゆがめ、本質を覆い隠すものであり、絶対に許せません。
 事実を正しく伝え、悲惨な戦争を再び起こさないことが、私たちに課せられた最大の責務だと考えています。